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韋莊《巻三-08 天仙子五首其一》

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杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

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杜甫詩(11)762年蜀中転々43

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(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

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杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

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花間集 訳注解説  (123)回目韋莊二十五首《巻三-08 天仙子五首其一》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8306

(天にある仙郷にいる人の詩。 其の一 去年の春の行楽で美男子と楽しく過ごし、その後も、逢瀬を約束したのに、それっきりになり、今年も行楽の季節となり、同じように、貴族の遊侠好色男に弄ばれる若い女が多いことだろうと詠う。)

前回の逢瀬で約束した次の逢瀬は約束を守ってもらえず今では、うらむ気持ちをもってこの夢の中で逢瀬を見る事は恨み痛んで後宮を出て行楽を楽しんだ方を望む。そこには春の花を見るのであり、観賞しても語りかけるきにもならないし、尋ねることも、思いをうちあけることも苦しい。なぜなら、そこには、桃の花は露に濡れ、花は小さい細い枝に咲いていて、若い美人と美男子が行楽していて、美人は雲型の鬢を垂らして艶めかしい。そしてそこには、春に起きた好色の気持ちの者ばかりがいて、「宋玉」のように、好色男だということは分かっていても流されてしまうというものだ。

 

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『唐六典』 の内官制度の規定によると、后妃たちにも職務が決められていた。妃嬪は皇后を補佐し、「坐して婦礼を論じ」、「内廷に在って万事を統御する」、六儀(後宮にある六つの官庁)は「九御(天子に奉侍する女官たち)に四徳(婦徳・婦言・婦容・婦功)を教え、傘下の婦人を率いて皇后の儀礼を讃え導く」、美人は「女官を率いて祭礼接客の事を修める」、才人は「宴会、寝所の世話を司り、糸枲のことを理め、その年の収穫を帝に献じる」等々。しかしながら、これらの仕事も大半は形式的なもので、なんら実際の労働ではなかった。形式的な「公職」以外で、彼女たちの生活の最も重要なことは、言うまでもなく皇帝の側に侍り、外出の御供をすることであった。彼女たち自身の私的な生活はと言えば、ただいろいろな娯楽、遊戯を思いついては日時をすごし、いかにして孤独と退屈をまざらわすかということに尽きる。「内庭の嬪妃は毎年春になると、宮中に三人、五人と集まり、戯れに金銭を投げ表裏を当てて遊んだ。これは孤独と苦悶の憂さを晴らすためであった」、「毎年秋になると、宮中の妃妾たちは、美しい金製の小龍に蟋蟀を捉えて閉じ込め、夜枕辺に置いて、その鳴き声を聴いた」とある。
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花間集 巻三

 

 

 

 

 

天仙子五首其一

悵望前回夢裏期,看花不語苦尋思。

露桃花裏小腰肢,眉眼細,鬢雲垂,唯有多情宋玉知。

 

天仙子五首其二

深夜歸來長酩酊,扶入流蘇猶未醒。

醺醺酒氣麝蘭和,驚睡覺,笑呵呵,長道人生能幾何。

 

天仙子五首其三

蟾彩霜華夜不分,天外鴻聲枕上聞,繡衾香冷嬾重熏。

人寂寂,葉紛紛,才睡依前夢見君。

 

天仙子五首其四

夢覺雲屏依舊空,杜鵑聲咽隔簾櫳,玉郎薄倖去無蹤。

一日日,恨重重,淚界蓮腮兩線紅。

 

天仙子五首其五

金似衣裳玉似身,眼如秋水鬢如雲,霞裙月帔一羣羣。

來洞口,望煙分,劉阮不歸春日曛。

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『天仙子』九首

 

 

作者

初句7字

 

 

皇甫先輩松

0217

(改訂版)天仙子二首其一

晴野鷺鷥飛一隻

 

 

0218

(改訂版)天仙子二首其二

躑躅花開紅照水

 

 

韋相莊

0308

天仙子五首 其一 

悵望前回夢裏期,

 

 

0309

天仙子五首 其二

深夜歸來長酩酊,

 

 

0310

天仙子五首 其三

蟾彩霜華夜不分,

 

 

0311

天仙子五首 其四

夢覺雲屏依舊空,

 

 

0312

天仙子五首 其五

金似衣裳玉似身,

 

 

和學士凝(和凝)

0625

天仙子二首 其一

柳色披衫金縷鳳,

 

 

0626

天仙子二首 其二

洞口春紅飛蔌蔌,

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲《天仙子五首其一》韋莊

 

 

花間集 訳注解説 巻三-08天仙子五首其一

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8306

 

 

韋荘108《巻3-08 天仙子五首 其一》

天仙子五首其一

(天にある仙郷にいる人の詩。 其の一:去年の春の行楽で美男子と楽しく過ごし、その後も、逢瀬を約束したのに、それっきりになり、今年も行楽の季節となり、同じように、貴族の遊侠好色男に弄ばれる若い女が多いことだろうと詠う。)

悵望前回夢裏期,看花不語苦尋思。

前回の逢瀬で約束した次の逢瀬は約束を守ってもらえず今では、うらむ気持ちをもってこの夢の中で逢瀬を見る事は恨み痛んで、後宮を出て行楽を楽しんだ方を望む。そこには春の花を見るのであり、観賞しても語りかけるきにもならないし、尋ねることも、思いをうちあけることも苦しい。

露桃花裏小腰肢,眉眼細,鬢雲垂,唯有多情宋玉知

なぜなら、そこには、桃の花は露に濡れ、花は小さい細い枝に咲いていて、若い美人と美男子が行楽していて、美人は雲型の鬢を垂らして艶めかしい。そしてそこには、春に起きた好色の気持ちの者ばかりがいて、「宋玉」のように、好色男だということは分かっていても流されてしまうというものだ。

(天仙子【てんせんし】五首 其の一)

惆望【ちょうぼう】す 前回 夢裏の期を、花を看るも語らず 尋ねること思うことを苦しむを。

桃を露し 花裏は小腰肢、眉眼は細やかなり、鬢雲は垂して、唯だ 多情有り 「宋玉の知」ことを。

 

30韋荘108《巻3-08 天仙子五首 其一》 

《天仙子 其一》 現代語訳と訳註

(本文) 

天仙子五首其一  ----108

悵望前回夢裏期,看花不語苦尋思。

露桃花裏小腰肢,眉眼細,鬢雲垂,唯有多情宋玉知。

 

(下し文)

(天仙子【てんせんし】五首 其の一)

惆望【ちょうぼう】す 前回 夢裏の期を、花を看るも語らず 尋ねること思うことを苦しむを。

桃を露し 花裏は小腰肢、眉眼は細やかなり、鬢雲は垂して、唯だ 多情有り 「宋玉の知」ことを。

 

(現代語訳)

(天にある仙郷にいる人の詩。 其の一 去年の春の行楽で美男子と楽しく過ごし、その後も、逢瀬を約束したのに、それっきりになり、今年も行楽の季節となり、同じように、貴族の遊侠好色男に弄ばれる若い女が多いことだろうと詠う。)

前回の逢瀬で約束した次の逢瀬は約束を守ってもらえず今では、うらむ気持ちをもってこの夢の中で逢瀬を見る事は恨み痛んで後宮を出て行楽を楽しんだ方を望む。そこには春の花を見るのであり、観賞しても語りかけるきにもならないし、尋ねることも、思いをうちあけることも苦しい。

なぜなら、そこには、桃の花は露に濡れ、花は小さい細い枝に咲いていて、若い美人と美男子が行楽していて、美人は雲型の鬢を垂らして艶めかしい。そしてそこには、春に起きた好色の気持ちの者ばかりがいて、「宋玉」のように、好色男だということは分かっていても流されてしまうというものだ。

 

 

(訳注) 改訂版)-30韋荘108《巻3-08 天仙子五首 其一》

天仙子 其一

 1.天にある仙郷にいる人の詩。 其の一:去年の春の行楽で美男子と楽しく過ごし、その後も、逢瀬を約束したのに、それっきりになり、今年も行楽の季節となり、同じように、貴族の遊侠好色男に弄ばれる若い女が多いことだろうと詠う。)

2. 【解説】後宮は天上界、仙郷に喩えられ、一旦はいれば二度と出ることはできないとまで言われたが、娯楽、遊戯を愉しんでは致し、自由な性倫理もそこには在った。

原始時代の母権制がその歴史的使命を果し、その寿命が尽きた時、「男尊女卑」一夫多妻は誰も疑うことのない人の世の道徳的規範となった。人口の半分を占める女性たちは、未来永劫にわたって回復不可能な二等人となり、ごく最近まで、二度と再び他の半分である男性と平等になることはなかった。(形態の違いこそあれ、未だに真の平等までにいたっていないのかもしれない。)

そうした中で、彼女たちは積極的に恋愛をし、貞節の観念は稀薄であった。未婚の娘が秘かに男と情を通じ、また既婚の婦人が別に愛人をつくることも少なくなかった。女帝(武則天)が一群の男寵(男妾)をもっていたのみならず、公主(皇女)、貴婦人から、はては皇后、妃嬢にさえよく愛人がいた。離婚、再婚もきわめて普通であり、唐朝公主の再婚や三度目の結婚もあたりまえで珍しいことではなかった。こうした風習に、後世の道学先生、ごりごりの儒学者たちはしきりに首をふり嫌悪の情を示した。これは、世界的にも同時期に同じような婚姻制度、性倫理が存在した、日本での万葉集から、源氏物語と六朝文学から花間集の時期、全く同じということではないが、中世封建制の儒教的性倫理の前の自由な文学と共に興味深いものである。

この詩は、韋荘は、宋玉の《登徒子好色賦》の民間逸話に基づいて、春の行楽というものに、貴族の男女が期待を持ち、自由な恋愛を行った結果、それがあまりに楽しかったために、「後日悲しみ恨むことになってしまう」と分かっていてもそれに流されてしまうものだ、というものである。

3.【構成】『花間集』には韋莊の作が五首収められている。単調三十四字、六句五平韻で、⑦⑦⑦3③⑦の詞形をとる。

(改訂版)-30韋荘108《巻3-08 天仙子五首 其一》

悵望前回夢裏  看花不語苦尋
露桃花裏小腰  眉眼細 鬢雲  唯有多情宋玉

  
  
   

 

惆望前回夢裏期、看花不語苦尋思。

前回の逢瀬で約束した次の逢瀬は約束を守ってもらえず今では、うらむ気持ちをもってこの夢の中で逢瀬を見る事は恨み痛んで後宮を出て行楽を楽しんだ方を望む。そこには春の花を見るのであり、観賞しても語りかけるきにもならないし、尋ねることも、思いをうちあけることも苦しい。

4. ・惆望 うらむ、いたむ、気落ちするなどの気持ちをもって遠くを眺める。

前回 前回の逢瀬。

夢裏期 前回の逢瀬の逢瀬で次回の逢瀬の日を約束したことが夢のこととなり、夢でしか逢瀬できないこと。

 

露桃花裏小腰肢,眉眼細,鬢雲垂,唯有多情宋玉知。

なぜなら、そこには、桃の花は露に濡れ、花は小さい細い枝に咲いていて、若い美人と美男子が行楽していて、美人は雲型の鬢を垂らして艶めかしい。そしてそこには、春に起きた好色の気持ちの者ばかりがいて、「宋玉」のように、好色男だということは分かっていても流されてしまうというものだ。

5. 露桃花裏小腰肢 春の行楽の様子。

細くてしなやかな腰。多く、美人のたとえ。李商隠『楚宮』「楚管蠻弦愁一概,空城罷舞腰支在。」楚宮詩でいう「腰支在」は妖艶な腰の体つきで舞い姿をみせた。「宮妓」詩に「披香新殿に腰支を闘わす」というように、踊り子の動きの際立つ部位。薄絹をつけて舞う宮廷での踊りは、頽廃的に性欲に訴えるものであった。

楚宮 李商隠:kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 55

また、同様に細腰について、女性の細い腰。楚の霊王が細い腰を好んだという。『漢書・馬寥傳』の「呉王好劍客,百姓多瘡瘢。楚王好細腰,宮中多餓死。」、『荀子・君道』「楚莊王好細腰,故朝有餓人。」や『韓非子』「越王好勇,而民多輕死。楚靈王好細腰,而國中多餓人。」「楚の霊王は細腰を好み、国中餓する人多し」。

6. 眉眼細 若い美人、美男子をいう。

7. 鬢雲垂 艶めかしさを形容する語。

8. 唯有多情 好色であることをいう。

9. 宋玉知 楚の文学者、美男子「宋玉」は好色男であることを知っている。《登徒子好色賦》・宋玉 中国,戦国時代末期、楚の文学者。屈原の弟子とされる。屈原にならって主として辞賦作品を作ったが,その批判精神は受け継げず,主君の好悪のままに作品を作る宮廷作家の最も早い例ともされる。宋玉の作品として,《文選》には〈風の賦〉〈高唐の賦〉〈神女の賦〉〈登徒子好色の賦〉など,《楚辞章句》には〈九弁〉〈招魂〉などが収められるほか,《古文苑》にも幾編かの宋玉作と称する作品が収められている。しかし彼の伝記に確実なよりどころのないこととあわせて,それぞれの作品の来歴にも多くの問題のあることが指摘されている。

 

10. 《登徒子好色賦》

宋玉と登徒子はともに楚国の大夫であり、楚の王とは親しい関係にある。だが登徒子は宋玉の才能を妬み、楚王の前で彼の悪口を言い続けた。ある日、登徒子は「宋玉は美男子であり、才能もありますが、好色な人間ですから、陛下は後宮に行かれるときは決して彼をともにしてはなりませんぞ。後宮には美しい妃たちがいらっしゃるので、宋玉に会ってしまえばあとで面倒なことが起こりかねますから」と楚王に助言した。

 

それを聞いた楚王は宋玉を謁見し、登徒子の言葉を確認しようとした。そこで宋玉は「わたしの外見がいいのは、生まれつきであり、学問が豊富なのは、学問に励んだからです。しかし、わたしのことを好色というのは、まったくありもしないデタラメでございます」と答えた。すると楚王は「ならば証拠を見せよ」という。そこで宋玉は「天下の美人は、楚の国に最も多くいて、なかでも美人が最も多いのはわたしの故郷の臣里です。さらに臣里で一番の美人はわたしの隣に住んでおります。この美人の背丈が高くも低くもなく、なんの化粧もする必要はありません。彼女の歯、髪とその仕草などは美そのものであり、彼女は一つの笑顔を見せるだけで多くの貴公子を酔わせることができましょう。しかし彼女は三年の間、壁の隙間を通してわたしを覗きましたが、わたしの心は動きませんでした。わたしは好色な人物ではありません。実は、登徒子こそが好色な人間なのです」と答えた。

 

楚王がその理由を聞くと、宋玉は「登徒子の妻は決して美しい人ではありませんが、登徒子は彼女に一目惚れし、今ではすでに五人の子供が出来ているのですよ。」というので、これには楚王も言葉を失ったのである。これが“隣の女が壁に窺う”という故事である。

 

韋莊

836―910)、字は端己、京兆の杜陵(陝西省西安市の南郊)の人。中唐の詩人韋応物の玄孫で、宰相韋見素の孫。父母を早く失い、家は没落、貧に苦しんだ。五十代に入ってから、数年間、広く長江の中、下流域を渡り歩き、何度も科挙に落第した末、昭宗の乾寧元年(894年)、59歳でようやく進士に及第(高等文官試験)に合格し、校書郎に任じられた。66歳で四川省にいた王建が叛乱を起こしたので、朝廷では李詢を正使、韋荘を補佐として宣撫に赴かせたが、ほどなくして唐が亡び、王建が前蜀の帝を称えると、韋荘はそのまま王建に仕え、王建が前蜀王朝を建てるのに協力して、吏部侍郎・同平章事に任ぜられた。宰相にまで昇進している。前蜀の都は成都にあり、韋荘はその郊外の、かつて杜甫が住んでいた浣花草堂を修復して、自分の庵にした。温庭筠と並んで温韋と併称され、晩唐期を代表する詞人である。韋莊の詞は率直明快さを特色とし、『花問集』 には48首の詞が収められている。 
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