花間集 訳注解説 巻一06 (11)回目温庭筠 《菩薩蠻十四首 其六》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7628

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 2016年11月11日の紀頌之5つの校注Blog 
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花間集 五百首  巻一   温庭筠

 

 

 

 

唐の時、女性論(5地方の官妓

 

各州・府(及び唐代後期の藩鎮)に隷属する官妓についてである。これら官妓には二つの来源があった。一つは、代々「楽籍」に入れられていた、官に隷属する職民の女子であり、他に生きる道はなく、ただ先祖代々の仕事を踏襲して、昔どおりの楽妓となったもの。もう一つは、良民の女子であったがいろいろの原因によって楽籍に落ちたものである。たとえば名妓の薛濤は、元は良家の娘であり、父が仕官を求めて各地を巡るのに付き従っていたが、ついに蜀(四川省)まで流れ来た時、落ちぶれて楽籍に入った。また韋中丞の愛姫が生んだ娘は、兄弟がみな死んだので「身を楽部に委ね、先人を恥辱せしめざるをえなかった(『雲渓友議』巻三)。これらはみな衣食にこと欠いたために楽籍に入らざるをえなかった例である。また、地方長官から良民の身分を剥奪され婢にされたものもあった。

 

これらの女性はひとたび楽籍に入ると、官に隷属する璧となり、その地位は官奴婢とほとんど同じであった。李商隠は「妓席」という詩の中で、「君に勧む〔御指名の際には〕小字(幼名)を書し、慎んで官奴と喚ぶ莫かれ」と述べ、官妓たちが官奴の身分であったことを明らかにしている。

地方官妓は「楽営」の管理下に属していたので、常に「楽営妓人」、「楽営子女」などと呼ばれた。

 

地方官妓はみな藩帥(潘鎮)の統括下に入り、長官が軍事長官の職権を兼ねたので、人々は属下の営妓は軍事長官が軍隊のために設置したもの、と考えたことにあろう。

楽営官妓は、節度使や州刺史などの地方長官が直接に掌握し支配した。彼女たちは一般に楽営に集中して居住し、そこから自由に出ることは許されず、官庁から衣服や食糧の支給を受けていた。

 

そして、いつでも官庁からの呼び出しに応じることができるよう準備していたので、「官使の婦人」とか、「官侯の女子」などと呼ばれたのである。

 

官庁が挙行する各種の祝典宴会・歓送迎会・上官接待などの時に、官府は彼女たちを召集して芸の披露、酒席の接待、夜の相手などをさせた。官妓の大半はみな一定の技芸を持ち、歌や舞い、酒席での遊び、それに管弦楽器の演奏などに長じていた。彼女たちは、一段と大きな権勢を持つ長官に占有される以外は、一般に地方長官の許可なしに客を自由に接待することはできなかったと思われる。しかし、この種の制限も決してそれほど厳格なものではなく、すべて長官個人の好みにかかっていた。

 

温庭筠 

菩薩蠻十四首 其六

(「妻妾」か「買斷」という夢を実現した官妓だが、江南の地に赴任したまま、又春を迎えたが、官僚の男からの便りもなく孤独に春を送る女の悲しみを詠う)その六

寶函鈿雀金鸂鵣,沈香閣上山碧。

高官であるあのお方をまちわびている官妓優が、目をさまし、うつくしい匣枕の引き出しから、鈿雀のかんざしと、金のおしどりにかざられたかんざしを髪に飾ってみる。朝のお化粧をして沈香のただよう樓閣のうえにのぼって、遠い彼方の呉山のみどりを思って眺めやる。

楊柳又如絲,驛橋春雨時。

赴任するあのお方を健康と無事を祈ってお別れをした、その青柳は又芽をふいて、糸のようにほそい枝を風になびかせている。驛亭の橋のたもとにはしっとりと春雨がふって、あのお方はきっと帰って来るかと眺める。

畫樓音信斷,芳草江南岸。

美しい高楼に棲むことを許されているけれど、あのお方からの音信はとぎれたままで、又春が来て、かんばしい草が江南の岸にはまたさきだしている。

鸞鏡與花枝,此情誰得知。
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この侘しい心でいるので、あの方から贈られた鸞鳥を背に彫んだ鏡には「玉容寂寞涙闌干、梨花一枝春帶雨。」といわれた美しい顔がある。こうした生き方をしてゆかねばならない、この心情はだれが察っしてくれるのだろうか。

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寶函【ほうかん】鈿雀【てんじゃく】金の鸂鵣【けいちょく】,沈香【ちんこう】の閣上 山の碧【みどり】。
楊柳 又 絲の如し,驛橋 春雨【はるさめ】の時なり。
畫樓から音信 斷つ,芳草 江南の岸のあり。
鸞鏡と花枝とあり,此の情は誰か知るを得る。

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『菩薩蠻十四首 其六』 現代語訳と訳註
(
本文)

菩薩蠻十四首 其六
寶函
雀金鸂鵣,沈香閣上山碧。
楊柳又如絲,驛橋春雨時。
畫樓音信斷,芳草江南岸。
鸞鏡與花枝,此情誰得知。

 

(下し文)
(菩薩蠻十四首 其の六)

寶函【ほうかん】鈿雀【てんじゃく】金の鸂鵣【けいちょく】,沈香【ちんこう】の閣上 山の碧【みどり】。
楊柳 又 絲の如し,驛橋 春雨【はるさめ】の時なり。
畫樓から音信 斷つ,芳草 江南の岸のあり。
鸞鏡と花枝とあり,此の情は誰か知るを得る。


 (現代語訳)
(「妻妾」か「買斷」という夢を実現した官妓だが、江南の地に赴任したまま、又春を迎えたが、官僚の男からの便りもなく孤独に春を送る女の悲しみを詠う)その六

高官であるあのお方をまちわびている官妓優が、目をさまし、うつくしい匣枕の引き出しから、鈿雀のかんざしと、金のおしどりにかざられたかんざしを髪に飾ってみる。朝のお化粧をして沈香のただよう樓閣のうえにのぼって、遠い彼方の呉山のみどりを思って眺めやる。
赴任するあのお方を健康と無事を祈ってお別れをした、その青柳は又芽をふいて、糸のようにほそい枝を風になびかせている。驛亭の橋のたもとにはしっとりと春雨がふって、あのお方はきっと帰って来るかと眺める。
美しい高楼に棲むことを許されているけれど、あのお方からの音信はとぎれたままで、又春が来て、かんばしい草が江南の岸にはまたさきだしている。

この侘しい心でいるので、あの方から贈られた鸞鳥を背に彫んだ鏡には「玉容寂寞涙闌干、梨花一枝春帶雨。」といわれた美しい顔がある。こうした生き方をしてゆかねばならない、この心情はだれが察っしてくれるのだろうか。
安史の乱期 勢力図 002




(訳注)

菩薩蠻十四首 其六
(「妻妾」か「買斷」という夢を実現した官妓だが、江南の地に赴任したまま、又春を迎えたが、官僚の男からの便りもなく孤独に春を送る女の悲しみを詠う)その六

唐の教坊の曲で花間集には四十一首所収、溫庭筠の菩薩蠻は十四首、双調 四十四字。前段二十四字四句二仄韻二平韻、後段四句二仄韻に平韻で、❼❼⑤⑤/❺❺⑤⑤の詞形をとる。

寶函雀金鸂  沈香閣上
楊柳又如  驛橋春雨
畫樓音信  芳草江南
鸞鏡與花  此情誰得

  
  
  
  

 

寶函鈿雀金鸂鵣,沈香閣上山碧。
高官であるあのお方をまちわびている官妓優が、目をさまし、うつくしい匣枕の引き出しから、鈿雀のかんざしと、金のおしどりにかざられたかんざしを髪に飾ってみる。朝のお化粧をして沈香のただよう樓閣のうえにのぼって、遠い彼方の呉山のみどりを思って眺めやる。
〇寶函 宝函はうつくしい匣の意であるが、枕函(まくら)とか、化粧箱をさす。

〇鈿雀 鈿雀は花鈿(かんざし)雀釵のたぐいであろう。

〇金鸂鵣 金鸂鵣、これも金のおしどりのかんざしである。たからのほう枕のほとりに叙のおちているけしき。夫が居たら考えられない景色というところであろう。
〇沈香閣 全唐詩により閣に改める。ここは美しい楼閣としておそらく陳後主の故事を借りているのであろう。・沈香:〔じんこう〕熱帯や広東省に産する香木の名で、水に沈むからこう呼ばれる。香の名。

山碧 呉山は浙江省杭県にある山名。古来名勝の地として知られる。山上に伍子胥廟があるので青山とも呼ばれる。ここは呉の山々という意かもしれない。
李白『楊叛兒』
君歌楊叛兒、妾勸新豐酒。
何許最關人、烏啼白門柳。
烏啼隱楊花、君醉留妾家。
博山爐中沈香火、雙煙一氣凌紫霞。

漢詩ブログについて、と李白36 楊叛兒と蘇東坡-蘇軾 ⑪江城子 密州出猟

楊柳又如絲,驛橋春雨時。
赴任するあのお方を健康と無事を祈ってお別れをした、その青柳は又芽をふいて、糸のようにほそい枝を風になびかせている。㶚水橋のたもと驛亭にはしっとりと春雨がふって、あのお方はきっと帰って来るかと眺める。
〇楊柳 楊柳はしなやかな女性を示す。大業元年(605年)煬帝は西苑から穀洛二水を引いて黄河へ。板渚から熒沢を経て汴水へ。また汴水を泗に入れ准河に到る運河。及び刊溝を開き山陽から揚子江に入る、大運河工事を起し、その堤に街道を作り、楊柳を一千三百里にわたって植えた。その柳を指す(「隋沓」本紀及び食貨志)。旅立ち別れる男に楊柳を折って健康と無事を祈るのである。


畫樓音信斷,芳草江南岸。
美しい高楼に棲むことを許されているけれど、あのお方からの音信はとぎれたままで、又春が来て、かんばしい草が赴任地の江南の岸にはまた咲きだしていることはわかっているはずなのだ。


鸞鏡與「花枝」,此情誰得知。
この侘しい心でいるので、あの方から贈られた鸞鳥を背に彫んだ鏡には「玉容寂寞涙闌干、梨花一枝春帶雨。」といわれた美しい顔がある。こうした生き方をしてゆかねばならない、この心情はだれが察っしてくれるのだろうか。
〇鸞鏡 鸞鳥を背に彫んだ鏡。ケイ賓(カシミ-ル地方にあった国の名)の王が鷲を飼っていたが三年たっても鳴かなかった。夫人が「鸞はその姿を見たらなく」というので鏡をかけてこれをうつさせたら夜中に鳴き出して死絶したという。よって後世鏡のことを鸞鏡というという。
李商隠『無題』
含情春晼晩、暫見夜蘭干。
樓響將登怯、簾烘欲過難。
多羞釵上燕、眞愧鏡中鸞。
歸去横塘暁、華星送寶鞍。
〇鏡中鸞 金属製の鏡の背面に彫られた鸞の模様が「双鳳文鏡」であり、離ればなれのつがいの鸞がお互いを求め合う姿を彫刻しているものが多い。「鸞鏡」は、愛し合う(時にはなれねばならない)男女の思いを映し出す鏡をしめす。鸞は理想郷に棲む想像上の鳥。羽の色は赤色に五色を交え声は五音に合うという。白楽天「太行路」に鏡中鸞を引き合いにし男女について詠っている。

無題 (含情春晼晩) 李商隠 16

花枝 花のような顔、顔付きを言う。白居易の「長恨歌」に、揚貴妃の悲しみにくれ涙に満ちた風情を形容して「玉容寂寞涙闌干、梨花一枝春帶雨。」(玉容 寂某として 涙 欄干たり、梨花の一枝 春 雨を帯ぶ) 玉のような美しい顔は寂しげで、涙がぽろぽろとこぼれる。梨の花が一枝、雨に濡れたような風情である。」 と言う。


泰山の夕日02


 

1 温庭筠 おんていいん
812頃―870以後)本名は岐、字は飛卿、幷州(山西省大原)の人。初唐の宰相温彦博の子孫にあたるといわれる。年少のころから詩をよくしたが、素行がわるく頽廃遊蕩生活に耽り、歌樓妓館のところに出入して、艶麗な歌曲ばかりつくっていた。進士の試験にも落第をつづけ、官途につくこともできなかった。徐商が裏陽(湖北)の地方長官をしていたとき、採用されて巡官となり、ついで徐商が中央の高官(成通のはじめ尚書省に入る)になったので、さらに任用されようとしたが成らなかった。859年頃に詩名によって特に召されて登用され、国子(大学)助教となった。たが、叙任前に微行中の宣宗に無礼があって罷免され、晩年は流落して終わった。そのため、生歿が未詳である。

集に撞蘭集三巻、金墨集十巻、漢南其稿十巻があったという。かれは晩唐の詩人として李商隠と相並び、「温李」として名を知られている。音楽に精しく、鼓琴吹笛などを善くし、当時流行しつつあった詞の作家としても韋荘と相並んで「温韋」の称があった。その詞の大部分は超崇祚の編した花間集に収載されている。洗練された綺麗な辞句をもちいた、桃李の花を見るような艶美な作風は花間集一派の詞人を代表するもので、「深美閎約」と批評されているその印象的なうつくしさにおいてほ花間集中、及ぶものがないといってよく、韋荘の綺麗さとよい対照をなしている。王国維が花間集に収載する六十六首のほか他書に散見するものを合せて輯した金荃詞一巻があり、七十首を伝えている。 
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