花間集訳注解説 (104)回目韋莊二十二首-13《巻二40 歸國遥三首其三》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8186

  (104)回目韋莊二十二首-13《巻二40 歸國遥三首其三》 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

 

 

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●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

 

 

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●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

 

 

Ⅲ 杜詩

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767年-集-4字解 【字解集】 a灩澦・ b七月一日題終明府水樓・c行官張望補稻畦水歸 字解集 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8173

 

 

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杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

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杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

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杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

 

 

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

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(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

 

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

 

 

 

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花間集訳注解説 (104)回目韋莊二十二首-13《巻二40 歸國遥三首其三》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8186 (02/16)

 

 

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91)回目皇甫松十一首 《天仙子/浪濤沙/楊栁枝/摘得新/夢江南/採蓮子 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8108 (02/03)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

 

 

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玉集-08 室恩一首・情詩一首 【字解集】   Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 8187

 

 

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玉集-08 室恩一首・情詩一首 【字解集】   Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 8187

 

 

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花間集訳注解説 (104)回目韋莊二十二首-13《巻二40 歸國遥三首其三》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8186

 (富貴のものに嫁いだ、貴族門閥の女性が、自分の若さが失われていくように、貴族門閥の中でも時と共に寂しい思いをして行く様子を詠うもの その3

蝶が戯れ、蜂が花から花へ遊んで廻っている、そんな花がさき爛漫な春が終わろうとしている。離宮・別業である王家の豪邸の池のほとりの楼閣に住んでいるものの、日が西に傾くようにさびしくなってしまうし、柳の枝が揺れもつれ合い、金の糸で結びあっていたものが、それももう絶たれてしまった。眠りから覚めると緑の雲鬟が風に吹かれて乱れてしまう。立派な絵が描かれた屏風は壁に倚り、雲と雨といわれる男女のことも過去の事とどこかへ散り去ってしまった。何にもすることが無く博山爐に静かに寄りかかって長い溜息をつき、涙が流れてこの白いうでに滴り落ちて濡らしたままだ。

 

 

 

 

 

花間集 巻二

 

 

 

 

 

封爵・食実封

唐代の命婦制度では、皇帝の姑母(父の姉妹)を大長公主、皇帝の姉妹を長公主といい、皇帝の娘を公主と称した。公主たちにはみな封号が与えられた。その封号は地名(国名の場合もあれば、郡名の場合もある)によるもの、たとえば代国公主、富国公主、平陽公主、東陽公主など、それに美称によるもの、たとえば太平公主、安楽公主などがあった。皇太子の娘を郡主と称し、また封号として新都郡主、義安郡主などの称号が与えられた。親王の娘を県主と称し、文安県主、東光県主などという封号が与えられた。

 命婦制とは高貴な身分の女性に授与する封号を定めたもの。皇帝の母や妃嬢等に対しては内命婦制が、公主など外朝の男に嫁した者に対しては外命婦制が定められていた。外命婦には国夫人、郡夫人、郡君、県君、郷君の五等級があった。

『新唐書』「諸帝公主伝」と『唐会要』「公主」 の項(以下この二書によるものは出典を省略)の記載によると、唐朝には全部で二二一人の公主がいた(この中には周辺異民族に降嫁させるために、特に公主に封ぜられた宗室の女性、たとえば文成公主などは含まれない)。郡主、県主がどれだけいたのかはわからない。これら公主、郡主、県主はみな皇族李氏の女性であったが、他に武則天の時代に武姓の女性や武則天の愛娘太平公主の娘が県主に封じられたこともあった。

 

公主たちの封号は一種の単なる栄誉の称号であって、何ら実際的な意味はなかった。彼女たちが封じられた国、郡とも何ら関係はなかった。彼女たちの実際の利益、経済収入は、いわゆる「食実封」 によるものである。食実封とは、国家が貴族にいくらかの農戸を封戸として給するものであり、貴族はその封戸から租・調の銭糧や布帛などを徴収して生活の資にした。一般的にいえば、公主が嫁に行く前は宮中での生活物資は、一切宮廷から支給された。降嫁して後は賜給された封戸が衣食の資となった。しかし、およそ玄宗の時代から、まだ嫁に行かない幼い公主にも封戸が賜給されるようになった。唐初の食封制度に照らすと、公主には三百戸が、長公主には最高六百戸が与えられた。高宗の時代になると、武則天の一人娘太平公主は大変な寵愛をうけたので、食封も定額を越え、武則天の周王朝の時には三千戸にもなった。後に中宗が即位すると、太平公主は功績によって五千戸に加増した。中宗の韋后が生んだ二人の娘安楽・長寧の両公主はそれぞれ食封三千戸と二千五百戸に加増し、腹ちがいの娘宜城公主等も二千戸に加増した。これは公主の食実封が最も多い時期である。容宗の時代になると、太平公主の権力が天下で最大となり封戸も一万戸に増え、唐朝の公主のなかで最高の額に達した。

玄宗の時代、公主たちの封戸がひじょうに多かったので、それを削減して長公主等は一千戸、公主は五百戸を限度にした。また与えられる封戸は壮丁(税を負担する成年男子)が一家に三人以内の戸とした(なぜなら、玄宗朝の前に太平公主と安楽公主は競争して、「財産が多く壮丁の多い」富戸を封戸として取り込んだからである)。それ以後、武恵妃が玄宗の寵愛をほしいままにしたので、その娘の成宜公主は一千戸の封戸を賜った。これによって他の公主も一千戸に加増され、以後、これがおよその定制となった。

 

公主たちは降嫁して後も、公主の食封を管理する役所である「公主邑司」を設け、令、丞、録事、主簿等の大小の役人を置いた。これらの役人は公主の封戸から税を取り、田園、倉庫、財物収入などを専門に管理した。玄宗の開元以前は、公主邑司と国家の官吏は一緒に公主の封戸から税を徴収したが、開元年間になると国家が統一して封戸から徴収し、それを公主に支給するように変った。唐の後期になると、食実封はしだいに名目だけになり、国家が直接彼女たちに税収に相当する物資を支給するようになった。たとえば徳宗の貞元年間に「諸公主には毎年それぞれに封物として布南七百端、疋、屯を給す」(『唐会要』巻九〇「縁封雑記」)とした。これは俸禄とほぼ同じであり、国家の供給制となった。

 

郡主、県主もまた降嫁の後に封戸を賜った。たとえば武則天の時代、武姓の県主はみな封戸を持ち、玄宗も裏楽県主等にそれぞれ実封一百戸を与えた(『全唐文』巻三六、玄宗「嚢楽県主等に実封を加うる勅」)。ただすべての郡主や県主に与えたかどうかは不明である。唐の後期にはだいたい国家の供給制に変ったのであり、貞元年間の規定では「郡主、県主の夫が官を罷めた場合は、郡主には四季ごとに七万銭を、県主には四季ごとに五万銭を支給する。夫が死去した場合もこの規定に照らして行う」とした。後にまたこれを改めて、夫が官であるか否かに関係なく、「郡主には四季ごとに銭一百貫(十万銭)、県主には七十貫(七万銭)を支給する」とした(『唐会要』巻六「公主」)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『歸國遙』五首(改訂版)

 

 

作者

初句7字

 

 

溫庭筠

01-21

歸國遙二首 其一

香玉,翠鳳寶釵垂菉簌

 

 

01-22

歸國遙二首 其二

雙臉,小鳳戰蓖金颭豔

 

 

韋莊

02-39

歸國遙三首 其一

春欲暮、滿地落花紅帶雨。

 

 

02-40

歸國遙三首 其二

金翡翠、爲我南飛傳我意。

 

 

02-41

歸國遙三首 其三

春欲晩、戯蝶遊蜂花爛熳。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲《歸國遙三首》韋莊

 

 

 

 

 

11韋荘89《巻2-39 歸國遙三首 其一》

0239 歸國遙三首 其一

(南の故郷が遠いというように、再び寵愛を受ける日は来るのだろうかと詠う)

春欲暮、 滿地落花紅帶雨。

春の盛りは暮れはじめている、地面には、ちり落ちた花でいっぱい敷きこめる、あかい色鮮やかな花びらが雨にぬれている。

惆悵玉籠鸚鵡、單棲無伴侶。

恨み嘆きをこめた奇麗に飾られた鳥かごの鸚鵡がただ一羽でいる、つれあいもなく淋しそうにしている、帰らぬ人を待つさびしい気持ちが愈々募ってくる。

南望去程何許、問花花不語。

ひとり南のかなたを眺めてはあのお方のいるところまでの道のりはどれほどあるであろうかとおもう。蝶や蜂が蕋によってくるから、その花にたずねてみたけど、花は寄ってくるものの事は何もはなさない。

早晩得同歸去、恨無雙翠羽。

思いは近々あのおかたと手を携えて一緒にこの庭に帰ってきたい。恨みごとを言っても仕方がない、南に飛んでゆく翡翠のように二つの翼がないので、ここで、帰って来ることだけを考え、寵愛を受けていたころの事だけを考えていきてゆく。

 

(歸る國は遙かなる)

春 暮なんと欲し、落花 地に滿す 紅帶の雨に。

惆悵して玉籠の鸚鵡、單り棲いして 伴侶無し。

南望して 去りし程【みちのり】は 何許【いくば】くぞ、花に問いて花は語らず。

早晩 同じゅうするを得て歸り去り、恨む無し 雙んだ翠羽を。

 

12韋荘90《巻2-40 歸國遙三首 其二》

歸國遙 三首 其二

(歸ってくる故郷が遠いというのか 三首 其の二  もうカワセミが使者となることもなく、もう何年たっただろう、今年の春も過ぎてゆく、ただ今は、昔の思い出の中に生きているだけだと詠う。

金翡翠、 爲我南飛傳我意。

金の翡翠のかんざしはあのお方からの贈り物、カワセミは冬には南に移動し妃嬪の故郷を思う気持ちを伝えてくれたことだろう、春になって帰ってきたから、今度は、私の使者となって、あのお方に寵愛を得られるようにつたえてほしい。

罨晝橋邊春水、幾年花下酔。

清明節の飾りをした橋に立ち、今年も雪解け水は網で覆いをかけた様に川の水が増水しているながれ、月日の流れは速い。行楽に行って花陰のもと、あのお方と酒を酌みながらよってたのしい日をすごしてから、幾年になろうか、

別後只知相愧、涙珠難遠寄。

寵愛を失い、別れて以来、ただ悔しさを身にしみて感じている。玉の涙があふれるけれど、あのお方に寄せることはあまりに遠いことで困難なことになっている。

羅幕繍緯爲被、舊歡如夢裏。

今は、あの頃の思い出に生きるだけで、それは、部屋には薄絹のとばり、刺繍入りの垂れ絹で寝牀をおおい、そのなかで二人がすごした日々のよろこびは夢のなかだけのことになっている。

 

(歸る國は遙かなる 三首 其の二)

金の翡翠、 我が爲に南に飛び 我意を傳う。

罨晝【えんがく】 橋邊の春水、幾年ぞ 花の下に酔しは。

別後 只だ相い愧ずを知る、涙の珠は遠く寄せ難し。

羅幕 繍緯 被い爲し、舊歡 夢裏の如し。

 

13韋荘91《巻2-41 歸國遙三首 其三》

歸國遙 三首其三

(富貴のものに嫁いだ、貴族門閥の女性が、自分の若さが失われていくように、貴族門閥の中でも時と共に寂しい思いをして行く様子を詠うもの その3

春欲晩、戯蝶遊蜂花爛熳。

蝶が戯れ、蜂が花から花へ遊んで廻っている、そんな花がさき爛漫な春が終わろうとしている。

日落謝家池館、柳絲金縷断。

離宮・別業である王家の豪邸の池のほとりの楼閣に住んでいるものの、日が西に傾くようにさびしくなってしまうし、柳の枝が揺れもつれ合い、金の糸で結びあっていたものが、それももう絶たれてしまった。

睡覺綠鬟風乱、畫屏雲雨散。

眠りから覚めると緑の雲鬟が風に吹かれて乱れてしまう。立派な絵が描かれた屏風は壁に倚り、雲と雨といわれる男女のことも過去の事とどこかへ散り去ってしまった。

閒倚博山長歎、涙流沾皓腕。

何にもすることが無く博山爐に静かに寄りかかって長い溜息をつき、涙が流れてこの白いうでに滴り落ちて濡らしたままだ。

 

 

13韋荘91《巻2-41 歸國遙三首 其三》

『歸國遙三首 其三』 現代語訳と訳註

(本文)

歸國遙 三首其三

春欲晩、戯蝶遊蜂花爛熳。

日落謝家池館、柳絲金縷断。

睡覺綠鬟風乱、畫屏雲雨散。

閒倚博山長歎、涙流沾皓腕。

 

(下し文)

(歸える國は遙か 其の三)

春 晩れなんと欲し、戯蝶 遊蜂 花爛漫。

日は落つ 謝家の池館、柳絲金縷 断つ。

睡より覚むれば 緑鬟 風に乱れ、画屏 雲雨 散る。

博山に閒倚して 長歎すれば、涙流れて皓き腕を沾らす。

 

(現代語訳)

(富貴のものに嫁いだ、貴族門閥の女性が、自分の若さが失われていくように、貴族門閥の中でも時と共に寂しい思いをして行く様子を詠うもの その3

蝶が戯れ、蜂が花から花へ遊んで廻っている、そんな花がさき爛漫な春が終わろうとしている。

離宮・別業である王家の豪邸の池のほとりの楼閣に住んでいるものの、日が西に傾くようにさびしくなってしまうし、柳の枝が揺れもつれ合い、金の糸で結びあっていたものが、それももう絶たれてしまった。

眠りから覚めると緑の雲鬟が風に吹かれて乱れてしまう。立派な絵が描かれた屏風は壁に倚り、雲と雨といわれる男女のことも過去の事とどこかへ散り去ってしまった。

何にもすることが無く博山爐に静かに寄りかかって長い溜息をつき、涙が流れてこの白いうでに滴り落ちて濡らしたままだ。

韋莊

836910)、字は端己、京兆の杜陵(陝西省西安市の南郊)の人。中唐の詩人韋応物の玄孫で、宰相韋見素の孫。父母を早く失い、家は没落、貧に苦しんだ。五十代に入ってから、数年間、広く長江の中、下流域を渡り歩き、何度も科挙に落第した末、昭宗の乾寧元年(894年)、59歳でようやく進士に及第(高等文官試験)に合格し、校書郎に任じられた。66歳で四川省にいた王建が叛乱を起こしたので、朝廷では李詢を正使、韋荘を補佐として宣撫に赴かせたが、ほどなくして唐が亡び、王建が前蜀の帝を称えると、韋荘はそのまま王建に仕え、王建が前蜀王朝を建てるのに協力して、吏部侍郎・同平章事に任ぜられた。宰相にまで昇進している。前蜀の都は成都にあり、韋荘はその郊外の、かつて杜甫が住んでいた浣花草堂を修復して、自分の庵にした。温庭筠と並んで温韋と併称され、晩唐期を代表する詞人である。韋莊の詞は率直明快さを特色とし、『花問集』 には48首の詞が収められている。

 

 

(訳注)

歸國遙 三

19. (富貴のものに嫁いだ、貴族門閥の女性が、自分の若さが失われていくように、貴族門閥の中でも時と共に寂しい思いをして行く様子を詠うもの その3

20. 詞の場所は、妃嬪であれば、離宮であろう、公主であれば、別業ということになる。詞の内容から芸妓や、妓優ということではない。

『花間集』 には韋莊の作が三首収められている。双調四十三字、前段二十一字四句四仄韻、後段二十二字四句四仄韻で、❸❼❻❺/❻❺❻❺の詞形をとる。

歸國遙三首 其一

春欲  滿地落花紅帶
惆悵玉籠鸚  單棲無伴
南望去程何  問花花不
早晩得同歸  恨無雙翠

  
  
  
  

歸國遙 三首 其二

金翡  爲我南飛傳我
罨晝橋邊春  幾年花下
別後只知相  涙珠難遠
羅幕繍緯爲  舊歡如夢

  
  

  
  

歸國遙三首 其三

春欲  戯蝶遊蜂花爛
日落謝家池  柳絲金縷
睡覺綠鬟風  畫屏雲雨
閒倚博山長  涙流沾皓

 

春欲晩、戯蝶遊蜂花爛熳。

蝶が戯れ、蜂が花から花へ遊んで廻っている、そんな花がさき爛漫な春が終わろうとしている。

21. 戯蝶遊蜂 春爛漫をいうもの、妃嬪・公主そのもの寵愛を受け絶頂の時をいう。

22. 爛熳 ①消え散らばるさま。②くずれ散るさま。③花の咲き乱れるさま。④みずのゆたかなさま。⑤よくねるさま。杜甫『彭衙行』「眾雛爛熳睡,喚起沾盤飧。」⑥光り輝くさま。「爛縵」⑦明らかにあらわれみえるさま。⑧楽府の名。夏の桀王がつくったという。六朝時代から「爛漫」を「爛熳」に誤り用いる。酒の池に船を浮かべて肉山脯林(にくざんほりん)と呼ばれる肉を山のように盛る豪華な宴会を催し、国力は衰えた。

 

日落謝家池館、柳絲金縷断。

離宮・別業である王家の豪邸の池のほとりの楼閣に住んでいるものの、日が西に傾くようにさびしくなってしまうし、柳の枝が揺れもつれ合い、金の糸で結びあっていたものが、それももう絶たれてしまった。

23.・謝家池館 「謝家池」是東晉謝安在金陵的山莊故址。王謝家庭是當時的貴族門閥,「謝家池館」也早成為唐詩中表達懷舊與變遷的常語。命婦制により高貴な身分の女性に授与する封号を定めたもののことをいう。皇帝の母や妃嬢等に対しては内命婦制が、公主など外朝の男に嫁した者に対しては外命婦制が定められていた。外命婦には国夫人、郡夫人、郡君、県君、郷君の五等級があったが、ここでは零落れ始めていることを示唆する。

謝家 美女や妓女、あるいは愛妾の棲む家。唐の李徳祐が豪邸を築いて謝秋娘を池のほとりの楼閣に住まわせたことによる。比喩する相手が特定される場合は、晋の謝安であったり、謝靈運、謝朓を示す場合もある。ここでは温庭筠『更漏子』などと同じ一般的なもの綺麗な娘を囲うこと。

柳絲長,春雨細,花外漏聲迢遞。

驚寒雁,起城烏,畫屏金遮

香霧薄,透簾幕,惆悵謝家池閣

紅燭背,繡簾垂,夢長君不知。

『花間集』全詩訳注解説(改訂)-1溫庭筠15《更漏子六首其一》溫庭筠66首巻一15-〈15〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5272

24.・金縷:金糸の(刺繍)。・金縷 針金状の金の撚糸で綴り合わせる。韋莊『清平楽』「何處遊女,蜀國多雲雨。雲解有情花解語,窣地綉羅金縷。   妝成不整金鈿。含羞待月鞦韆。」温庭筠『楊柳枝』(之二)「金縷毵毵碧瓦溝,六宮眉黛惹香愁。晚來更帶龍池雨,半拂欄杆半入樓。」

『花間集』全詩訳注解説(改訂)-1溫庭筠32《巻1-32 楊柳枝八首其三》溫庭筠66首巻一32-〈32〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5357

温庭筠『定西番 二』「海燕欲飛調羽,萱草綠,杏花紅,隔簾櫳。雙翠霞金縷,一枝春豔濃。樓上月明三五,瑣窗中。住在綠槐陰裏,門臨春水橋邊。

『花間集』全詩訳注解説(改訂)-1溫庭筠28《巻1-28 定西番三首其二》溫庭筠66首巻一28-〈28〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5337

 

睡覺綠鬟風乱、畫屏雲雨散。

眠りから覚めると緑の雲鬟が風に吹かれて乱れてしまう。立派な絵が描かれた屏風は壁に倚り、雲と雨といわれる男女のことも過去の事とどこかへ散り去ってしまった。

25.・綠鬟 皇族の高く大きく結いあげた髪型をいう。始皇詔後梳凌雲髻,九嬪梳參鸞髻。髪型はさらに豊富多彩で、段成式の著作『髻鬟品』 には、多種多様の髪型が列挙されている。たとえば、半翻髻【はんほんけい】、反綰髻【はんわんけい】、楽游髻、双環望仙髻、回鶻髻、愁来髻、帰順髻、倭堕髻など。髻の上に、色々な宝石や花飾りの簪を挿したり、歩揺(歩く度に美しく揺れ光る髪飾り)を着けたり、櫛を挿したりして飾った。それらは、貧富や貴賎によって定まっていた。衣服、装飾などはきわめて瑣末な物ではあるが、かえって一滴の水と同じょうに、往々にして社会の多種多様の情況をよく映し出すことができた。

26.・畫屏 広い部屋の寝牀のまわりに立てるもので、その屏風を大切に扱っていない様子をいう。

27.・雲雨 高唐の賦に『朝雲暮雨』問うったことから雲の男、雨の女で性交渉をいう。

28.・散 部屋が、寵愛を受けるべく整っていないこと。

 

閒倚博山長歎、涙流沾皓腕。

何にもすることが無く博山爐に静かに寄りかかって長い溜息をつき、涙が流れてこの白いうでに滴り落ちて濡らしたままだ。

29.・閒倚 何にもすることが無く静かに寄りかかること。

30.・博山・博山爐 仙山のかたちをした香炉のこと。「博山」という仙山のかたちをした香炉かんたんにいえば、山の形をした香炉である。博山は、山東省にある山の名。炉の形は山形をしているが、下の盤に湯を入れ、それに蒸されて、上にある香が煙になって昇るように仕掛けたものらしい。女性でも貴族、富貴なものしかこれを持つことはできなかった。

李白 「楊叛兒」

君歌楊叛兒、妾勸新豐酒。

何許最關人、烏啼白門柳。

烏啼隱楊花、君醉留妾家。

博山爐中沈香火、雙煙一氣凌紫霞。

《楊叛兒》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 <98> Ⅰ李白詩1270 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4898

 

 

 

31.役者、芸人

 

 「宮妓」の中の役者、芸人以外に、唐代の民間にはまた芸や歌を売ることを専業とする一群の女性たちがいた。彼女たちの大多数は役者の家庭から出た人々で、家族仝体でこの職業に従事し、常に夫婦、親千、父娘などが一緒に四方に巡遊し、自由に芸を売って暮らしていた。たとえば、役者周季崇の妻劉采春は歌と芝居をよくし、夫と一緒に芸を売り、娘の周徳華は成長すると父母について巡業した(『雲渓友議』巻九、一〇)。彼女たちは常に街頭や路地裏で芸を演じた。たとえば、後に宮中に入った張紅紅は、初めは父親と一緒に町から町へと歌を唱って暮らしていた(『楽府雑録』「歌」)。常非月の「談容娘を詠う」という詩にも、女芸人が街頭で演戯し人々がとり囲んで見物している情景が描かれている。彼女たちは旅館や酒場で芸を売り、あるいは豪門貴顕の家を訪ねて芝居を演じ、歌を唱い、舞を踊り、また酒席に侍った。たとえば、韓愈の詩に「幸いに伶者の婦有り、腰身は柳の枝の如し。但だ君に酒を送らしむれば、酔えるが如く慾痴けるが如し」(「辞唱歌」)とある牛僧儒が著した『玄怪録』補遺に、乾元年間、一書生が長安のある宿に泊ったところ、酒席に伶人の妻で蓮薩(雑草の名、ここではあだ名)の三娘と呼ばれる女が侍り、歌を唱い酒をついでくれた、とある。

 

 これら女役者、芸人は娼妓とは同じでなく、彼女たちには人身の自由があり、しかも家庭をもっており、売春を業とするものではなかった。とはいっても、彼女たちには娼妓とたいへん似たところもあった。というのは、彼女たちは一般に芸は売っても身は売らないとはいえ、常に貴人たちの慰み物となることを免れなかったからである。たとえば、葬濤と情を通じていた元稿は、後に葬濤より若くて美しい女芸人劉采春に惚れたし、またこの劉采春の娘周徳華は崔匍言の愛人になった(『雲渓友議』巻九、一〇)。これら芸人の境遇も娼妓とほとんど差がなかったことが分かる。同時にまた、彼女たちの社会的地位もたいへん低く、常に人からほしいままに踏みにじられたり、ひどい時には殺されたりもしたのである。滞州(山西省長治県)の女芸人孟思賢は武人の王制の妾にされた。後に彼女は貨将(唐代の軍府の武官名)の伊宙を愛したので王制から追い出された。長慶年間の戦乱で伊宙が死んでしまったので、孟思賢はやむなく再び王制の元に身を寄せざるをえなかった。王制は復讐の機会を得たとばかり、武器を用いて残酷に孟を責めさいなんだ。彼女は終夜絶叫し苫しみに耐えず死んだ(温像『続補侍児小名録』)。この例をみると、これら役者、芸人の運命が娼妓よりもいくらかマシだったとは必ずしも言えないようである。

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