花間集 訳注解説 巻一07 (12)回目温庭筠 《菩薩蠻十四首 其七》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7634

 菩薩蠻十四首 其七

 

 

 

 

 

 

 

 

 

20161112

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花間集 五百首  巻一   温庭筠

 

 

 

 

 

唐の時、女性論(6長安の妓女 の1

 ここでは主に長安の平康里や、その他の街坊に集中して住んでいた一般の娼妓について述べたい。

先に迷べた皇室専属の教坊妓はこの中には含まない。

 長安の官妓は、上に述べた地方の官妓とは多くの違いがあるように思う。唐後期の孫渠が長安の妓女について専門に記した『北里志』と、その他こまごまとした史料からみると、長安の妓女も官府に属し、官府の御用に応じなければならなかったが、しかし官奴婢としての色合いはそれほど強くはなかった。官府の彼女たちに対する支配は比較的ゆるやかで、彼女たちも自分がどの長官の管理下にあるかもよく知らず、身分の束縛もあまりなく、地位も少しばかり高かった。また、彼女たちは官府から衣食を支給されておらず、自分で商売を営んでおり、後世の娼妓とほとんど変りなかった。これはたぶん、長安などの大都市が各界の人士、とりわけ天下の才子である進士たちが遊ぶ有名な場所であり、朝廷の支持と容認の下、妓楼で遊ぶ風潮がたいそう盛んであったため、長安などの妓女たちを官府が独占的に支配することはもはやきわめて難しく、しだいに社会仝体に開放されていったからであろう。こうした情況は、およそ唐の中後期に向うに従って次第に発展していった。しかし、地方官妓は唐の後期になると藩鎮が巨大な権力を持ったため、なおいっそう地方官、とりわけ藩鎮の独占支配を受けることとなった。長安の妓女たちの生活情況は、唐代の官妓がしだいに自由業の娼妓に変化してゆく過程をよく反映している。

 

 長安の妓女は「楽営」には属さず、孫渠の『北里志』序の言葉をかりると、「京中の飲妓、籍は教坊に属す」というように、籍は教坊にあった。先に述べたように、玄宗時代に教坊が設立されたのは、もともと天下の芸人を集めて訓練を行い、専ら宮廷の御用に供するためであったが、『北里志』がいう「京中の飲妓」とは明らかに宮廷に奉什する芸人ではなく、民間で営業する娼妓であり、彼女たちも教坊には住まず、平康里やその他の里坊に住んでいたのである。これでは「京中の飲妓、籍は教坊に属す」という記述と矛盾する。いったいどうしたことだろうか。筆者が推測するに、これはたぶん教坊制度の変化と関係があるように思う。玄宗以後、教坊はしだいに衰退していったが、後の時代になっても教坊は依然としてたびたび芸妓を選抜して朝廷の御用に供していた。しかしふだんは彼女たち仝部を教坊の中に住まわせることができなくなり、ただ若干の名妓だけを選んで教坊籍に入れ、いつでも宮廷の御用に派遺できるようにしていた。大半の妓女は普通はもといた置家とか、自宅に住んで、前と同じく自由営業の娼妓生活を送っていた。白居易の「琵琶行」に、「自ら言う 本これ京城の女、家は蝦煥陵(長安の東部、常楽坊にあった街区名)下に在りて住む。十三にして琵琶を学び得て成り、名は教坊第一部に属す。……五陵(漢の五帝陵が並び長安の上流階級が多く住んでいた地城)の年少、争って纏頭し(祝儀を出す)、一曲に紅納数を知らず」とある。この教坊籍に名を列した琵琶妓は教坊に住んではおらず、一般社会で芸を売り身を売って生活していたのである。

 

 長安の娼妓は、名儀上でも決してすべてが教坊に属していたのではない。『北里志』の「楊妙児」なる一節に記載されている妓女の王福娘は、人に身請けされることを願い、「私は幸いに教坊籍に入っていません。あなたにもし結婚の意志があるなら一、二百金のみですみます」といった。どうやら、教坊籍に入っていれば「官身」となり勝乎に請け出されることはできないが、教坊籍に入っていないものは金を出し身請けする人がいればいつでも落籍できたようである。しかし、教坊籍に入っていない妓女も、やはり完全に官妓身分から脱していたというわけではなかった。「楊妙児」の一節によると、妓女たちがたとえ客から「買断」(特定の客が囲い独占すること)されても、いぜんとして彼女は「官使を免れず」、つまりこれまで通り官府への奉什を免れることができなかったようである。また同書には、「およそ中央官僚の集まりや宴会には、役所から妓女を借り出す許可状をもらわねばならず、そうやって始めて彼女たちは他処に出ることができた」(『北里志』序)とある。

官僚が妓女を宴遊に呼ぶには官府の許可が必要だったということは、妓女が官妓の身分であったことを証明している。その他、平康里の妓女たちの中には「都知」と呼ばれるものがいて、妓女たちを分担管理しており、古株のものがその任に就いた。妓女にも一定の組織があり、完全に独立し自由というわけでなかったことが分かる。教坊籍に入っていない妓女は、当然長安の妓女の大多数を占めていたはずだが、彼女たちは一体どこの管轄下に属していたのだろうか。地方州府の制度に照らせば、京兆府の管轄下に属すのが当然と思われるが、いまだそうした記録を見出せないので、みだりに結論を出さないでおきたい。

 

温庭筠 

菩薩蠻十四首 其七
(「妻妾」か「買斷」という夢を実現した官妓だが、又春を迎えたが、杜鵑のように思いを届けたいと思い続けるだけで、官僚の男からの便りもなく孤独に春を送る女の悲しみを詠う)その七

玉樓明月長相憶,柳絲娜春無力。
かがやくほどの高楼には中秋の明月が昇り、たがいにその月を見上げ思い合ったものでした、私のもとにかえってこないあの人を恋しく思う。絲の様な腰つきの柳の枝葉はもっとたおやかに魅力的にしているが、春が来ても一人過ごす春の日、片思いのままは気力も失せて來る。
門外草萋萋,送君聞馬嘶。
門外にでてみると万物はめばえ、春草がまた青々としげる。茫茫と茂る中、あの人を見送ったときには、乗ってゆく馬のいななくのを聞いたものだったけれど、いまは馬が嘶いてもあの人のものではない。
畫羅金翡翠,香燭銷成淚。
綺麗に鳳凰が描かれているうすものの衾がかかり、金と翡翠のとばりに飾られた閨の中で、今宵も更けゆくままに、蝋燭も溶けて流れ、そして涙もとめどがない。
花落子規啼,綠窗殘夢迷。
咲き誇っている花はちり行くもの、だから、いま振り向いてもらわなくてはならないから、ほととぎすのように血を吐いて啼くほどにおもいつづける、部屋の東のみどり絹の窓から、遙か先に思いを送るがけれど、思いも夢も行き先を迷っているから届いていない。

(菩薩蠻十四首 其七)
玉樓明月長へに相ひ憶ふ、柳絲娜として春無力。
門外草萋萋たり、君を送れば馬の嘶くを聞けり。
畫【いろうつくしき】羅【うすぎぬ】金の翡翠、香【かぐはしき】燭消【とけ】て涙を成す。
花落ちて子規啼けば、綠窗【ろくそう】に殘夢迷ふ。



『菩薩蠻十四首 其七』現代語訳と訳註
(
本文)
菩薩蠻十四首 其七

玉樓明月長相憶,柳絲裊娜春無力。
門外草萋萋,送君聞馬嘶。
畫羅金翡翠,香燭銷成淚。
花落子規啼,綠窗殘夢迷。


(下し文)
玉樓明月長へに相ひ憶ふ、柳絲裊娜【じょうや】春力無し。
門外草萋萋たり、君を送れば馬の嘶くを聞けり。
畫【いろうつくしき】羅【うすぎぬ】金の翡翠、香【かぐはしき】燭消【とけ】て涙を成す。
花落ちて子規啼けば、綠窗【ろくそう】に殘夢迷ふ。


(現代語訳)
(「妻妾」か「買斷」という夢を実現した官妓だが、又春を迎えたが、杜鵑のように思いを届けたいと思い続けるだけで、官僚の男からの便りもなく孤独に春を送る女の悲しみを詠う)その七

かがやくほどの高楼には中秋の明月が昇り、たがいにその月を見上げ思い合ったものでした、私のもとにかえってこないあの人を恋しく思う。絲の様な腰つきの柳の枝葉はもっとたおやかに魅力的にしているが、春が来ても一人過ごす春の日、片思いのままは気力も失せて來る。
門外にでてみると万物はめばえ、春草がまた青々としげる。茫茫と茂る中、あの人を見送ったときには、乗ってゆく馬のいななくのを聞いたものだったけれど、いまは馬が嘶いてもあの人のものではない。
綺麗に鳳凰が描かれているうすものの衾がかかり、金と翡翠のとばりに飾られた閨の中で、今宵も更けゆくままに、蝋燭も溶けて流れ、そして涙もとめどがない。咲き誇っている花はちり行くもの、だから、いま振り向いてもらわなくてはならないから、ほととぎすのように血を吐いて啼くほどにおもいつづける、部屋の東のみどり絹の窓から、遙か先に思いを送るがけれど、思いも夢も行き先を迷っているから届いていない。
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 (訳注)

菩薩蠻十四首 其七

(「妻妾」か「買斷」という夢を実現した官妓だが、又春を迎えたが、杜鵑のように思いを届けたいと思い続けるだけで、官僚の男からの便りもなく孤独に春を送る女の悲しみを詠う)その七

【解説】この詩も、官妓が身請けされて別宅に住まいしていて、どこかに赴任することで別離した。きっと帰っているけれど自分の元には帰ってくれないということをおたっている。

唐の教坊の曲で花間集には四十一首所収、溫庭筠の菩薩蠻は十四首、双調 四十四字。前段二十四字四句二仄韻二平韻、後段四句二仄韻に平韻で、❼❼⑤⑤/❺❺⑤⑤の詞形をとる。

玉樓明月長相  柳絲裊娜春無
門外草萋  送君聞馬
畫羅金翡  香燭銷成
花落子規  綠窗殘夢

  
  
  
  


玉樓明月長相憶,柳絲裊娜春無力。
かがやくほどの高楼には中秋の明月が昇り、たがいにその月を見上げ思い合ったものでした、私のもとにかえってこないあの人を恋しく思う。絲の様な腰つきの柳の枝葉はもっとたおやかに魅力的にしているが、春が来ても一人過ごす春の日、片思いのままは気力も失せて來る。
・玉樓 宝玉にかざられた立派な建物。春の装いにかがやく高楼は女妓のいる建物を指す。
・明月 明るい月。名月。仲秋の明月。美しい女。
・長  とこしえに。いつまでも。
・相憶 昔のことを思い起こす。憶は、あれこれと思いをはせること。
・柳絲 垂れ下がった柳の枝のこと。絲柳。女性の体の線のことを謂う。
・裊娜 しなやかなさま。なよなよとしているさま。は、嫋(たおやか、しなやか)に通ずる。
・春無力 楽しいはずの春が来てもなにごとにも無気力の様子であること。春行楽で新しい出会いと結ばれるときに、男と別れたまま振り向いても暮れなくなって、さびしくうらぶれて無気力になっているということ。同時に女妓に歳を重ねて春に対する期待感がなくなっていることを云う。

【解説】この二句は、仲秋の名月を見ては男への思いを高め、又春が来て柳の揺れるのを見て逢瀬の思いをはせるが叶わぬものとあきらめ何事にも無気力になる。


門外草萋萋,送君聞馬嘶。
門外にでてみると万物はめばえ、春草がまた青々としげる。茫茫と茂る中、あの人を見送ったときには、乗ってゆく馬のいななくのを聞いたものだったけれど、いまは馬が嘶いてもあの人のものではない。
・萋萋 草が茂っているさま。
送君 恋人を送る。君とは男性を指す。
・聞馬嘶 馬のいななくのが 聞こえてきた。男と最後の別れの情景。

【解説】この二句は、又春が来て草は萌え、春には逢瀬を約束していたことを万物が成長することで思い出す。


畫羅金翡翠,香燭銷成淚。
綺麗に鳳凰が描かれているうすものの衾がかかり、金と翡翠のとばりに飾られた閨の中で、今宵も更けゆくままに、蝋燭も溶けて流れ、そして涙もとめどがない。
・畫羅 美しいうすぎぬのこと。畫は、動詞として、(絵を)えがく。形容詞として(建物などに色が塗られていたり、模様が画かれていたりして)美しい、(「畫船聽雨眠」の畫)になる。
・金翡翠 かわせみ。雌雄対になったカワセミのことで、翡は雄で翠は雌を謂う。
・香燭 香しき蝋燭。香はこの蝋燭がいい香りを放つかどうかということよりも、女性を暗示していることの方が大きい。
・消成涙 。蝋が溶けて涙を流したみたいになっていること。消を銷とする本が多い。銷の方が通りやすい。

【解説】この二句は、高級官僚からの贈り物が飾られた閨をあがく、その品を見るたびに涙が出る。しかしそれらのしなはかたずけることなどできないものなのだ。


花落子規啼,綠窗殘夢迷。
咲き誇っている花はちり行くもの、だから、いま振り向いてもらわなくてはならないから、ほととぎすのように血を吐いて啼くほどにおもいつづける、部屋の東のみどり絹の窓から、遙か先に思いを送るがけれど、思いも夢も行き先を迷っているから届いていない。
花落 花が 散る。若い時の花は散る。
・子規 ホトトギス杜鵑。血を吐きながら、悲しげに、鳴くことから鳴き声が読み方と類似しているため不如歸とも書き表す。

宣城見杜鵑花 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集-244/-350

・綠窗 緑のうすぎぬの窓。女性の部屋の窓のこと。
・殘夢 見果てぬ夢。見残した夢。男と過ごした日々の思いでを指している。
・迷 悩乱している。

【解説】この二句は、春を過ぎ初夏になる、女の若さも同じように散ってゆく、だからどこに行っているかわからないが何とか存在感を出して気付いてもらいたいということを表現している。同じような表現をしている詩を以下のように紹介する。


法鏡寺 杜甫
洩雲蒙清晨,初日翳複吐。
朱甍半光炯,戸牖粲可數。
拄策忘前期,出蘿已亭午。
冥冥子規叫,微徑不複取。

“同谷紀行(6)” 法鏡寺 杜甫 <325>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1541 杜甫詩 700- 478

 

杜甫の鳥獸蟲魚類について整理してみると次のようにある。
五言律詩  
『鸚鵡』、『子規』、『百舌』、『歸鴈二首』、『歸鴈』、『孤鴈』、『鸂鶒』、『花鴨』『麂』、     

錦瑟 
錦瑟無端五十弦、一弦一柱思華年。
莊生曉夢迷蝴蝶、望帝春心托杜鵑。
滄海月明珠有涙、藍田日暖玉生煙。
此情可待成追憶、只是當時已惘然。

錦瑟 李商隠 1 Ⅰ晩唐李商隠詩<1>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之漢詩ブログ<64>

 

 (井泥四十韻 第四場面 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 144


井泥四十韻 第4場面
伊尹佐興王,不藉漢父資。
磻溪老釣叟,坐爲周之師。」
屠狗與販繒,突起定傾危。
長沙
封土,豈是出程。」
帝問主人翁,有自賣珠兒。
武昌昔男子,老苦爲人妻。」
蜀王有遺魄,今在林中啼。
淮南雞舐藥,翻向雲中飛。』
○蜀王 蜀の開国伝説によると、周の末に蜀王の杜宇が帝位に即き、望帝と称した。望帝は部下のものに治水を命じておきながら、その妻と姦通し、その後その罪を恥じて隠遁した。旧暦二月、望帝が世を去ったとき、杜鵑(ホトトギス)が、哀鳴した。これを蜀王魂という。また、春心托杜鵑 相手と結ばれたいとを思う心は、血を吐きながら悲しげに鳴く杜鵑(ホトトギス)に托す。杜鵑:〔とけん〕ほととぎす。血を吐きながら悲しげに鳴くという。
燕臺詩四首 其二 夏#1 李商隠130 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 130-#1 
李商隠1錦瑟
韓愈 杏花
居鄰北郭古寺空,杏花兩株能白紅。
曲江滿園不可到,看此寧避雨與風
二年流竄出嶺外,所見草木多異同。』

杏花 #1 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ989 韓愈特集-37-#1

 

冬寒不嚴地恆泄,陽氣發亂無全功。
浮花浪蘂鎮長有,纔開還落瘴霧中。
山榴躑躅少意思,照耀黃紫徒為叢。』

 

杏花 #2 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ992中唐305 韓愈特集-37-#

鷓鴣鈎輈猿叫歇,杳杳深谷攢青楓。
豈如此樹一來翫,若在京國情何窮。
今旦胡為忽惆悵,萬片飄泊隨西東。
明年更發應更好,道人莫忘鄰家翁。』

杏花 #3 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ995中唐306 韓愈特集-37-#3

○山榴 「さつき(皐月)」の古名。山奥の岩肌などに自生する。盆栽などで親しまれている。サツキツツジ(皐月躑躅)などとも呼ばれており、他のツツジに比べ一ヶ月程度遅い、旧暦の五月(皐月)の頃に一斉に咲き揃うところからその名が付いたと言われる。○躑躅 ツツジ。おおむね常緑若しくは落葉性の低木から高木で、葉は常緑または落葉性で互生、果実は蒴花である。4月から5月の春先にかけて漏斗型の特徴的な形の花(先端が五裂している)を数個、枝先につける。杜鵑花(とけんか)、杜鵑はほととぎすの別名。
花間集02


1 温庭筠 おんていいん
812頃―870以後)本名は岐、字は飛卿、幷州(山西省大原)の人。初唐の宰相温彦博の子孫にあたるといわれる。年少のころから詩をよくしたが、素行がわるく頽廃遊蕩生活に耽り、歌樓妓館のところに出入して、艶麗な歌曲ばかりつくっていた。進士の試験にも落第をつづけ、官途につくこともできなかった。徐商が裏陽(湖北)の地方長官をしていたとき、採用されて巡官となり、ついで徐商が中央の高官(成通のはじめ尚書省に入る)になったので、さらに任用されようとしたが成らなかった。859年頃に詩名によって特に召されて登用され、国子(大学)助教となった。たが、叙任前に微行中の宣宗に無礼があって罷免され、晩年は流落して終わった。そのため、生歿が未詳である。

集に撞蘭集三巻、金墨集十巻、漢南其稿十巻があったという。かれは晩唐の詩人として李商隠と相並び、「温李」として名を知られている。音楽に精しく、鼓琴吹笛などを善くし、当時流行しつつあった詞の作家としても韋荘と相並んで「温韋」の称があった。その詞の大部分は趙崇祚の編した花間集に収載されている。洗練された綺麗な辞句をもちいた、桃李の花を見るような艶美な作風は花間集一派の詞人を代表するもので、「深美閎約」と批評されているその印象的なうつくしさにおいてほ花間集中、及ぶものがないといってよく、韋荘の綺麗さとよい対照をなしている。王国維が花間集に収載する六十六首のほか他書に散見するものを合せて輯した金荃詞一巻があり、七十首を伝えている。

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