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 韋莊a應天長/b.荷葉盃/c.清平樂四首/d./ 【字解集】

 

 

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字解集 韋莊a應天長【字解集】

應天長 二首其一

1.(寵愛を失っても妃嬪は、寵愛を受けていた時と同じように、待ち続けないといけない。しかしその生活は、世俗を断ち切った隠遁者の生活なのであると詠う。)その一
2.【解説】 寵愛を失って暮らすことは、世俗を立って隠遁生活をするかの様なものである。春が来てもただ何もしないで過ごすだけである。それでも、毎日、毎夜、寵愛を受けていた時のように、待っていなければいけない。その準備をするたびに、寵愛を受けていた時のことを思い出し、断腸の思いが強くなる。・應天長:詞牌の一。花間集 には韋莊の作が二首収められている。双調五十字、前段二十七字五句四仄韻、後段二十三字五句四仄韻で、❼❼3❸❼/3❸❻❻❺の詞形をとる。
應天長二首其一

綠槐陰裏黄鶯。深院無人春晝

畫簾垂、金鳳。寂莫綉屏香

碧天雲,無定。空有夢魂來

夜夜綠窗風。 斷腸君信

 
  

  
 

3. ・綠槐陰裏:青々と茂ったエンジュの木陰で。 ・槐 開花は7月で、枝先の円錐花序に白色の蝶形花を多数開き、蜂などの重要な蜜源植物となっている。豆果の莢は、種子と種子の間が著しくくびれる。 花・蕾にはルチンを多く含有する。蕾を乾燥させたものは、槐花(かいか)という生薬で止血作用がある。・裏:なかで。

4. ・黄鶯:ウグイス。コウライウグイス。

5. ・語:ここでは、さえずる。詩詞では、花や鳥が声を出すときは「花語」「鳥語」という。

6. ・深院:後宮の奥深いところにある庭や、寺観の奥深い世俗と離れた庭をいう。李後主《秋閨》「無言獨上西樓,月如鉤。 寂寞梧桐,深院鎖清秋。」「九重奥絶」というような意味を持つ語である。歐陽脩(馮延巳)、李淸照などに「庭院 深深 深幾許」とある。

7. ・無人:(静かで)人気がない。寵愛を失って、長いことを表す。

8. ・春晝午:春の昼下がり。昼過ぎの気怠感を表す。寵愛を失って自然に、後宮の中での隠棲生活をおくっていることをいう。

 

9. ・畫簾:美しく縫い取りをしたすだれ。

10. ・金鳳:金の鳳凰の縫い取り模様を指す。

11. ・寂莫:ひっそりとしてさびしい。寵愛を失っていること。

12. ・綉屏:縫い取りのある屏風。閨の屏風。

13. ・香一:香炉からのぼるひとすじの煙。寂寞感を強調する。

14. ・碧天雲:青空にある雲。この女性の恋人のことを暗示している。後に続く「無定處」からそういえる。

15. ・無定處:寄る辺がない。一ところで留まらないで、あちらこちらに移りゆく。この女性の恋人の行動でもある。

16. ・空有:ただむなしく…のみあるだけだ。

17. ・夢魂:夢の中にいる魂。夢を見ている魂。婉約詞ではよく使われる語。

18. ・來去:やってくる。動きを表す。

 

19. ・夜夜:よごと。

20. ・綠窗:女性の部屋の窓。

21. ・風雨:あらし。ここでは、帰ってくるのを待っている女性の心の中を吹きすさぶ嵐のこと。

22. ・斷腸:非常な嘆きをいう。

23. ・君:人に対する尊称。ここでは恋しい人のこと。

24. ・信否:信じるだろうか。 ・否:主として文末に付き、疑問文にする働きがある。

 

  唐の生活

 

公主たちは封戸からの収入あるいは国が支給する銭、絹によって生活した。その生活状況はどうであったか。玄宗の開元年間を例にして大雑把な統計を出してみたい。租庸調制の規定では、壮丁一人当り毎年租として粟二石、調として絹綾等二丈、綿三両を納付した。もし公主たちが一人当たり食実封千戸を給され、また戸ごとに三人の壮丁がいたとすれば、公主の収入は毎年粟米六千石、縞等六千丈、綿九千両ということになり、彼女たちが賛沢三味の生活を送るに充分であった。この数字はおよそ各時期の公主たちの収入の中等以上の水準を表している。それ以前の中宗の時代、太平公主たちの収入は、この数字をはるかに越えていたようである。玄宗は公主たちの収入が多過ぎたので、彼女たちに「倹約を分からせ」ようとして、削減を行った。唐の後期になると国家財政は困窮し、公主たちの収入もおのずからかなり少なくなった。

 

ここで述べたのはただ正規の収入だけであって、公主たちにはまた別途の収入源があった。その一つは皇帝の賞賜である。同昌公主が嫁に行く時、父乾宗は宮中の珍宝をことごとく嫁入道具として持たせてやった。こうした種類の収入は値うちの計りようがない。第二は詐取強奪である。公主たちは常に大荘園主であったから、多くが田園、破鐘(水車、又は畜力による石臼)を経営したり、高利貸をやって利を謀ったり、あるいはあからさまに権勢を振って他人の財産を強奪したりした。太宗の時、大臣たちは公主が高利貸をやって十分の一もの高利を取っていることを非難したことがあった。また太平公主らの封戸に対する過分の搾取は、大臣たちに「刻剥、過苦きなり」といわれた(『旧唐書』高季輔伝)。強奪による収入はおそらく封戸の納める税収より多かったに違いない。この種の風潮があったため、「皇帝の賜金の外に、寵愛を悼んで私利を謀ることをしない」とか、「租税収入以外に人と利を争わない」(『全唐文』巻六三一、呂温「大唐故紀国大長公主墓誌銘」)といったことが公主たちの美徳になった。このような合法的収入や非合法の掠奪によって、公主たちの大部分は豪奪な生活を送っていたのであった。

 

唐代の公主のなかで、最も高貴を鼻にかけて傲り高ぶり、最も横暴極まりないことを行った者として、太平公主、安楽公主、長寧公主の三人を数えることができる。太平公主は武則天の愛娘であることを悼み、また中宗、容宗を擁立した功績があったので、その権勢は天下を傾けるばかりか、富は帝王に等しく、また政治、経済の力も公主の中で最大のものとなった。彼女の所有する田園は京畿のいたるところにあり、陳右(甘粛省蘭州、筆昌一帯)の牧場には一万頭に上る馬があり、家の中には珍奇な宝物が無数にあり、また美しい絹の衣裳を着た侍女が数百人もいた。彼女が権勢を失い死を賜った時、家産は没収されたが、その時発見された財宝は山のごとくであり、皇帝の内庫の宝物を越えていた。牧舎の羊、馬、土地からの利息収入などは数年間にわたって調査し国庫に収めたが、それでもなお尽きなかった。安楽、長寧の両公主は中宗と喜后の娘であり、両親の寵愛を悼んでほしいままに土地、財宝を強奪し浪費の限りを尽した。安楽公主は人を派遣して珍しい鳥の羽や、獣の毛を集め「百島毛裾」(無数の羽毛で織ったスカート)をつくり、その一枚は一億銭にも値した。彼女は民田十九里四方を強奪して定昆池という池を掘り、石を積んで山となし、水を引いて谷川を造った。また珍しい石や宝石で飾り立て、天下第一の壮農さを極め、そのありさまは宮廷の禁苑を越えていた。彼女はまた、一般民衆の家屋を取り壊して大規模な自分の役所を作り、そのため宮中の内庫の貯えを空にしてしまった。長寧公主は両京(西都長安、東都洛陽)で民田を占拠して邸宅を作った。東都にあったその一邸宅は都城一〇八坊中の一坊を占め、そのうえ三百畝の広さの池があった。

長安にあった一邸宅は、二十億銭にも値した。彼女たちの夫も賛沢な生活をし、こともあろうに地面に油を浸みこませたポロの球場を作るほどだった(安楽公主の夫武崇訓。『新唐書』外戚伝)。公主たちはまた一般民衆の子女を掠奪して奴脾忙したり、民を使役して大いに仏寺をつくったので、当時の大臣から皇帝に報告され、「人の力を噺耳人の財を献じ、人の家を奪う」(『資治通鑑』巻二。九、中宗景龍二年)と指弾された。
 

これ以後の公主たちの権勢はこれほど膨脹したことはなかったが、しかし賛沢の風潮はなお遍く行き渡っていた。玄宗の時代の公主たちは賛沢な料理を献上し、「一皿の料理が十戸分の中等の家の資産を越える」(鄭処萬『明皇雑録』補遺)といわれるほどだった。徳宗の貞元年間、義陽、義孝の両公主は、それぞれ墓地に百余間もある嗣堂(先祖の霊を祭る堂)をつくり、銭数万縛(一緒は銅銭一千枚)を費やした(『旧唐書』李吉甫伝)。同じ時期、十一人の県主が同時に嫁に行ったが、それぞれ三百万銭を支給した。これにはまだ衣服、装身具の費用は入っていなかった。皇帝がこの費用を計算させたところ、花柄の装身具一能だけで一人につき七十万銭であった。徳宗は、これは浪費に過ぎるといって三万に減額した。しかし残った六十余万銭もそれぞれ県主たちに与え嫁入り費用にしてしまった(『旧唐書』徳宗順宗諸子・珍王誠伝)。公主のうち、賛沢さで有名な人物としては、乾宗の愛娘同昌公主をあげねばならない。彼女の部屋の扉や窓はすべて珍宝で飾られており、井戸の囲い、薬を調合する臼、食器入れ、水槽、それに鍋、魂、ひしゃく、盆などは金や銀で作られ、ザルや龍、箕は金を散りばめ、床は水晶、瑠璃で飾り、食器類は五色の玉器でつくられていた。さらにまた連珠帳(珠を連ねた帳)、却寒簾(防寒用カーテン)、鶴鴇枕(雉の羽でつくった枕)、劣翠匝(ひすいの箱)、火蚕綿(四川の茂県産の良質綿)、九玉鋏(九つの玉のついた替)、龍脳香(香料の一種)などの各国から献上された珍宝もあった。公主が家で食べる料理も珍味で貴族さえ知らないほどのものであったが、公主の方はそれを糟や糠のように粗末にした一説によると、彼女の死後家中の器物を一緒に焼いたが、人々は争って灰の中から金銀珠玉を拾ったそうである。彼女の豪勢で賛沢な様は、人々から漠王朝以来のどの公主にもいまだなかったことだと噂された(蘇顎『杜陽雑編』巻下、『太平広記』巻二三七)。公主たちの豪賓の風は一般的となり、また常に彼女たちは世間で不法、横暴を働いたので、代々の皇帝たちも常に頭痛の種と感じ、それを制限せざるをえなかった。文宗の時、帝は公主たちがあまりに華美で高価な装身具を身につけることを厳禁した。ある時、帝は宴会の席上で延安公主の衣服の裾が広すぎるといって即座に追い返し、その夫に罰として二カ月分の減俸を行った(『旧唐書』后妃伝下)。徳宗の娘の義陽公主はみだりに横暴な振舞をしたので、徳宗から宮中に監禁された。稼宗の娘の安康公主なども、宮廷の外で騒動を起こしたので、宮中に連れもどされて住まわされた。

 

應天長 二首其二

26. (寵愛を受けている時の約束も、それをうしなえば、男心が離れていくのは容易なことだ。こんな時でも、寵愛を受けるため思い続けていくと詠う。)その二

27.【解説】妃嬪は君王などの髪の毛を数本切り、自分の髪の毛と結び、 「永結同心(永遠に心を結ぶ)」んで寵愛の長く続くことを誓った。しかし、一旦寵愛を失えば、戻って来ることはない。しかし、深い情をもったまま生きていくという。。

・應天長:詞牌の一。花間集 には韋莊の作が二首収められている。双調五十字、前段二十七字五句四仄韻、後段二十三字五句四仄韻で、❼❼3❸❼/3❸❻❻❺の詞形をとる。

應天長二首其一

綠槐陰裏黄鶯。深院無人春晝

畫簾垂、金鳳。寂莫綉屏香

碧天雲,無定。空有夢魂來

夜夜綠窗風。 斷腸君信

 
  

  
 

應天長 二首其二

別来半歳音書  一寸離腸千萬
難相見  易相別 又是玉楼花似 

 暗相思 無虚説  惆悵夜来煙
想得此時情  涙沾紅袖

  
  
 

   
  

 

別来半歳書絶、一寸離腸千萬結。

「千萬結」と約束し、同心結を残してくれて、ちょっとだけ離れるだけだからということで、別れて半年たつというのに、消息をしらせることが断たれた。

28. ・音書 おとづれの手紙。消息。便り。信書。

29. ・一寸離腸 一寸は心についていう。一寸心、寸心、方寸など皆同じ。心はほんの少しも離れていない。腸は性的な結びつきを云うので、心の結びつきではない。最近は全く性交をしなくなったという意味。

30. ・千万結 心がはなはだしく結ばれていると男が云った言葉であること。

○同心猶結 男女が別れの際などに愛の誓いのしるしとして、解けないように固く結ぶ佩び紐、髪の毛の結び方をいう。通常は、佩び玉を腰に着けるようにぶら下げることが多い。時代映画などで、妃嬪は君王などの髪の毛を数本切り、自分の髪の毛と結び、 「永結同心(永遠に心を結ぶ)」を願うということ。

 20-534《望遠行二首,其一》十巻 李珣Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-717-20-(534) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5132

 

難相見。易相別、又是玉楼花似雪。

立場上、今、逢うのは難しく、別れていることは容易だという。そして、今年もまた、玉楼に花が雪のようにふき散る晩春となってしまう。

31. ・花似雪 花の白いのは梨・杏などをいうことが多く、晩春になることをいう。韋荘の浣渓沙詞「隔膳梨雪又玲瀧」、清平楽詞「鮎雨罪霧梨花白」、温庭筠の菩薩蛮詞「茶花含霹団春雪」など。

 

暗相思、無虚説、惆悵夜来煙月。

思えば思うほど暗い気持ちになるし、嘘をつかれたと思いたくない。恨み嘆いて、夜になると、涙で、見るのはおぼろ月だけだ。

32. ・虚説 根拠のないうわさ。紛らわしい虚偽欺騙 ・ ぺてん ・ 瞞着 ・ 誤魔化し ・ ごまかし ・ 胡魔化 ・ 虚偽 ・ 欺瞞。この語は處説となっている本もあるが、韻から、意味の上でも、虚説が正しい。

33. ・煙月 朧月というのは、月は女性でそれを隠すくのが男で男との交わりがない女性をしめす。

34.  ・惆悵 失意のさま。恨み嘆くこと。恨み嘆くさま。「流水の湲湲たるは―の響をなす」

 

想得此時情切、 涙沾紅袖

こんなときでも、妃嬪としてのふかいなさけをおもい寵愛を再び受ける事だけを思う、しかし、毎夜、涙がとめどなく紅の袖をしとどにぬらして、カビの斑点が出てしまう。

35. ・情切 切情:ねんごろの心になる。ふかいなさけ。

36. ・  黒みがかった黄色.涙で色が濃くなったことを云う。はウツ。梅雨で衣服が湿って黴や班点がつくさまをいうときに用いられる。
 

 

古来、宮中にはいわゆる「内職」という制度があった。『礼記』「昏義」 に、「古、天子は、后に六宮、三夫人、九嬪、二十七世婦、八十一御妻を立て、以て天下の内治を聴く」とある。唐初の武徳年間(618626)に、唐は隋の制度を参照して完壁で精密な「内官」制度をつくった。その規定では、皇后一人、その下に四人の妃(貴妃、淑妃、徳妃、賢妃各一人)、以下順位を追って、九嬪(昭儀、昭容、昭媛、修儀、修容、修媛、充儀、充容、充媛各一人)、捷好九人美人九人、才人九人、宝林二十七人、御女二十七人、采女二十七人が配置される。上記のそれぞれの女性は官品をもち、合計で122人の多きに達した。皇后だけが正妻であり、その他は名義上はみな「妃嬪」-皇帝の妾とされた。

また、皇太子の東宮にも「内官」があり、太子妃一人、その下に良娣、良媛、承徽、昭訓、奉儀などの品級があった。諸親王の王妃の下にも孺人【じゅじん】等の媵妾【ようしょう】の身分があった。

唐代三百年間に封ぜられた后妃のうち、皇后と地位が比較的高いか、あるいは男子を生んだ妃嬢だけが史書にいささかの痕跡を残した。その他の女性は消え去って名も知れない。『新・旧唐書』「后妃伝」 には、全部で二十六人の皇后、十人の妃嫁が記載されている。その他で史書に名を留めているものはおよそ五、六十人である。その内、高祖、玄宗両時代の人が最も多い。高祖には竇皇后の他に、万貴妃、ヂ徳妃、宇文昭儀、莫嬢、孫嬢、佳境、楊嬢、小楊嬢、張捷好、郭妊婦、劉捷好、楊美人、張美人、王才人、魯才人、張宝林、柳宝林などがいた。玄宗には王皇后、楊皇后、武恵妃、楊貴妃、趨麗妃、劉華妃、銭妃、皇甫徳儀、郭順儀、武賢儀、董芳儀、高娃好、柳娃好、鍾美人、慮美人、王美人、杜美人、劉才人、陳才人、鄭才人、闇才人、常才人などがいた。もちろん史書に名を残せなかった人はさらに多い。史書の記載から見ると、高祖、玄宗両時代の妃嫁がたしかに最も多かったようである。

 

 

 

b.荷葉盃【字解集】

荷葉杯 二首其一

1. (絶世の美人を後宮に召した国は必ず頽廃し、傾国する。美女を送り出したものは思い偲んで、空虚な生活になると詠う。)

2. 【解説】 荷葉杯というのは教坊曲で、秋、蓮をとる季節の乙女の心持を詠うものである。『花聞集』には韋莊の作が.二首収められている。双調五十字、前段二十五字五句二仄韻三平韻、後段二十五字五句二仄韻三平韻で❻❷⑤⑦⑤/❻❷⑤⑦⑤詞形をとる。

 荷葉杯 二首其一

絶代佳人難  
花下見無  一雙愁黛遠山
不忍更思

閒掩翠屏金 

羅幕畫堂
碧天無路信難  惆悵舊房

 

 

 ○▲


 

3. 傾国 絶世の美女。ここは、権力者が無理やり奪ってきて女にうつつをぬかした結果、国を傾けた。施政者の姿勢を云うもの。①荷葉盃という題から、②絶代佳人、③傾国という条件から、四大美女、呉越の西施ということである。西施は、採蓮の際、素手、素足で水辺にいたのをスカウトされ、呉の国を傾国する要因とになった。傾国と云え馬、次の詩であろう。

漢の武帝の寵臣、名歌手として知られた李延年の歌、

北方有佳人,

絶世而獨立。

一顧傾人城,

再顧傾人國。

寧不知傾城與傾國,

佳人難再得。

「北方に佳人有り、絶世にして独立す。一たび顧みれば人の城を傾け、再び顧みれば人の国を傾く」に基づく。李延年は自分の妹を「傾国の美女」として武帝に勧めた。後にその妹は「李夫人」となる。

白居易「長恨歌」、李商隠「柳」「北斉二首其一」(小燐)にもみえる。国を傾けるほどの美人という意味にマイナスの意味を感じない中国人的表現である。美しいことへの最大限の表現であるが、結果的に国を傾けてしまうことを使うとよくないことを暗示するのが日本的であるのかもしれない。しかし、西施についても李延年の妹「李夫人」についても後世の詩で、ただ美人だけの意味では使用していない。趙飛燕について、家柄が低い家系である後に、平民に落とされたものに比較したこと、貴族社会で最大の屈辱であることは理解できる。李延年も兄弟、趙飛燕の姉妹、北斎の小燐も姉妹で寵愛された。

4. 見無期 会う機会がない。期は時と場所を決めて会うこと。

5. 遠山眉 愁いを帯びた女性の美しい眉。遠山は遠近法で薄い青山である。

6. 金鳳 犀風に金泥で描かれた鳳凰。つがいで描かれる。

7. 残夢 夢から覚める。残は損なわれる、さびれる。

8. 旧房櫳 かつて愛妾が住んでいた時の閨の連子窓。櫳は囲われた女を意味する語でもある。

 

 

9.【解説】

この詞は、呉越の絶世の佳人、四大美人の西施を詠懐したうようにして、韋莊が蜀主王建に奪われた愛妾を偲んで、詠んだものとわれている。前段は、絶世の美女愛妾とは二度と会えない非痛な思いを述べているとされ、後段は、その愛妾の閏には昔のままに調度品が置かれていることを言う。ものがたりとして、中国人らしいこじつけである。詞では通常、別れ去った男を女が遙かに偲ぶ形を、男の目から見るものが一般である。ここではどちらからの眼というのではなく、客観的にみて、男女、たがいを偲ぶものとおもう。韋莊のもとの愛妾は、後にこの詞を耳にして、自ら食を絶って命を終えたと伝えられている。しかし、韋莊の愛妾は、彼が蜀に入る前に既に亡くなっており、この詞を王建に奪われた愛妾を思っての作とするのは無理なこじつけにすぎないのである。詩の内容も全くこじつけそのものである。閨怨詩というのは机上の詩で現実感はなく、教坊曲であること、韋荘の女とはいえ通っていた娼屋がそのままに部屋を置いておくわけもなく宴席での皮肉ということである。

 

10.韋莊

836910)、字は端己、京兆の杜陵(陝西省西安市の南郊)の人。中唐の詩人韋応物の玄孫で、宰相韋見素の孫。父母を早く失い、家は没落、貧に苦しんだ。五十代に入ってから、数年間、広く長江の中、下流域を渡り歩き、何度も科挙に落第した末、昭宗の乾寧元年(894年)、59歳でようやく進士に及第(高等文官試験)に合格し、校書郎に任じられた。66歳で四川省にいた王建が叛乱を起こしたので、朝廷では李詢を正使、韋荘を補佐として宣撫に赴かせたが、ほどなくして唐が亡び、王建が前蜀の帝を称えると、韋荘はそのまま王建に仕え、王建が前蜀王朝を建てるのに協力して、吏部侍郎・同平章事に任ぜられた。宰相にまで昇進している。前蜀の都は成都にあり、韋荘はその郊外の、かつて杜甫が住んでいた浣花草堂を修復して、自分の庵にした。温庭筠と並んで温韋と併称され、晩唐期を代表する詞人である。韋莊の詞は率直明快さを特色とし、『花問集』 には48首の詞が収められている。

 

荷葉杯二首其二

11.(初めて娘と話をし、好きになったけれど、美しい娘は後宮に召されるということで別れてしまったそれからというもの音信不通のまま逢うことはできないと詠う。)

12.【解説】 韋莊が蜀主王建に奪われた愛妾を偲んで、詠んだものとわれている。前段は、初めての出会いから、楽しい時を過ごしたこと。後段は、絶世の美女愛妾とは二度と会えない非痛な思いを述べていて、荷葉盃二首は、王建に奪われた愛妾を思っていることを言うということで読むと興味深いものになる。実際には、この事件を暗示させるだけで、宴席で笑い話のように詠ったものである。

荷葉杯というのは教坊曲で、秋、蓮をとる季節の乙女の心持を詠うものである。『花聞集』には韋莊の作が.二首収められている。双調五十字、前段二十五字五句二仄韻三平韻、後段二十五字五句二仄韻三平韻で❻❷⑤⑦⑤/❻❷⑤⑦⑤詞形をとる。

同題の溫庭筠 単調二十三字、六句四仄韻二平韻で、❻❷③❼❷③の詞形であり、顧夐の作、九首は、双調二十六字、前段八字二句二仄韻、後段十二字四句四平韻で、❷/⑤⑦③③の詞形をとり、三者三様の詞形としている。

荷葉杯 二首其一

絶代佳人難  
花下見無  一雙愁黛遠山
不忍更思

閒掩翠屏金 

羅幕畫堂
碧天無路信難  惆悵舊房

 

 

 ○▲


 

荷葉杯二首其二

記得那年花 

初識謝娘

水堂西面畫簾 攜手暗相

惆悵曉鶯殘 

從此隔音

如今倶是異鄕 相見更無

  

 

 


  

13. ・記得:(俗語・現代語)…を覚えている。(「記」は、覚えている。記憶している。

14. ・那年:(俗語)あのとし。彼(か)のとし。

15. ・花下:花のもと。花底。行楽、酒宴を意味する。

16. ・初識:はじめて知り合ったとき。 

17. ・謝娘:ここは、娘に声をかけて話をする。「あの女性」の意。固有名詞ではあるが、詞では、若くて美しい女性を指す。乙女。マドンナ。

18. ・水堂:水辺の建物。

19. ・畫簾:綺麗に彩色を施した簾。えすだれ。

20. ・攜手:手を持つ。時を共にする際の導入語である。手をたずさえる。閨へエスコートする。 

21. ・相期:時間を決めて会うことを心に定める。この頃の情事は夜から日が昇前までを期す。

22. ・惆悵:恨み。 

23. ・曉鶯:明け方に鳴き始める鶯の声。 

24. ・殘月:沈みかけの月。有り明けの月。曉鶯殘月は、この頃は男は日が昇前に帰るもので、名残月(下弦の月)もその様子をいうもので、男が独り寝で、明け方まで悶々としているということではない。

25. ・從此:(…て、)それ以来ずっと。 

26. ・隔音塵:消息、通信がないこと。音塵は、音信、たより。

 27. ・如今:いま。 

28. ・倶是:ともに これ。是は、ここでは、接続詞、副詞の語尾として使われている。

29. ・異鄕人:異郷の人。遠く離れてしまったことを云う。後宮に入ったため、異郷にいる人である。

30. ・無因:便りがない。寄る辺がない。無由。

 

 

c.清平樂四首【字解集】

淸平樂四首其一

1. (世の中が清らかに治まっていることを詠う詩譜)

2. 詞譜の一。詞の形式名。双調。四十六字。平韻相互の換韻。花間集巻第二所収。

春になって、行楽しようとたずねてみたが女はどこ得行ったのか黙って居なくなっている。残されたのは衣擦れの音と増水した川に架かる橋だけであった。

 淸平樂四首其二

野花芳  寂寞關山
柳吐金絲鶯語  惆悵香閨暗
羅帶悔結同  獨凭朱欄思
夢覺半床斜月  小窗風觸鳴

●○○●  ●●○○●

●●○○○●●  ○●○○●●

○●●●○○  ●△○○△△

△●●○○●  ●○△●○○

 

何處遊女、蜀國多雲雨。

好きだったあの游女はどこにいったのだろうか。蜀の国に降る雨は「朝雲暮雨」の言い伝えどおり雨が多いのは、巫女の化身だからだ。

3. ・何處:どこにいるのか。

4. ・遊女:あそびめをさすが、蜀、雲雨を受けて、巫女、巫山の道教の祠には、生活のため生きていくため、女性が集まって売春を行った。その中にはアイドル的女冠子、巫女、もいた。

5. ・蜀國:蜀の国。ここの巫山県の東部に巫山がある。「巫山雲雨」で男女の交情をいう。現・四川省のこと。

6. ・多雲雨:多情である。雲雨:男女の交情をいう。楚の襄王が巫山で夢に神女と契ったことをいう。神女は朝は巫山の雲となり夕べには雨になるという故事からきている。

宋玉『高唐賦』によると、楚の襄王と宋玉が雲夢の台に遊び、高唐の観を望んだところ、雲気(雲というよりも濃い水蒸気のガスに近いもの(か))があったので、宋玉は「朝雲」と言った。襄王がそのわけを尋ねると、宋玉は「昔者先王嘗游高唐,怠而晝寢,夢見一婦人…去而辭曰:妾在巫山之陽,高丘之阻,旦爲朝雲,暮爲行雨,朝朝暮暮,陽臺之下。」と答えた。「巫山之夢」。婉約の詩詞によく使われるが、千載不磨の契りといった感じのものではなく、もっと、気楽な契りをいう。

杜甫『水檻遣心二首』其の2 「蜀天常夜雨,江檻已朝晴。葉潤林塘密,衣幹枕席清。不堪支老病,何得尚浮名?淺把涓涓酒,深憑送此生。」楚の懐王が巫山の神女と夢のなかで交わった故事を連想させるが蜀では夜雨が降る。

李商隠『細 雨』「帷飄白玉堂、簟巻碧牙牀。楚女昔時意、蕭蕭髪彩涼。」(やわらかに風に翻るとばりは、白い玉の輝く堂を包んでいる。あるいは竹の敷物は、冷やかに碧く光る象牙の牀に拡げられている。巫山の神女はその身をささげたあの時の気持ちを秘めて今もいる、粛々と黒髪を一層色濃くし涼やかにしている。

7. ・無覓處:探しようがない。漂いやがて消えてゆくガスのような雲なので、探しようがない。

8. ・花解語:花は言葉がわかる。美しい女性を暗示している。婉約詞では、美しい女性を「解語花」(言葉を解する花)という。

9. ・雲解有情花解語:雲は男の情で、それを解して花はおんなの言葉で、情が深くてやさしく美しい女性たちはよくわかる。

10. ・窣地:突然と風音のもの寂しさが地を這うところから、にわかに、突然。

11. ・綉羅:ぬいとりのあるうすぎぬ。女性の身にまとう衣装の布地。

12. ・金縷:金糸の(刺繍)。

 13. ・妝成:よそおいがなる。身繕いができあがる。

14. ・不整金鈿:金のかんざしなどの髪飾りがゆがんで。

ここは白居易の「長恨歌」の「雲鬢半偏新睡覺,花冠不整下堂來。」をふまえていよう。

15. ・含羞:はじらいながら。

16. ・待月:月の出を待つ。明るくなるのを待つ。ここでは月はおんなをいみするので「待女()」意味になる。

17. ・鞦韆:ブランコ。妓女の遊具。

 18. ・住在:…に住んでいる。

・綠槐陰裏:青々と茂ったエンジュの木陰で。裏:なかで。男が女の棲んでいるところに通うのが当時の情交の基本であって、どこを探しても女がいない。増水した水の揺れを男女の情交として見ている。

19. ・門臨:門は…に面している。

20. ・春水橋邊:雪解けの水が増水している春の川の流れに架かった橋のたもと。春水は男女の思いと情交を比喩するものである。

淸平樂四首其二

21.(世の中が清らかに治まっていることを詠う詩譜:寵愛を失って幾度も過ぎる春を見替えやがてその春も過ぎゆき、秋風が胡弓琴の音に聞こえると詠う)

22. 【解説】妃嬪は身を九重(天子の宮殿)に置き、はなはだ高貴であるように見えるが、じつはただの皇帝家の家碑に過ぎず、衣食の心配がなくたいへん幸福のように見えるが、じつは人間の尊厳を最も残酷に破壊された人々であった。宮廷においては、少数の地位の高い后妃の他は、万単位で数えられる普通の宮人であり、唐代では「宮女」「宮娥」「宮婢」などとも呼ばれていた。彼女たちは長安にあった三大皇宮(太極宮、大明宮、興慶宮、)と東都洛陽にあった大内(天子の宮殿)と上陽の両宮殿、及び各地の離宮〔芙蓉苑〕、別館、諸親王府、皇帝陵、宗廟にそれぞれ配属されていた。離宮は、避暑地であったり、越冬の暖地であった。皇帝陵、宗廟などは公園の中であったから関山道という表現も出てくる。

唐教坊の曲、詞譜の一。花間集には韋荘の作が四首収められその二首目。詞の形式名。双調。四十六字。平韻相互の換韻。花間集巻第二所収。双調四十六字、前段二十二字四句四仄韻、後段二十四字四句三平韻で、❹❺❼❻/⑥⑥6⑥の詞形をとる。

当時の女性は二十代後半以降は独りになってしまうのがほとんどで寂しい老後を迎えるのがふつうであった。

(改訂版)-18韋荘96《巻2-46 淸平樂四首其一》

何處遊  蜀國多雲
雲解有情花解  窣地綉羅金
妝成不整金  含羞待月鞦
住在綠槐陰裏  門臨春水橋

  
  
  
  

(改訂版)-19韋荘97《巻2-47 淸平樂四首其二》

野花芳  寂寞關山
柳吐金絲鶯語  惆悵香閨暗
羅帶悔結同  獨凭朱欄思
夢覺半床斜月  小窗風觸鳴

  
  
  
  

23. ・寂寞:寂しげである。 

24. ・關山:①関所と山々。②郷里に入る境をめぐる山々。ふるさと。③潘鎮の名。花間集では②の意味がおおい。関山月:漢の横笛曲に名。

故郷を離れて、後宮に入るが、寵愛を受けたのも若い時である。数多くいる妃賓として、わずかな寵愛の機会を求めて生きてゆく。この二句は、春が来て、自分が後宮にあがるときに見た光景を思い出して、今見ている、閉鎖された御殿の景色、あるいは、配置された御陵、皇廟からみるけしをいうのか、「關山道」に現実感がない。

25. ・柳吐金絲:ヤナギが黄金色の新芽を出す。 

26. ・鶯語早:ウグイスが春を告げる時期が早くなったかのように感じる。

27. ・惆悵:うらめしい。うらみがましい。 

28. ・香閨:女性の部屋。 

29. ・暗老:密かに老いてゆく。

30. ・羅帶:うすぎぬの帯。 

31. ・悔:くやまれる。 

32. ・結同心:永遠の愛を誓って、二人の髪の毛の数本を抜き、結び模様にし、帯の中に縫い付ける。性的な交渉を前提にしたもの。

薛濤『春望詞四首 其三』「風花日將老,佳期猶渺渺。不結同心人,空結同心草。」(風花 日に將に老いんとする、佳期 猶は渺渺。同心の人とは 結ばれず、空しく 同心の草を 結ぶ。)

玉台新詠巻十に、銭唐蘇小小『歌一首』として次の詩がある。「 妾乗油璧車、郎騎青□馬、 何処結同心、西陵松柏下。」(何れの処にか同心を結ばん)という句がある。

温庭筠 『更漏子』「相見稀,相憶久,眉淺淡煙如柳。垂翠幕,結同心,侍郎熏繡衾。城上月,白如雪,蟬美人愁。」

薛濤『池上雙鳧』「雙棲綠池上,朝去暮飛還。 更憶將雛日,同心蓮葉間。」 (綠池の上に 雙棲【そうせい】し、朝去りて 暮に 飛還【ひかん】す。更に憶ふ 雛を將【やしな】ふの日には、心を 蓮葉【れんよう】の間に 同じうせん。)

○同心猶結 男女が別れの際などに愛の誓いのしるしとして、解けないように固く結ぶ佩び紐、髪の毛の結び方をいう。通常は、佩び玉を腰に着けるようにぶら下げることが多い。時代映画などで、妃嬪は君王などの髪の毛を数本切り、自分の髪の毛と結び、 「永結同心(永遠に心を結ぶ)」を願って、帯や胸元に縫い付けるということ。

 20-534《望遠行二首,其一》十巻 李珣Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-717-20-(534) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5132

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-15韋荘93《巻2-43 應天長二首其二》二巻43-〈93〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5667

33. ・獨:独りだけで。 

34. ・凭朱欄:(窓の)朱色の欄干にもたれかかり、(遠くを見やる)。 *物思いに耽ることを表現する。 

35. ・思深:深く思いを巡らす。

36. ・夢覺:夢から目覚める。 

37. ・半床:牀の半ば。 

38. ・斜月:窓から沈みかかった斜めの位置に来た月光が射し込む。上弦の月から下弦の月の間の月であろうが、部屋の中まで入って來る月であるから満月に近いものであろうが十三から十七の月はこのような詩の場合は用いない。離れている人を偲ぶことを暗示する月は上弦月=希望というものでもあろうか。

39. ・小窗:女のいる部屋の小さな窓。 

40. 鳴琴:琴を鳴らす。近頃は琴を引くことがないので、風切音が胡弓琴のように思えたという、寂しさを強調することを云うものである。

 

 41. 宮  人

 

彼女たちは身を九重(天子の宮殿)に置き、はなはだ高貴であるように見えるが、じつはただの皇帝家の家碑に過ぎず、衣食の心配がなくたいへん幸福のように見えるが、じつは人間性を最も残酷に破壊された人々であった。

宮廷においては、少数の地位の高い后妃の他は、万単位で数えられる普通の宮人であり、唐代では「宮女」「宮娥」「宮婢」などとも呼ばれていた。彼女たちは長安にあった三大皇宮(太極宮、大明宮、興慶宮、)と東都洛陽にあった大内(天子の宮殿)と上陽の両宮殿、及び各地の離宮〔芙蓉苑〕、別館、諸親王府、皇帝陵、宗廟にそれぞれ配属されていた。

 

42. 宮官と職掌

宮廷は小社会であり、宮人の中にも身分の高下貴賎があり、また様々な等級があった。后妃たちに「内官」 の制度があったように、宮人たちには「宮官」 の制度があった。宮官と内官を比較してみると、品階の上で差があったばかりでなく、いくらかの本質的な区別があったようだ。つまり、内官は官と称したが身分上は妃嬪の身分に属すべきもの、つまり皇帝の妾でもあったが、宮官にそうした身分はなく、ただ宮中の各種の事務を司る職員にすぎなかった。当然、これはあくまで身分上のことに過ぎず、彼女たちと皇帝の実際の関係に何ら影響しないことは、ちょうど主人と家碑の関係と同じである。

 

宮官は宮人の最上層にある人々であり、後宮のさまざまな部局に属する職員であった。唐朝の後宮には六局(尚宮局、尚儀局、尚服局、尚食局、尚寝局、尚功局)があり、宮中のすべての事務を管理していた。六局の各首席女官の尚宮、尚儀、尚服、尚食、尚寝、尚功が六部の尚書(長官)になった。六局の下に二十四司を統括し、各司の女官はそれぞれ別に司記、司言、司簿、司闈、司籍、司楽、司賓、司賛、司宝、司衣、司飾、司使、司膳、司醞、司薬、司饎、司設、司輿、司苑、司灯、司制、司珍、司森、司計に分けられていた。またその他に二十四典、二十四掌、及び宮正、阿監、形史、女史など各級の女官もあった。これらの女官には品級・給与が与えられており、彼女たちは礼儀、人事、法規、財務、衣食住行(行は旅行、出張等の手配)などの宮廷事務を担当した(『旧唐書』職官志三)。

 

宮官は事務官であったから、必ずしも容貌とか、皇帝のお気に召すかどうかにこだわる必要はなく、良家の出身で才徳兼備の女性を選びさえすればよかった。著名な才女であった宋若昭は、徳宗によって宮中に召され宮官の首席尚宮に任命された。裳光延の母庫秋氏は婦徳の名が高く、武則天に召されて女官御正に封じられた(『新唐書』蓑行倹伝)。

六局の宮官の他に、宮中には内文学館があり、宮人の中の文学の教養ある者を選んで学士とし、妃嬪宮人に教養、読み書き、算術などを教育する仕事を担当させた。宋若昭は六宮の文学士をも兼ね、皇子、妃嬢、公主、鮒馬(公主の婿)などを教育したので、「宮師」とよばれた。宮人の廉女真は隷書をよくし、宮中の学士に任じられたこともあった(『全唐詩』巻五一九、李遠「廉女真の葬を観る」)。

唐末、李菌が一人の元宮人にあったところ、彼女は自らかつて「侍書家」であったと云った(孫光憲『北夢項言』巻九)。おそらく書に優れていたのでこの職に任命された宮人であったと思われる。

これら宮官の中のある者は晶級が高く、権勢があり、宮中で尊ばれたばかりか、はては外延の官僚さえも彼女たちに取り入って功名を図ろうとした。こうしたことにより、一部の宮人は外朝の政治に関与することもできたが、しかし、彼女たちの身分は所詮皇帝の家婦にすぎなかった。ある皇子の守り役が太宗(李世民)の弟野王に、「尚宮(宮官の長)の晶秩の高い者には、お会いになった際に拝礼をなさるべきです」と諭したところ、野王は「これはわが二番目の兄(李世民)の家稗ではないか。

何で拝する必要があるか?」と言った(『旧唐書』高祖二十二子伝)。この言葉は一語で宮官身分の何たるかを喝破している。

 

淸平樂四首其三

43. 淸平樂其四(公主は王孫の帰りを待つが、もう何年も期待を裏切られる、しかし、世の中には、帰って来る人も帰りを待つ人も、どちらも期待を裏切られている人々は多くいるものだと詠う詩譜)その三

唐教坊の曲、詞譜の一。花間集には韋荘の作が四首収められその二首目。詞の形式名。双調。四十六字。平韻相互の換韻。花間集巻第二所収。双調四十六字、前段二十二字四句四仄韻、後段二十四字四句三平韻で、❹❺❼❻/⑥⑥6⑥の詞形をとる。

当時の女性は二十代後半以降は独りになってしまうのがほとんどで寂しい老後を迎えるのがふつうであった。

(改訂版)-18韋荘96《巻2-46 淸平樂四首其一》

何處遊  蜀國多雲
雲解有情花解  窣地綉羅金
妝成不整金  含羞待月鞦
住在綠槐陰裏  門臨春水橋

  
  
  
  

(改訂版)-19韋荘97《巻2-47 淸平樂四首其二》

野花芳  寂寞關山
柳吐金絲鶯語  惆悵香閨暗
羅帶悔結同  獨凭朱欄思
夢覺半床斜月  小窗風觸鳴

  
  
  
  

 

淸平樂四首其三

春愁南  故國音書
細雨霏霏梨花  燕拂畫簾金
盡日相望王  塵滿衣上涙
誰向橋邊吹笛  駐馬西望消 

  
  
  

  

44. ・春愁:春の物思い。女性のもとに男が訪れないことを悲しむことを云う。 

45. ・南陌:家の正面の門は南側にある。その南にある大きな通りを云う。・陌:道。街路。東西に通じるあぜ道。この道を車に乗って訪れていたので、悲しみを強調するもの。

46. ・故國:ふるさと。 売られてきた女性自身もかえるべき故郷に家がない。

47. ・音書:たより。手紙。音信。男は来ないし、手紙もくれない。 

48. ・隔:へだたる。便りが途絶えてきた。

 

49. ・細雨:こぬか雨。 

50. ・霏霏:雪がしんしんと降っているさま。霧雨がしとしとと降るさま。  魏 武帝 《苦寒行》「谿谷少人民,雪落何霏霏!」(谿谷 人民少なく 雪落つること 何ぞ霏霏たる

51. ・梨花:ナシの花。 

52. ・白:白く咲く。

53. ・燕拂:ツバメが払って触れるように飛び込んでUターンする。ツバメは交尾する時期であり、憐れを誘う語である。

54. ・畫簾:美しい窓のカーテン。 

55. ・金額:金の装飾や縫いとりのある立派な簾額。

56. ・盡日:一日中。終日。 

57. ・相望:見つめている。眺めている。「相」は対象に動作が及んでいる表現。…に。…を。 

58. ・王孫:王族、貴族の子弟。ここでは、(女性の許を離れて旅立っている)男性を指す。男性。王維の『山居秋暝』で「空山新雨後,天氣晩來秋。明月松間照,清泉石上流。竹喧歸浣女,蓮動下漁舟。隨意春芳歇,王孫自可留。」、温庭筠の『楊柳枝』「館娃宮外城西,遠映征帆近拂堤。繋得王孫歸意切,不關春草綠萋萋。 」がある。 

『楊柳枝 之八』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-64-17-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1872

哀王孫 杜甫142  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 140-#3

59. ・塵滿 あの人が来ると来ていた衣の上にずっと身に着けていないからその上に塵が積もっているという意味である。

60. ・衣上涙痕 塵が積もった衣の上に涙がおち濡れたの後に塵が附いて、涙の形が浮き出ているさまをいう。

61. ・橋邊:橋のたもとは、舟と陸の交通の集約されるところ。待ち人を迎えるところ、帰還者は待ち人を探すところで、互いの接点で探す相手がそこにいないことを表す。

62. ・吹笛:笛を吹く。帰ってきても待ち人がいないので、その場で笛を吹く。

63. ・駐馬:馬をとどめて。他の女のもとにきた男は、車か、馬、船で来たということ。 

64. ・西望:帰らぬ人を求めて西を望む。優陽の方になる。西は歓楽を意味する。 一般的には西域に出征した男を思い浮かべることが多い。

65. ・消魂:帰ってきても待ち人が誰もいない。迎えに出ても帰るべき人がいない。深く悲しんで意気を失うこと。

66.

原始時代の母権制がその歴史的使命を果し、その寿命が尽きた時、「男尊女卑」は誰も疑うことのない人の世の道徳的規範となった。エンゲルスは『家族私有財産及び国家の起源』において、この歴史的変化について「女性にとって世界史的意義を有する失敗」といった。この失敗はおよそ「逃れられない劫難」 であり、これはまた人々にいささかの悲しみを感じさせずにはおかなかった。

なぜならそれはずうっと数千年間も続いたのであるから。その時から、中国の人口の半分を占める女性たちは、未来永劫にわたって回復不可能な二等人となり、二度と再び他の半分である男性と平等になることはなかった。かくして、男を生めば「弄璋」(璋をつかむ)といい、女を生めば「弄瓦」(瓦【いとまき】をつかむ。古代、女子が生れると糸巻を与える習慣があった)といった。そこで、「婦は服するなり」「婦人は人に伏すなり」ということになり、「女子と小人(奴僕)は養い難し」とか、「三従四徳」を守れとか、「餓死しても小事であり、貞節を失うことの方が大事だ……」といった価値観が生れた。

中国の女性は、数千年間もこのような哀れな境遇の中でもがき苦しんだのである。ずっと後の今世紀初頭になって、民主革命(辛亥革命)のかすかな光が彼女たちの生活にさしこみ、こうした状況に初めてわずかばかりの変化が生れたのであった。
 

三従四徳

女は幼い時は父に従い、嫁しては夫に従い、老いては子に従うという三従を守り、婦徳、婦言、婦容、婦功の四つの徳を持たねばならない、という儒教の教え。

 

 

唐代三百年間の女性たちは、この数千年来低い地位に甘んじてきた古代女性たちの仲間であった。

彼女たちは先輩や後輩たちと同じように、農業を基本とする男耕女織の古代社会において、生産労働で主要な位置を占めず、経済上独立できなかった。この点こそ、付属品・従属物という彼女たちの社会的地位はどの王朝の女性とも変わらない、という事態を決定づけたのである。しかしながら、唐代の女性たちは前代や後代の女性たちと全く同じだというわけでもなかった。先学はかつて次のように指摘したことがある。「三千年近い封建社会の女性に対する一貫した要求は、貞操、柔順、服従にはかならず、例外はきわめて少なかった。もし例外があるとすれば、それは唐代の女性たちにはかならない」(李思純「唐代婦女習尚考」『江村十論』、上海人民出版社、一九五七年)。筆者は、さらに一歩進めて次のように言うことができると思う。唐代の女性は中国古代の女性たちの中でわりあい幸運な部類であったと。なぜなら、彼女たちは他の王朝、とりわけ明清時代という封建末期の女性たちに比べると、社会的地位はあれほどまでに卑賎ではなく、また蒙った封建道徳の束縛と圧迫もやや少なめであり、まだ比較的多くの自由があった。 

 

清平楽四首 其四

67. (妃嬪は、寵愛を受ける事だけを考えてただ準備をして待つだけで、別れた時の状態をそのまま残し、縁起を担いで待っていると詠う詩譜)その四

この作品は『花間集』巻二にある。妃嬪が寵愛を失うが、毎日寵愛を受ける準備をして待つのだが、春には必ず来ると約束していたので、期待をして待つ。その春も終ろうとしている。寵愛を受けていた時の部屋を出て行った道は掃いたりしていない、帰って来ることを縁起を担いでいるからだと、ただ待つ毎日の悲しさを詠うのである。この詩では最終句の、「去路香塵莫掃、掃即郎去歸遅。」が新しい表現で注目する所だ。

唐教坊の曲、詞譜の一。花間集には韋荘の作が四首収められその四首目。詞の形式名。双調。四十六字。平韻相互の換韻。花間集巻第二所収。双調四十六字、前段二十二字四句四仄韻、後段二十四字四句三平韻で、❹❺❼❻/⑥⑥6⑥の詞形をとる。

当時の女性は二十代後半以降は独りになってしまうのがほとんどで寂しい老後を迎えるのがふつうであった。

(改訂版)-18韋荘96《巻2-46 淸平樂四首其一》

何處遊  蜀國多雲
雲解有情花解  窣地綉羅金
妝成不整金  含羞待月鞦
住在綠槐陰裏  門臨春水橋

  
  
  
  

(改訂版)-19韋荘97《巻2-47 淸平樂其四其二》

野花芳  寂寞關山
柳吐金絲鶯語  惆悵香閨暗
羅帶悔結同  獨凭朱欄思
夢覺半床斜月  小窗風觸鳴

  
  
  
  

(改訂版)-20韋荘98《巻2-48 淸平樂其四其三》
春愁南  故國音書
細雨霏霏梨花  燕拂畫簾金
盡日相望王  塵滿衣上涙
誰向橋邊吹笛  駐馬西望消 

  
  
  

  

(改訂版)-21韋荘99《巻2-49 淸平樂四首 其四》

鴬啼残  綉閣香燈
門外馬嘶郎欲  正是落花時
妝成不畫蛾  含愁濁倚金
去路香塵莫掃  掃即郎去歸

  
  
  
  

68. ・鴬啼 春が来たことを知らせる鶯。今は来てくれないあの人も、仲睦まじく過ごしたころに鶯の啼き声を聞いていたので、きっと思い出してきてくれるという期待を持った語句である。あるいは、春にはきっと行くよという約束、連絡が来ていたものの来てくれないということ。

69. ・残月 この月もあと十日を切ってしまうこと。ここでの残月は晩春の月の後半の月を示す。まだ春で、残り少なくなってきているがもう来ないものとあきらめはしないというほどの意味になる。この初句四字でこの詩の概要をあらわしている。

70. ・綉閣 樓閣の窓や行燈の布張りに刺繍や画がえがかれているもの。綉:刺繍がしてある。縫いとりがしてある。

 

71. ・門外馬嘶 娼屋の一部にこの詩の主人公が居を構えていた。正面の門の外に馬を繫いだのである。

72. ・郎欲別  ○劉郎 別れ去る愛しい男。仙桃を味わった浦島太郎のような人物である劉晨=劉郎である夢心地の状態にある男、何年も訪れてくれなくなっているのでこのようにいう。12年もたっていることと、全く景色が変わって、ここにいる女を含めみんなが全く変わっていたというものだ。 劉禹錫『再遊玄都觀』「百畝庭中半是苔,桃花淨盡菜花開。種桃道士今何歸,前度劉郞今又來。」○阮郎 別れ去って久しく帰らぬ愛しい男。後漢の劉展、阮肇は天台山に薬草を採りに入り、道に迷って仙女に出合い、しばらくともに暮らした。しかし家のことが思い起こされ、帰ってみると、既に数世が過ぎ、見知った人は誰もいなかった。そこで再び山に尋ね入ったが、仙女を探し当てられなかったと言う。以来、阮郎、劉郎は、別れ去る男や別れ去って久しく帰らぬ愛しい男を指すようになった。・檀郎/安仁/潘郎 晋の潘岳のあざな。彼は美男子であり、詩人であったが、妻の死にあい「悼亡」の詩三首を作った。後世、妻の死をなげいた模擬作が多く作られた。潘岳の幼名が檀奴だったので、「檀郎」は夫や恋い慕う男を意味する。・潘岳:安仁。滎陽(けいよう)中牟(河南省)の人。陸機と並ぶ美文の文学の大家で,錦を敷きのべたような絢爛(けんらん)たる趣をたたえられた。ことに人の死を悼む哀傷の詩文を得意とし,亡妻への尽きぬ思いをうたった〈悼亡詩(とうぼうし)〉3首はよく知られる。絶世の美男として,また権門の間を巧みに泳ぎまわる軽薄才子として,とかく話題にこと欠かなかった。八王の乱の渦中で悲劇的な刑死を遂げた。和凝『天仙子二首』其二「洞口春紅飛蔌蔌,仙子含愁眉黛綠。阮郎何事不歸來,懶燒金,慵篆玉。流水桃花空斷續。天仙子二首 其二  和學士凝(和凝【わぎょう】)二十首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」情けの強い男を「潘郎」といい、劉郞、阮郎、檀郎、安仁など色町の女が男をそう呼んだ。

73. ・落花時節 初句「残月」がここにかかってくるのである。

 

74. ・妝成 お迎えする化粧を整え、閨を整えること。

75. ・蛾眉 遠山、柳の葉を眉に書くこと。

76. ・金扉 その家の正面の扉。

 

 77.

天子のために、妃嬪は大明宮六宮、興慶宮、洛陽内裏、上陽宮、離宮、御陵など宮殿陵廟に配置され、寵愛を得ようとそれぞれ努力をすることだけを生きるあかしとしている。美貌、音楽舞踊、芸、文学、裁縫、・・・を競って努力をする。しかしそのまま埋もれてしまうことがほとんどで、漢の陳皇后のようにいずれ寵愛を取り戻せることだけを信じていきていくと詠う。

 

優雅な生活

后妃たちの生活は富貴であり、また賛沢でもあった。彼女たちは衣食の心配の必要はなく、内庫(宮中の資材課)が必要なもの一切を支給した。「唐の法は北周、隋の法を踏襲し、妃嬪、女官には地位に尊卑があったから、その品階によって衣服、化粧の費用を支給した」(『旧唐書』王鉷伝)。唐初以来、国庫が日に日に豊かになると、后妃たちの生活もそれに応じて贅沢になった。玄宗の代になると宮中の生活が贅沢になりすぎたので、皇帝は宮中にあった珠玉宝石、錦柄を焼き捨て、また宮中の衣服を専門に供する織錦坊を閉鎖したことがあった。しかし、いくばくもなく開元の盛世が到来すると、玄宗も初志を全く翻したので、宮中生活はまた華美に復した。玄宗は寵愛した妃嬪に大量の褒美を与えた。王鉷は、毎年百億にものぼる銭、宝貨を皇室に寄進し、専ら玄宗が妃嬪に賜る恩賞の費用とした。そして「三千の寵愛、一身に在り」と称された楊貴妃は、さらに一層贅沢の限りを尽したので、宮中にいた七百人の織物職人が専門に彼女のために刺繍をし、また他に数百人の工芸職人が彼女の調度品を専門に制作していた。また、楊貴妃は荔枝が好きだったので、玄宗は万金を費やすのを惜しまず、昼夜駅伝の馬を走らせ、荔枝を蜀(四川)より長安に運ばせた。詩人杜牧はそれを風刺し、「一騎 紅塵 妃子笑う、人の是れ荔枝来るを知る無し」(「華清宮に過る絶句」)と詠じた。

 

后妃たちの生活は優閑かつ安逸なもので、終日飽食し何もしないで遊びくらした。もちろん、時には彼女たちも形ばかりの仕事をしなければならなかった。たとえば恒例となっている皇后の養蚕の儀式や六宮(皇后の宮殿)での繭を献ずる儀式を主催し参加すること〔-これは天下の婦女に率先して養蚕事業の範を示すことを意味していた〕。玄宗の時代、帝は彼女たちに自ら養蚕をするよう命じ、「女が専門にすべき仕事を知らしめようとした」 ことがあった(『資治通鑑』巻二一三、玄宗開元十五年)。しかし、この仕事も当然ながら身分の賎しい宮女たちに押し付けられたはずであり、本当に彼女たちを働かせることにはならなかったに相違ない。この他にも、また祭祀、帝陵参拝、宴会等の儀式にも参加しなければならなかった。『唐六典』 の内官制度の規定によると、后妃たちにも職務が決められていた。妃嬪は皇后を補佐し、「坐して婦礼を論じ」、「内廷に在って万事を統御する」、六儀(後宮にある六つの官庁)は「九御(天子に奉侍する女官たち)に四徳(婦徳・婦言・婦容・婦功)を教え、傘下の婦人を率いて皇后の儀礼を讃え導く」、美人は「女官を率いて祭礼接客の事を修める」、才人は「宴会、寝所の世話を司り、糸枲のことを理め、その年の収穫を帝に献じる」等々。しかしながら、これらの仕事も大半は形式的なもので、なんら実際の労働ではなかった。形式的な「公職」以外で、彼女たちの生活の最も重要なことは、言うまでもなく皇帝の側に侍り、外出の御供をすることであった。彼女たち自身の私的な生活はと言えば、ただいろいろな娯楽、遊戯を思いついては日時をすごし、いかにして孤独と退屈をまざらわすかということに尽きる。「内庭の嬪妃は毎年春になると、宮中に三人、五人と集まり、戯れに金銭を投げ表裏を当てて遊んだ。これは孤独と苦悶の憂さを晴らすためであった」、「毎年秋になると、宮中の妃妾たちは、美しい金製の小龍に蟋蟀を捉えて閉じ込め、夜枕辺に置いて、その鳴き声を聴いた」(王仁裕『開元天宝遺事』巻上)。これらが彼女たちの優閑無聊の生活と娯楽や気晴らしのちょっとした描写である。

 

 

 

 

 

 

d. 【字解集】

望遠行

1. (韋莊が蜀主王建に愛妾を奪われた、その前夜過ごして夜明け前に別れた、人には別れはつきものであるし、別れれば自由に行動できると自分を慰めて詠う。)

2.【解説】韋莊が蜀主王建に愛妾を奪われることになったので別れることになったという場面

明け方の別れに際し、男は何も勝たず、家を後にする。鶏が鳴き、名残の月が西に傾く情を詠う。後段第四句、人の別れに話すことができなかったが、乗った馬は普段より多く嘶いた。道は春の芳草若草に覆われているとは、外にたくさん女はいるではないかひとりの女に固執することもあるまい、「綠槐千里長堤」前途洋洋ではないか。それにこれからは、「雲雨別來易東西」自由自在に、できる別れはすぐにでもすべきではないか。この四句が、この詩の主テーマである

最後の二句では 「別れた後は、これまでともに過ごしてきた閏に入る気にはとてもなれない」 というが、愛妾は御殿に住むのであるから、韋荘がその閨に往かなければよいのである。別れたけれど心残りがしているというほどの意味であろう。

『花間集』韋莊の作は一首収められている。双調六十字、前段二十四字四句四平韻、後段三十六字七句五平韻の詞形をとる。

欲別無言倚畫  含恨暗傷
謝家庭樹錦雞  殘月落邊
人欲別  馬頻嘶 綠槐千里長

出門芳草路萋萋 雲雨別來易東西

不忍別君後 卻入舊香

  
  
  
 

 

 

 

『花間集』には李珣の作が二首収められており、双調五十三字、前段二十七字四句四平韻、後段二十六字五句四平韻で、⑦⑥⑦⑦/3③⑥⑦⑦の詞形をとる。

春日遲遲思寂寥 行客關山路
時聽語鶯嬌 柳絲牽恨一條
休暈繡 罷吹蕭 貌逐殘花暗

同心猶結舊裙腰 忍辜風月度良

○●○○△●△  △●○○●○

○●○△●○△  ●○△●●○○

△●●  △△○ ●●○○●○

○○△●●○○ ●○△●●○○

2. 欲別 今まさに別れようとする。欲は今にも~しそうだ、の意。

 『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-16韋荘94《巻2-44 荷葉杯二首 其一》二巻44-〈94〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5672

3. 謝家 美女や妓女、あるいは愛妾の棲む家。唐の李徳祐が豪邸を築いて謝秋娘を池のほとりの楼閣に住まわせたことによる。比喩する相手が特定される場合は、晋の謝安であったり、謝靈運、謝朓を示す場合もある。ここは単純に、なじみの女の所をぢて行くこと。いわゆる通い婚であった。韋莊が蜀主王建に愛妾を奪われることになったので別れることになったという場面想定をすると理解しやすい。

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-17韋荘95《巻2-45 荷葉杯二首其二》二巻45-〈95〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5677

4. 錦鶏鳴 錦鶏が崎を吾げる。錦鶏は雉に似た烏。金鷄とも言う。

5. 辺城 長安から見れば、成都は吐蕃と国境を背にする辺境の町の城壁ということ。古代、中国の村や町の多くは城壁に囲まれていた。

6. 槐 マメ科の落葉高木。葉は羽状複葉で、小葉は長卵形。夏に、黄白色の小花が群生して咲き、くびれたさやのある実がなる。中国の原産。庭木や街路樹とし、木材は建築・器具などに用いる。花・実は薬用。きふじ。玉樹。槐樹。土手補強の並木。

7. 芳草路萋萋 旅立った男が旅先で春草(女)に心奪われて帰って来ないことを。『楚辞』招隠士第十二「王孫遊兮不歸、春草生兮萋萋。」(王孫 遊びて歸らず、春草 生じて萋萋たり。)

8. 雲雨別來易東西 愛し合ってきた睦まじい男女の仲も、一たび別れとなれば、たちまち東西に遠く離れ離れになってしまうことを言う。雲雨は男女の情交を指す。宋玉の「高唐の賦」の序に拠れば、楚の懐王は高唐に遊び、巫山の神女と夢の中で情を交わした。神女は別れに当たり 「私は巫山の南、高く険しい所におり、朝には雲となり暮れには雨となって、朝な朝な夕な夕なに、陽台の下におります」と言い残し去ったと言う。以来、雲.雨の語は男女の情交を指すようになった。

9. 不忍別君後、却入旧香閏 あなたと別れた後は、とても辛くてあなたとともに過ごした閏に戻る気になれない、の意。この「君」は一般論のあなた、おまえ。

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