花間集訳注解説 (98)回目韋莊二十二首-7《巻二34 菩薩鬘五首其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8150

(98)回目韋莊二十二首-7《巻二34 菩薩鬘五首其二》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

 

 

Ⅰ李白詩

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744年-047-#2卷164_7 怨歌行(卷五(一)三六一)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8147

 

 

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744年-集06 【字解集】 送族弟綰・送程劉二侍御・前有樽酒行・春日行Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8099

 

 

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●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

 

 

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806年-28 全唐詩338_25 #5寒食日出游 -#5 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8148

 

 

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806年-018-#6 全唐文551-11-#6喜侯喜至贈張籍、張徹  【字解集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7944

 

 

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韓愈 哲学・儒学「五原」

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●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

 

 

Ⅲ 杜詩

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767年-73#1 行官張望補稻畦水歸#1 杜詩詳注(卷一九(四)一六五四)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8155

 

 

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767年-集-4字解 【字解集】 a槐葉冷淘・ b上後園山・c季夏送弟韶字解 杜詩詳注Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8131

 

 

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

 

 

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

 

 

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

 

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

 

 

 

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花間集訳注解説 (98)回目韋莊二十二首-7《巻二34 菩薩鬘五首其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8150 (02/10)

 

 

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91)回目皇甫松十一首 《天仙子/浪濤沙/楊栁枝/摘得新/夢江南/採蓮子 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8108 (02/03)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

 

 

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玉-038 室思一首三章 -#3 〔徐 幹〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 8151

 

 

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玉集-07 秦嘉妻答詩・飲馬長城窟行・飲馬長城窟行 【字解集】   Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 8133

 

 

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花間集訳注解説 (98)回目韋莊二十二首-7《巻二34 菩薩鬘五首其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8150

(長安にいて、世間の人が言う若いうちに江南に行ったことのあるものが、その良さを想像して詠うもの)

世間の人々だれもかれも、江南はいいところだという。遊学して世間のことが分かっている人は、歳をとったら江南へいって暮すのが一ばんよいとおもっている。 雪解けの澄んだ増水した春水のながれは空の青さと一体化し、舟遊びには江南名物の美しく彩られた船にのって、雨音をききながら眠る。酒爐のほとりには、お月さまを彷彿させる美人が居てくれる。色白の顔、真白な腕は昔の西施を思い浮かべる両の腕、両の足の、雪のようなうつくしさがある。まだまだ歳をとってはいないものがここへ来たならば、故郷へ帰りたいとは思いはしない。故郷などへ帰ったならば、だれもが性的欲求不満を起してしまうに違いない。

 

 

 

 

花間集 巻二

 

 

 

 

 

 

 

(妓優)-2

 もちろんのこと、たとえ宮妓は芸術家であり、原則として芸は献じるが身は献じないということになっていたにせよ、そしてまた一般の宮人に比べれば高い礼遇を受けていたにせよ、所詮彼女たちも皇帝の慰み物にすぎず、その漁色の対象になるものも少なくなかった。玄宗の弟の申王は、冬になると宮妓たちに周囲をすき間なく囲ませて暖をとり、これを「妓囲」とよんだ。別の弟の岐王は寒い時妓女の懐に乎を入れて暖をとった(『開元天宝遺事』巻古。こうした事例からみると、宮妓たちは芸人ではあったが、結局のところ娼妓との区別は、彼女たちが皇室専用の慰み物であるというにすぎない。

 

 宮妓はまたしばしば皇帝の御下賜晶として大臣や貴族に与えられた。唐の各時代に、某人に「女楽」幾祖を下賜するといった記録があるが、この「女楽」とはよく訓練された宮中の楽妓のことである。宮妓たちはその半生を軽やかな音楽とあでやかな舞、笙・蕭などの笛や太鼓の中に費やし、そして少なからざる宮妓がその名を後世に残したのであるが、しかし生前の境遇はといえば、たいへん不幸なものであった。彼女たちはいったん年老いて容色が衰え、婚期を逸すると、宮中を退いてから嫁に行くのは容易でなく、また芸を売るのはさらに難しかった。それでぴじーっに多くの宮妓が尼か女道士となって、孤独と貧寒の中で残生のけりをつけなければならなかった。たとえば、先に述べた宮廷の名妓蕭煉師は寺観の中で一生を終えたし、有名な歌妓永新は当時皇帝から光栄ある寵愛をこうむっていたが、安史の乱の後、宮中を出て一人の読書人に付き従い、その読書人が死んだ後は母とともに長安に帰り、乱世の中で老いて死んだ(『楽府維録』「歌」)。

 長く宮中に住む宮妓の他に、玄宗の時代から長安と洛陽の宮殿にほど近い街区に、左右二つの芸妓養成のための外教坊が設けられた。ここでも多数の芸妓が養成されたが、この芸妓は宮廷の専用に充てられ、宦官によって管理された。彼女たちが宮妓と異なるのは、宮中には住まず、必要な時に呼び出され宮中の御用に供された点にある。記録によれば、右教坊の芸妓の多くは歌がうまく、左教坊のものは舞いが上乎だったという。彼女たちは宮妓と同じように民間から選抜された技芸練達の人々であった。玄宗は彼女たちをたいへん愛したが、しかし「侠遊(民間の遊里)の盛んなるを奪うを欲せず、未だ嘗て置きて宮禁(宮中)に在らしめず」元棋「連昌宮詞」注)と詩人に詠まれた名歌妓の念奴、「凌波曲」(玄宗が夢の中で龍宮の女に頼まれて作ったといわれる詩曲)をよく舞った新農の女芸人謝阿蛮(『明皇雑録に補遺』、『教坊記』に記載されている歌舞妓の顔大娘、鹿三娘、張四娘、裴大娘、それに竿木妓の王大娘、および、杜甫の「公孫大娘が弟子の剣器を舞うを観る行」という詩に出てくる、剣舞の名乎公孫大娘などは、みな長安の外教坊に所属する芸妓であったらしい。というのは、記録によると彼女たちは一般に長く宮中に留まることはなく、行勤は比較的自由だったからである元棋の「連昌宮詞」に、高力士 伝呼して念奴を見れど、念奴は潜に諸郎を伴って宿す」という句がある。また謝阿蛮も常日頃宮中に出入りしたり、楊国忠(楊貴妃の一族)の邸宅に遊びに行ったりしていた。こうしたことから、彼女たちの行勤や私生活について、宮廷はほとんど束縛しなかったことがわかる。また、彼女たちの中の少なからざる者が、夫、子供、家庭を持ち、家族仝員で教坊の中に住んでいた。宮中に在る内教坊の宮妓は宮中から自由に出人りしたり、男女が混って一緒に住むことは、ほとんど不可能であったから、彼女たちはいずれも外教坊に属す人々であったと思われる。

 

 外教坊の芸妓の大半は、家族全員が宮廷に仕える芸人集団であった。たとえば裴大娘自身は歌舞妓であり、その兄は筋斗伎であり、夫は竿木伎であった。芸妓たちの生活は、たいてい皇室からの給養で成り立っており、いつでも御召にそなえ、宮中に出仕したが、それ以外に宮廷外の招きに応じることもできたようである。たとえば『教坊記』に次のような話が載っている。蘇五奴の妻で歌舞妓であった張四娘は、「踏謡娘」を上手に演ずることができたので、いつも人々から招かれた、と。おそらく一定の報酬を得ていたことだろう。

 

 教坊妓は彼女たち独特の一風変った生活の仕方と考えを持っていた。彼女たちは仲間同士で意気投合すると、「香火兄弟」(神仏の前で香火をたき義姉妹の契りを結んだ仲)となった。多いものは十四、五入少ないものでもハ、九人がそれぞれ集団をつくった。もし、その中のT入が嫁に行くと、香火兄弟たちは彼女の夫を女仲間にみたてて、「嫂嫂」とか「新婦」などとよんだ。また同時にその夫に睦み親しむことができたが、妻となった妓は決して嫉妬することはなかった。彼女たちはそれを突叛の習俗にならったものであるといっていた。

 また、香火兄弟でない人々の間でも、男女関係は比較的自由であった。裴大娘は伎人の趙解愁と私通し夫が邪魔になった。彼女は土袋で夫を圧死させようとして失敗したので、坊中の妓女たちはいつも「あなた、今後土袋を縫う時はきちんとすき間がないように縫いなさいよ。決してほころびたりしないようにね」などと冗談をいって笑いあった。また別の歌舞妓の張四娘は招かれて外出する時、いつも夫の蘇五奴がついて行った。招いた人は夫がいつも彼女の側にいるのが邪魔で、酒を飲ませて酔いつぶそうとした。蘇五奴は言った。「銭をたんまりはずんでくださりさえすれば、鎚子(蒸しまんじ。う)を食べても酔いますよ。酒など飲まなくてもね」と。それで後世、妻を他人に抱かせる男を「五奴」とよんだ。教坊妓たちのように「義兄弟」の契りを結んだり、自ら男のように装う生活方式は、他の階層の女性には無い点であり、男女に関する彼女たちの道徳観念や流儀は他の階層の女性たちと全くちがっていた。こうしてみると、俳優、芸人など芸を売って暮らしている女性は、一般の貴族、平民の女性に比べてより独立性があり、男に従属することも少なく、男女の地位も自然で比較的平等であったこと、また彼女たちは娼妓と同じではなかったが、男女関係に対する観念は同じように大いに自由奔放であったことが分かる。

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲《菩薩蠻五首》韋莊

 

 

 

 

 

 

6韋荘84《巻2-34 菩薩蠻五首之 一》

菩薩蛮五首 其一

(この夜が最後の夜で、別の妃嬪のもとに行くという、最後の夜と翌朝を詠う。)

紅樓別夜堪惆悵、香燈半捲流蘇帳。

赤く美しい御殿での明日の朝には別れなければいけない、その夜だけに、恨み嘆くことをこらえることができない。閨に香しい灯火のかげに五色の糸を混ぜた房に飾られたとばりを半ばかかげて、寝牀の中に入ってゆく。

殘月出門時、美人和涙辭。

名残の月が残る夜が明けて、門を出る時が来ると、美しい妃嬪に涙ながらの別れを告げた。

琵琶金翠羽、絃上黄鶯語。

妃嬪は翡翠のかざりが付いた撥で琵琶を奏でてくれる。その絃の調べは響き渡って、鶯の春を告げる言葉のように二人を引き留める。

勸我早歸家、綠窗人似花。

「早くここにお帰ってきてください」と勧める歌と琵琶曲で、「東鄰の女」、美人で賢い女であるから、「花のようにきれいな女になっているから、待っている」と云っているのだろう。

(菩薩蛮五首その一)

紅樓の別夜 惆悵に堪え、香燈 半ばに捲く 流蘇の帳【とばり】を。

殘月 門を出でし時、美人 涙と辭を和【とも】にす。

琵琶 金翠の羽。絃上 黄鶯 語る。

我に勸む 「早【つと】に 家に歸れ」と。「綠窗の人」 花の似【ごと】し。

 

 

7韋荘85《巻2-35 菩薩蠻五首其二》

菩薩蠻五首其二

(長安にいて、世間の人が言う若いうちに江南に行ったことのあるものが、その良さを想像して詠うもの)

人人盡説江南好,遊人只合江南老。

世間の人々だれもかれも、江南はいいところだという。遊学して世間のことが分かっている人は、歳をとったら江南へいって暮すのが一ばんよいとおもっている。 

春水碧於天,畫船聽雨眠。

雪解けの澄んだ増水した春水のながれは空の青さと一体化し、舟遊びには江南名物の美しく彩られた船にのって、雨音をききながら眠る。

爐邊人似月,皓腕凝雙雪。

酒爐のほとりには、お月さまを彷彿させる美人が居てくれる。色白の顔、真白な腕は昔の西施を思い浮かべる両の腕、両の足の、雪のようなうつくしさがある。

未老莫還鄕,還鄕須斷腸。

まだまだ歳をとってはいないものがここへ来たならば、故郷へ帰りたいとは思いはしない。故郷などへ帰ったならば、だれもが性的欲求不満を起してしまうに違いない。

(菩薩蠻五首其の二)

人人の盡く説くは 江南好しとす,遊人 只だ合う 江南に老ゆべしと。

春水 天に碧く,畫船に 雨を聽きて眠る。

爐邊 人は 月の似く,皓き腕は 雙つ雪を凝らせる。

未だ老いざれば 鄕に還る 莫かれ,鄕に還らば 須らく斷腸すべし。

宮島(5)
 

 

7韋荘85《巻2-35 菩薩蠻五首其二》

『菩薩蠻五首其二』 現代語訳と訳註

(本文)

菩薩蠻五首其二

人人盡説江南好,遊人只合江南老。

春水碧於天,畫船聽雨眠。

爐邊人似月,皓腕凝雙雪。

未老莫還鄕,還鄕須斷腸。

 

(下し文)

(菩薩蠻五首其の二)

人人の盡く説くは 江南好しとす,遊人 只だ合う 江南に老ゆべしと。

春水 天に碧く,畫船に 雨を聽きて眠る。

爐邊 人は 月の似く,皓き腕は 雙つ雪を凝らせる。

未だ老いざれば 鄕に還る 莫かれ,鄕に還らば 須らく斷腸すべし。

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(現代語訳)

(長安にいて、世間の人が言う若いうちに江南に行ったことのあるものが、その良さを想像して詠うもの)

世間の人々だれもかれも、江南はいいところだという。遊学して世間のことが分かっている人は、歳をとったら江南へいって暮すのが一ばんよいとおもっている。 

雪解けの澄んだ増水した春水のながれは空の青さと一体化し、舟遊びには江南名物の美しく彩られた船にのって、雨音をききながら眠る。

酒爐のほとりには、お月さまを彷彿させる美人が居てくれる。色白の顔、真白な腕は昔の西施を思い浮かべる両の腕、両の足の、雪のようなうつくしさがある。

まだまだ歳をとってはいないものがここへ来たならば、故郷へ帰りたいとは思いはしない。故郷などへ帰ったならば、だれもが性的欲求不満を起してしまうに違いない。

 

(訳注) (改訂版)-7韋荘85《巻2-35 菩薩蠻五首其二》

菩薩蠻五首其二

25.(長安にいて、世間の人が言う若いうちに江南に行ったことのあるものが、その良さを想像して詠うもの)

一定の期間を過ぎれば、子供できない場合、別の妃嬪に寵愛は移る。妃嬪の資格として、音楽、舞踊は最低限の嗜みであった。この詩は、妓優が朝別れるというには、全体的に優雅な雰囲気を感じさせるので、妃嬪の事と考える。。

26. 唐の教坊の曲で花間集には四十一首所収、韋莊の菩薩蠻は五首、双調 四十四字。換韻。前段二十四字四句二仄韻二平韻、後段四句二仄韻に平韻で、❼❼⑤⑤/❺❺⑤⑤の詞形をとる。 

菩薩蛮五首 其一

紅樓別夜堪惆。 香燈半捲流蘇

殘月出門、美人和涙

琵琶金翠、絃上黄鶯

勸我早歸。   綠窗人似

 
 
● 
 

菩薩蛮五首 其二

人人盡説江南,遊人只合江南

春水碧於,  畫船聽雨

爐邊人似,  皓腕凝雙

未老莫還,  還鄕須斷

  
  
  
  

 この詞は花間集 韋荘の菩薩蛮其二である。上片で恋人との切ない別れの情景が、下片では、女性を懐憶している。

 

人人盡説江南好,遊人只合江南老。

世間の人々だれもかれも、江南はいいところだという。遊学して世間のことが分かっている人は、歳をとったら江南へいって暮すのが一ばんよいとおもっている。 

27・人人:どの人も。みんな。誰もが。 

28・盡説:ことごとく いう。 ・説:言う。 

29・江南:中国南部の安徽省浙江省等、長江下流以南の地域を指す。この地名のイメージは、女性が美人であること、温暖・豊饒で、文化の成熟した風光明媚な潤いのある風景となる。 

30・好:よい。形よく、美しい意味のよい。

31・遊人:旅行者。遊は旅をする意。遊を游ともする。遊学して世間のことが分かっている人。 

32・只合:ただ まさに。 

33・合:まさに…すべし。当然…べきだ。≒應の意。 

34・老:おいる。年をとる。

 

春水碧於天,畫船聽雨眠。

雪解けの澄んだ増水した春水のながれは空の青さと一体化し、舟遊びには江南名物の美しく彩られた船にのって、雨音をききながら眠る。

35・春水:四川盆地を書くむ山々からの雪解け水により、ミネラル分の多い栄養価の高い増水した澄み切った水で、成長に不可欠の水をいう。杜甫『春水』 

春水 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 18)  杜甫 <423  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2060 杜甫詩1000-423-606/1500

4- 8.春夜喜雨 杜甫

4- 9.春水生 二絶其一 杜甫 

4-10.春水生 二絶其二 杜甫

4-11.江上水如海勢聊短述 杜甫

・春水生 冬の間に力をため込んでいたものを春になって万物が、育ち成長する。山に溜めこんだ冬の力が流れ出ることで、希望に向かう意味で杜甫はよく使う。同じ時期に『遣意二首 其一』「囀枝黃鳥近,泛渚白鷗輕。一徑野花落,孤村春水生。衰年催釀黍,細雨更移橙。漸喜交遊,幽居不用名。」(其の一 枝に囀【さえず】りて 黄鳥【こうちょう】近く、渚に泛かびて 白鴎【はくおう】軽し。一徑【いっけい】野花【やか】落ち、孤村【こそん】春水【しゅんすい】生ず。衰年【すいねん】黍【しょ】を醸【かも】すを催【うなが】す、 細雨【さいう】更に橙【とう】を移す。漸【ようや】く喜ぶ 交遊【こうゆう】の絶ゆるを、 幽居 名を用いず。)

などある。

・碧:あおい。みどり。あさみどり。あおみどり。碧玉等、宝石のような美しい青さをいう。 

・於:…よりも。「形容詞+於…」は、比較を表し、「…よりも○○い」の意味になる。

36・碧於天:空の蒼さになる。河川が多く、成都盆地の河川の水は漫々としてゆったりと流れるが、江陵より下流域は川幅が更に広くなるので空と川が一体となる。。

37・畫船:江南の色彩を施した船。特に河川の合流点は、交通の要衝地点となるため、性風俗のビジネスが盛んであった。美しい船のこと。畫は、「畫堂」の「畫」と同じ働き。 

38・聽雨眠:蜀は夜雨が降り、朝には晴ることをいい、雨音を聞きながら眠りに就くとは男女の交じりあいを云う、テーマは江南であるが詩を披露しているのは成都である。

 

爐邊人似月,皓腕凝雙雪。

酒爐のほとりには、お月さまを彷彿させる美人が居てくれる。色白の顔、真白な腕は昔の西施を思い浮かべる両の腕、両の足の、雪のようなうつくしさがある。

39・爐邊:酒屋。酒の瓶を置いている土台近く(酒爐辺)にいる(女性)。「爐」は、香炉のこと。香炉の香が立ちこめている奥深い所にある女性の部屋のこと。成都の性風俗店には江南の女性が大勢いた。

40・人:ここでは女性指す。「爐邊人」だと、香炉の香が立ちこめている奥深い部屋にいる女性のこと。「邊人」は、酒の瓶を置いている土台のある酒屋にいる女性のことで、お酒の相手などをする女性、酒旗や青旆、また、青楼、商女、斜巷等といわれ、飲んだり、楽しんだりするところであった。古今東西、性にかかわることが初めにあり、やがて商売につながっていき、やがて整備、規制されていくものである。 

41・似月:女性の尻まわりの曲線をいう。輪郭が月のように丸くて、白くて美しいことを云い、月は女性の代名詞である。白いということは、肉体労働に従事しない高貴な存在、性的アピールをするものである。性に関してかなり自由な部分があったことを示すものである。

42・皓腕:まっ白な肌の腕のことで、女性の腕をいう。 

43・凝:かたまる。こらす。 

44・雙雪:ふたつ並んだ雪、両腕の白さをいう。

 

未老莫還鄕,還鄕須斷腸。

まだまだ歳をとってはいないものがここへ来たならば、故郷へ帰りたいとは思いはしない。故郷などへ帰ったならば、だれもが性的欲求不満を起してしまうに違いない。

45・未老:いまだ 老いず。まだ歳をとっていない。 

46・莫:なかれ。なし。禁止、打ち消しを表す。ここでは、後者の打ち消しになる。

47・須:(古白話)必ず、まさしく、きっと。漢文の伝統では、「すべからく…べし」と読み、…すべきである。…する必要がある。の意味になるが、ここでは、そう読むのは不適切。「須斷腸」は「須(かならず)や斷腸せん」と読み、(きっと、断腸の思いをするだろう)と、とるべきであって、「須(すべから)く 斷腸すべし」とは、しない方がいい。 

48・斷腸:性的欲求不満な状態をはらわたがちぎれるほどの、こらえきれない悶々とした感情のこと。性生活が隠された秘め事というのは時代が進んでからのことで、朱子儒学が科挙の基本になった北宋以降で、次第に、明清になると厳格に性生活が奥にしまいこまれたのである。

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