花間集 訳注解説 巻一08 (13)回目温庭筠 《菩薩蠻十四首 其八》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7640

 菩薩蠻十四首 其八

 

 

 

 

 

 

 

 

 

20161113

の紀頌之5つの校注Blog

 

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

 

 

Ⅰ李白詩(李白詩校注)

744年-008卷182_22.3 月下獨酌四首 其三(卷二三(二)一三三三)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7637

 

 LiveDoorBlog

 

 

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

 

 

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

  総合案内

 

 

 

 

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

 

 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-13 巻一 14-9-#1秋懷詩,十一首之九Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7638

 

  LiveDoorBlog

韓愈  秋懐詩十一首 【字解集】

 

 

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

 

 

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]平淮西碑」28

 

 

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

 

 

Ⅲ 杜詩詳注   LiveDoorBlog

757年-13 入宅三首其二 杜詩詳注(卷一八(四)頁一六○七)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7639

暮春題瀼溪新賃草屋五首【字解集】と住まいと夔州での農業

 

 

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

 

 

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

 

 

Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog

花間集 訳注解説 巻一08 (13)回目温庭筠 《菩薩蠻十四首 其八》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7640 (11/13)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

 

 

.唐五代詞詩・玉臺新詠・女性 LiveDoorBlog

玉臺新詠序の字解集

玉-013 玉臺新詠集序⒀§4-2〈徐陵〉 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7641

 

 

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

 

 

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

 

 

 ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)

漢詩総合サイト 07ch

 

 

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

文選

古詩源

花間集案内

 

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

 


花間集 訳注解説 巻一08 (13)回目温庭筠 《菩薩蠻十四首 其八》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7640

 

 

 

 

花間集 五百首  巻一   温庭筠

 

 

 

 

唐の時、女性論(7長安の妓女 の2

長安の妓女の人多数は平康里に住んでいた。「長安に平康坊という所があって、妓女の居住地である。京都の侠少(遊侠の若者)は此に草集る。……当時の人々はこの坊を風流藪沢(歓楽街)と呼んだ」(『開元天宝遺事』巻上)。『北里志』の記載によると、平康里の街区は三曲に分れ、名妓は多く南曲、あるいは中曲に住み、北曲に住むものの大多数は無名の「卑屑」(醜くて卑しい)の小妓であった。この三曲に住む妓女の生活にも高低貧窟の差があった。漸飴、中油はおおむね駄院汁こムく浄似で、完内には花が植えられ池もあり、室内の設備は快適で、華美にすぎるものさえあったが、下層の妓女の住まいは粗末なものであった。劉泰娘は北曲の小さな家の娘であったから、他の妓女たちと宴席に向う時、あなたは何処にお住まいですかと聞かれると、言葉をにごして、門前に一本の木がありますわ、などと言うだけであった。どの曲内に住んでいるかが、その妓女の身価に大きな関係があったようである。それ以外にも平康里に住まない妓女がおり、その他の街坊にそれぞれ分散して住んでいた。

 妓女たちは皆それぞれ一派を立て、家を単位に独一丑して営業していた。彼女たちのあるものは家族と一緒に住んでいたが、多くは家の暮らしが立たないので、妓女として生きざるをえなかったのである。たとえば、唐代の小説『崔小玉伝』(蒋防作)の主人公宦小玉は、もともと崔王の娘であったが、母親が崔王の婢女であったから、後に母娘ともども追い出されてしまった。やむなく小玉は妓女となり母と一緒にくらした。また、「琵琶行」に出てくる琵琶妓は、「弟は走って軍に従い阿銕は死す」といっているので、家族と一緒に住んでいたことがわかる。これらの妓女の大半は慮待を受けず、境遇はいくらかマシだった。しかし、その他多くの妓女は家族はおらず、「仮母」に買われ養女にされたものであった。仮母とは後世いうところの「鴇母」(やりて婆)と同じであり、みな年増の妓女がなった。仮母に夫や家族はなく、しかし容色はまだ全く衰えたというわけではなかった

ので、大半が王侯貴族の邸宅を警護する武官の囲われ者であった。また、ある者はこっそりと夜伽をする男を囲っていたが、夫と言えるような代物ではなかった。平康里の置屋の大部分は仮母が何人かの妓女をかかえて営業していた。たとえば楊妙児の置屋を例にとれば、彼女はもともと名妓であったが、のちに仮母となり、莱児、永児、迎児、桂児の四人の養女をひきとって育てた。その他の置屋もほぼ同じようなものであった。これらの妓女はみな生活はたいへん苦しく、大部分が「田舎の貧家」から買われてきた幼女であり、仮母の姓を名のった。ある者は自分の実の父母さえ全く知らなかった。またある者は、人に編されて売られて、この世界に堕ちたのであった。「ある良家の娘は、自分の家の嫁にするといって連れて行かれたが、他に多額の謝礼で転売され、誤ってこの苦界に堕ち、脱出することができなかった」(『北里志』「海論三曲中事」)。たとえば、王福娘は解梁(山西省臨晋県)の人であったが、嫁にやると喘されて都に連れて行かれ、色町に売られてしまった。しかし彼女は何も真相を知らないでいた。後に置屋は披女に歌を習わせ客を取らせた。一人のか弱い女が行き場を失えば、他人の言いなりになるしかなかった。この間、家の兄弟が捜し出して奪い返そうとした。しかし彼女は、白分はすでに操を失った身であり、また兄弟には何の力もないことを考えると、望みを絶って兄弟に手を引かせるしか方法がなく、家族と泣き泣き永別したのであった。

唐代の社会は良民と賤民の区別が明確であり、いったん娼妓の世界に転落すれば、身を脱することが困難であったばかりか、肉親と行き来して顔を合わせることさえきわめて錐しかった。

 妓女は買われてくると、歌舞や酒席での遊戯などを習い、少しでも怠けると仮母に激しく鞭打たれたり殴られたりし、成人に達すると客を取り銭を稼がされた。彼女たちは行勤の自由がなく、平生は勝手に門を出ることもできなかった。平康里の妓女は僧が道でお経を講ずるのを最も待ち望んだ。僧が来ると、仮母に千文納めて機を見て外出し、半日間自由の空気を吸うことができたからである。

 

 

菩薩蠻十四首其一

小山重疊金明滅,鬢雲欲度香顋雪。

懶起畫蛾眉,弄粧梳洗遲。

照花前後鏡,花面交相映。

新帖羅襦,雙雙金鷓鴣。

 

菩薩蠻十四首其二

水精簾裡頗黎枕,暖香惹夢鴛鴦錦。

江上柳如煙,鴈飛殘月天。

藕絲秋色淺,人勝參差剪。

雙鬢隔香紅,玉釵頭上風。

 

菩薩蠻十四首其三

無限當山額,宿粧隱笑紗窗隔。

相見牡丹時,暫來還別離。

翠釵金作股,釵上雙蝶舞。

心事竟誰知,月明花滿枝。

 

菩薩蠻十四首其四

翠翹金縷雙鸂鶒,水紋細起春池碧。

池上海棠梨,雨晴紅滿枝。

衫遮笑靨,烟草粘飛蝶。

青瑣對芳菲,玉關音信稀。

 

菩薩蠻十四首其五

杏花含露團香雪,綠楊陌上多離別。

燈在月朧明,覺來聞曉鶯。

玉鉤掛起翠,粧淺舊眉薄。

春夢正關情,鏡中鬢輕。

 

菩薩蠻十四首其六

玉樓明月長相憶,柳絲娜春無力。

門外草萋萋,送君聞馬嘶。

畫羅金翡翠,香燭消成

花落子規啼,綠窗殘夢迷。

 

菩薩蠻十四首其七

鳳凰相對盤金縷,牡丹一夜經微雨。

明鏡照新粧,鬢輕雙臉長。

畫樓相望久,欄外垂絲柳。

意信不歸來,社前雙迴。

 

菩薩蠻十四首其八

牡丹花謝鶯聲歇,綠楊滿院中庭月。

相憶夢難成,背窗燈半明。

翠鈿金壓臉,寂寞香閨掩。

人遠闌干,燕飛春又殘。

 

菩薩蠻十四首其九

滿宮明月梨花白,故人萬里關山隔。

金雁一雙飛,痕沾衣。

小園芳艸綠,家住越溪曲。

楊柳色依依,歸君不歸。

 

菩薩蠻十四首其十

寶函鈿雀金鸂鶒香關上山碧。

楊柳又如絲,驛橋春雨時。

畫樓音信斷,芳草江南岸。

鸞鏡與花枝,此情誰得知。

 

菩薩蠻十四首其十一

南園滿地堆輕絮,愁聞一霎清明雨。

雨後卻斜陽,杏華零落香。

無言睡臉,枕上屏山掩。

時節欲昏,無獨倚門。

 

菩薩蠻十四首其十二

夜來皓月纔當午,重簾悄悄無人語。

深處麝煙長,臥時留薄粧。

當年還自惜,往事那堪憶。

花落月明殘,錦衾知曉寒。

 

菩薩蠻十四首其十三

雨晴夜合玲瓏日,萬枝香紅絲拂。

閑夢憶金堂,滿庭萱草長。

簾垂菉簌,眉黛遠山綠。

春水渡溪橋,凭欄魂欲消。

 

菩薩蠻十四首其十四

竹風輕動庭除冷,珠簾月上玲瓏影。

山枕隱粧,綠檀金鳳凰。

兩蛾愁黛淺,故國宮遠。

春恨正關情,畫樓殘點聲。

 

妃嬪に関する制度 ―――――――――――

古来、宮中にはいわゆる「内職」という制度があった。『礼記』「昏義」 に、「古、天子は、后に六宮、三夫人、九嬪、二十七世婦、八十一御妻を立て、以て天下の内治を聴く」とある。唐初の武徳年間(618626)に、唐は隋の制度を参照して完壁で精密な「内官」制度をつくった。その規定では、皇后一人、その下に四人の妃(貴妃、淑妃、徳妃、賢妃各一人)、以下順位を追って、九嬪(昭儀、昭容、昭媛、修儀、修容、修媛、充儀、充容、充媛各一人)、捷好九人、美人九人、才人九人、宝林二十七人、御女二十七人、采女二十七人が配置される。上記のそれぞれの女性は官品をもち、合計で122人の多きに達した。皇后だけが正妻であり、その他は名義上はみな「妃嬪」-皇帝の妾とされた。

また、皇太子の東宮にも「内官」があり、太子妃一人、その下に良、良媛、承徽、昭訓、奉儀などの品級があった。諸親王の王妃の下にも孺人【じゅじん】等の妾【ようしょう】の身分があった。

 

后妃たちの生活は富貴であり、また賛沢でもあった。彼女たちは衣食の心配の必要はなく、内庫(宮中の資材課)が必要なもの一切を支給した。「唐の法は北周、隋の法を踏襲し、妃嬢、女官には地位に尊卑があったから、その品階によって衣服、化粧の費用を支給した」(『旧唐書』王鋲伝)。唐初以来、国庫が日に日に豊かになると、后妃たちの生活もそれに応じて賛沢になった。

 

彼女たちは、こうした人の世のすべての栄耀栄華を味わい尽したのであるから、唐代に生きた多くの女性たちの中では幸運な人々といわざるをえない。しかしながら、彼女たちにもまた彼女たちなりの不幸があった。彼女たちの運命は極めて不安定であり、一般の民間の女性に比べると、より自分の運命を自分で決める力がなかった。なぜなら、彼女たちの運命はきわめて政治情勢の衝撃を受けやすかったからであり、またその運命は最高権力者の一時の寵愛にすべて係っていたからである。

 

日常的に危険と不安が潜伏している後宮のなかで、気の弱い者、能力のない者は、ただ唯々諾々と運命に翻弄されるしかなかった。しかし、ちょっと勇敢な者は、他人から運命を左右されることに甘んぜず、自分の力をもって自分の運命を支配し変革しょうとし、さらに進んでは他人をも支配しょうとした。これは高い身分にいることから激発される権力欲ばかりではなかった。彼女たちの特殊な生活環境もまた、彼女たちを一場の激しい 「生存競争」 の只中に投げ入れずにはおかなかったのである。

 

 

温庭筠

菩薩蠻十四首 其八
(寵愛を失った妃嬪は離宮でお越しを待ち侘びるが、天子のお気遣いも、音沙汰もなくなってしまったことを詠う)

鳳凰相對盤金縷,牡丹一夜經微雨。
あの方からの贈り物、鳳凰のむかいあい、金糸をぬいとりが尾のからみ渦巻く紋様がある。昨日一夜の春の小糠雨に、庭の牡丹の花が濡れ潤いうつくしい、妃嬪も若くてうつくしく、小雨に潤う牡丹の花である。

明鏡照新妝,輕雙臉長。
部屋に日がさしこみ、鏡に映すお化粧したての顔に日に照らされる、鬢にかかる雲形の髪も薄くなり、思いが辛いせいか、二つの頬はやつれて精彩がなくなっている。
畫樓相望久,欄外垂絲柳。
離宮の飾られた高楼にのぼって、今日もまた久しくあの方のお越しをまちわびる。欄干の外の池端には、しだれ柳が芽をふき、風にふかれ艶めかしくゆれている。 

音信不歸來,社前雙燕回。
妃嬪には、気遣いも、音沙汰も帰ってこないけれど、今年もまた社日に先立って交尾する仲むつまじそうな燕が出たり入ったりしている。

(菩薩蠻十四首 其の八)

鳳凰 相對して金縷を盤す,牡丹 一夜にして微雨に經る。
明鏡 新妝を照らし,
輕 雙びて臉 長し。
畫樓 相望久,欄外 絲柳を垂るる。
音信 歸えり來らず,社前 雙燕 回える。


kairo10681

『菩薩蠻十四首 其八』現代語訳と訳註
(
本文)
菩薩蠻十四首 其八

鳳凰相對盤金縷,牡丹一夜經微雨。
明鏡照新妝,
輕雙臉長。
畫樓相望久,欄外垂絲柳。
音信不歸來,社前雙燕回。


(下し文)
鳳凰 相對して金縷を盤す,牡丹 一夜にして微雨に經る。
明鏡 新妝を照らし,
輕 雙びて臉 長し。
畫樓 相望久,欄外 絲柳を垂るる。
音信 歸えり來らず,社前 雙燕 回える。


(現代語訳)
(寵愛を失った妃嬪は離宮でお越しを待ち侘びるが、天子のお気遣いも、音沙汰もなくなってしまったことを詠う)

あの方からの贈り物、鳳凰のむかいあい、金糸をぬいとりが尾のからみ渦巻く紋様がある。昨日一夜の春の小糠雨に、庭の牡丹の花が濡れ潤いうつくしい、妃嬪も若くてうつくしく、小雨に潤う牡丹の花である。

部屋に日がさしこみ、鏡に映すお化粧したての顔に日に照らされる、鬢にかかる雲形の髪も薄くなり、思いが辛いせいか、二つの頬はやつれて精彩がなくなっている。
離宮の飾られた高楼にのぼって、今日もまた久しくあの方のお越しをまちわびる。欄干の外の池端には、しだれ柳が芽をふき、風にふかれ艶めかしくゆれている。
 

妃嬪には、気遣いも、音沙汰も帰ってこないけれど、今年もまた社日に先立って交尾する仲むつまじそうな燕が出たり入ったりしている。
芍薬001

(訳注)

菩薩蠻十四首 其八
(寵愛を失った妃嬪は離宮でお越しを待ち侘びるが、天子のお気遣いも、音沙汰もなくなってしまったことを詠う)

【解説】

 悲しい妃嬪を詠う。

前段の第一句は妃嬪の衣裳の華麗さを言うと同時に、金糸の番の鳳凰を通じて妃嬪の孤独を際立たせる。

第二句は一夜のこぬか雨に濡れそぼつ牡丹の花に、涙にうちしおれた妃嬪の姿を重ねる。雨に濡れた花は、重みで俯きになっており、それは愁いに沈んでうなだれる女の姿そのものでもある。

前段第四句、頬がほっそりしているのは、寵愛を失った故のやつれの表れである。

後段は、妃嬪は、後宮の一角か、離宮に遣られて、皇帝か没するまでただ、生かされるだけである。高殿に登り、天子の方を望んで時の経つのにも気づかぬさまを詠い、身を寄せる高殿の手すりから見えるものは、逢瀬のひと時を想像させる枝垂れ柳の揺れであることを言う。

末一句は、燕は早くも春の社祭り頃に帰って来たツバメを見て、春が過ぎてゆくのを思い、この生活をしかたなく受け入れていくことを思うのである。

 

唐の教坊の曲で花間集には四十一首所収、溫庭筠の菩薩蠻は十四首、双調 四十四字。前段二十四字四句二仄韻二平韻、後段四句二仄韻に平韻で、❼❼⑤⑤/❺❺⑤⑤の詞形をとる。

鳳凰相對盤金,牡丹一夜經微
明鏡照新
輕雙臉
畫樓相望
,欄外垂絲
音信不歸
,社前雙燕

  
  
  
  

 

鳳凰相對盤金縷,牡丹一夜經微雨。

あの方からの贈り物、鳳凰のむかいあい、金糸をぬいとりが尾のからみ渦巻く紋様がある。昨日一夜の春の小糠雨に、庭の牡丹の花が濡れ潤いうつくしい、妃嬪も若くてうつくしく、小雨に潤う牡丹の花である。

鳳皇 鳳凰。鳳は雄、凰は雌。男女の和合円満を象徴する。この鳳凰は盤「菩薩蛮」の「金鷓鴣」と同様、衣裳に刺繍された模様を指す。なお、髪飾りと解する説もある。金鷓鴣:鳥の名。しゃこ。キジ科の鳥。ここでは、鷓鴣で、男女一緒になることを示しており、詞全体では、「鳳凰相對盤金縷」でも示されるように、そのことが、叶わなくて、一人でいる女性の艶めいた寂しさを詠っている。

 蛇がとぐろを巻くように円形にぴたっと貼り付くこと。

双腺 両の頼。


明鏡照新妝,鬢輕雙臉長。
部屋に日がさしこみ、鏡に映すお化粧したての顔に日に照らされる、鬢にかかる雲形の髪も薄くなり、思いが辛いせいか、二つの頬はやつれて精彩がなくなっている。
○雙臉長 右左の頬がやせたこと。寂しさに心痛めてやつれた様子を云う。晏殊の訴衷情詞に「露蓮雙臉遠山眉」とある。


畫樓相望久,欄外垂絲柳。
離宮の飾られた高楼にのぼって、今日もまた久しくあの方のお越しをまちわびる。欄干の外の池端には、しだれ柳が芽をふき、風にふかれ艶めかしくゆれている。 

○画楼 美しく塗り飾った高殿。


音信不歸來,社前雙燕回。
妃嬪には、気遣いも、音沙汰も帰ってこないけれど、今年もまた社日に先立って交尾する仲むつまじそうな燕が出たり入ったりしている。
○音信小帰来 便りが来ない、音沙汰がない。

社 地神を祭った社の祭り。立春後の五番目の戊の日に行われる豊作祈願祭(春社)と上汁秋後の五番目の戌の日に行われる収穫感謝祭(秋社)がある。中国には、燕が春社の頃に帰って来て秋社の頃に去って行くところから、社燕という言葉がある。

○社前雙燕回 この詩全体艶閨の雰囲気を持った語でちりばめられており、しかし、少し年を取ってきた富貴の家に囲われた妓女にとってただ寂しさだけがのころ。ここに言う燕は、この時期、子作りをするため雌雄が一緒にいる晩春のころのことである。



琴操十首 (9)別鵠操 商陵穆子,娶妻五年無子。父母欲其改娶,其妻聞之,中夜悲嘯,穆子感之而作 韓退之(韓愈)詩<75-(9)>Ⅱ中唐詩439 (12/08)

 

”成都紀行(5)”  飛仙閣 杜甫詩1000 <344>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1647 杜甫1500- 511

 

月蝕詩效玉川子作 韓愈 韓退之(韓愈)詩<96-#7>Ⅱ中唐詩520 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1646

スポンサーサイト

0 Comments

Leave a comment

テンプレートに関するご質問・不具合のご報告の際はご自身のブログアドレス記載必須です
ご質問の前に必ずお読みください ↓
FC2テンプレート ご利用時のお願い