主に基本となる詩集を訳注解説 漢詩~唐詩 研究   〔現在〕 花間集五百首訳注解説

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花間集 訳注解説 (251)回目毛文錫巻五26浣沙溪》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9128

 251)回目毛文錫巻五26浣沙溪》

 

 

 

花間集 訳注解説 (251)回目毛文錫巻五26浣沙溪》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9128

(七夕の日は他の機織りの娘の所に行く牽牛星である、今宵だけは二人良い出会いを過すと詠う。)

天の川に隔てられた牽牛星と織女星が、毎年、一度だけ会う日が来る、その信頼は違うことはない、銀河の清らかな流れの浅瀬に彦星の訪問を示す白雲がかすかにひろがる。月の光が明るくなるとカササギが橋を造ると影が出来て、百舌鳥が飛んでいなくなる。

別れにはその度ごとに恨みにおもい、生命はニイニイゼミのように短いものであるし、須女という名の機織り娘も憐れなものである。幾度か、行き帰るうちに鴛鴦の機織りの方に下っていくのを見て嫉妬する、それでも今宵だけは、素敵な出会いであるから二人とも、しなやかな、名残惜しい時を過ごす。

 

 

 

花間集 巻五

 

 

 

浣 溪 沙

韋莊

巻二29浣溪沙五首其一清曉粧成寒食天,柳毬斜裊間花鈿,捲簾直出畫堂前。指點牡丹初綻,日高猶自凭朱欄,含嚬不語恨春殘。

韋莊

巻二30浣溪沙五首其二欲上鞦韆四體慵,擬教人送又心忪。畫堂簾幕月明風。此夜有情誰不極,隔牆棃雪又玲瓏,玉容憔悴惹微紅。

韋莊

巻二31浣溪沙五首其三惆悵夢餘山月斜,孤燈照壁背紅紗,小樓高閣謝娘家。暗想玉容何所似,一枝春雪凍梅花,滿身香霧簇朝霞。

韋莊

巻二32浣溪沙五首其四綠樹藏鶯鶯正啼,柳絲斜拂白銅堤,弄珠江上草萋萋。日暮飲歸何處客,繡鞍驄馬一聲嘶,滿身蘭麝醉如泥。

韋莊

巻二33浣溪沙五首其五夜夜相思更漏殘,傷心明月凭欄干,想君思我錦衾寒。咫尺畫堂深似海,憶來唯把舊書看,幾時攜手入長安。

薛昭蘊

巻三27浣溪沙八首其一紅蓼渡頭秋正雨,印沙鷗跡自成行,整鬟飄袖野風香。不語含嚬深浦裏,幾迴愁煞棹舡郎,鷰歸帆盡水茫茫。

薛昭蘊

巻三28浣溪沙八首其二鈿匣菱花錦帶垂,靜臨蘭檻卸頭時,約鬟低珥等歸期。茂茂艸青湘渚闊,夢餘空有漏依依,二年終日損芳菲。

薛昭蘊

巻三29浣溪沙八首其三粉上依稀有淚痕,郡庭花落欲黃昏,遠情深恨與誰論。記得去年寒食日,延秋門外卓金輪,日斜人散暗消魂。

薛昭蘊

巻三30浣溪沙八首其四握手河橋柳似金,蜂鬚輕惹百花心,蕙風蘭思寄清琴。意滿便同春水滿,情深還似酒盃深,楚煙湘月兩沉沉。

薛昭蘊

巻三31浣溪沙八首其五簾下三間出寺牆,滿街垂楊綠陰長,嫩紅輕翠間濃粧。瞥地見時猶可可,卻來閑處暗思量,如今情事隔仙

薛昭蘊

巻三32浣溪沙八首其六江館清秋纜客舡,故人相送夜開筵,麝煙蘭焰簇花鈿。正是斷魂迷楚雨,不堪離恨咽湘絃,月高霜白水連天。

薛昭蘊

巻三33浣溪沙八首其七傾國傾城恨有餘,幾多紅淚泣姑蘇,倚風凝睇雪肌膚。主山河空落日,越王宮殿半平蕪,藕花菱蔓滿重湖。

薛昭蘊

巻三34浣溪沙八首其八越女淘金春水上,步搖雲鬢珮鳴璫,渚風江草又清香。不為遠山凝翠黛,只應含恨向斜陽,碧桃花謝憶劉郎。

張泌

巻四28浣溪沙十首其一鈿轂香車過柳堤,樺煙分處馬頻嘶,為他沉醉不成泥。花滿驛亭香露細,杜鵑聲斷玉蟾低,含情無語倚樓西。

張泌

巻四29浣溪沙十首其二馬上凝情憶舊遊,照花淹竹小溪流,鈿箏羅幕玉搔頭。早是出門長帶月,可堪分袂又經秋,晚風斜日不勝愁。

張泌

巻四30浣溪沙十首其三獨立寒堦望月華,露濃香泛小庭花,繡屏愁背一燈斜。雲雨自從分散後,人間無路到仙家,但憑魂夢訪天涯。

張泌

巻四31浣溪沙十首其四依約殘眉理舊黃,翠鬟擲一簪長,暖風晴日罷朝粧。閑折海棠看又撚,玉纖無力惹餘香,此情誰會倚斜陽。

張泌

巻四32浣溪沙十首其五翡翠屏開繡幄紅,謝娥無力曉粧慵,錦帷鴛被宿香濃。微雨小庭春寂寞,鷰飛鶯語隔簾櫳,杏花凝恨倚東風。

張泌

巻四33浣溪沙十首其六枕障燻鑪隔繡幃,二年終日兩相思,杏花明月始應知。天上人間何處去,舊歡新夢覺來時,黃昏微雨畫簾垂。

張泌

巻四34浣溪沙十首其七花月香寒悄夜塵,綺筵幽會暗傷神,嬋娟依約畫屏人。人不見時還暫語,令纔後愛微嚬,越羅巴錦不勝春。

張泌

巻四35浣溪沙十首其八偏戴花冠白玉簪,睡容新起意沉吟,翠鈿金縷鎮眉心。小檻日斜風悄悄,隔簾零落杏花陰,斷香輕碧鏁愁深。

張泌

巻四36浣溪沙十首其九晚逐香車入鳳城,東風斜揭繡簾輕,慢迴嬌眼笑盈盈。消息未通何計是,便須佯醉且隨行,依稀聞道大狂生。

張泌

巻四37浣溪沙十首其十小市東門欲雪天,眾中依約見神仙,蘂黃香畫貼金蟬。飲散黃昏人草草,醉容無語立門前,馬嘶塵烘一街煙。

毛文錫

巻五26浣溪沙七夕年年信不違,銀河清淺白雲微,蟾光鵲影伯勞飛。每恨蟪蛄憐婺女,幾迴嬌妬下鴛機,今宵嘉會兩依依。

欧陽烱

巻五47浣溪沙三首其一落絮殘鶯半日天,玉柔花醉只思眠,惹映竹滿爐煙。獨掩畫屏愁不語,斜欹瑤枕髻鬟偏,此時心在阿誰邊。

欧陽烱

巻五48浣溪沙三首其二天碧羅衣拂地垂,美人初著更相宜,宛風如舞透香肌。獨坐含嚬吹鳳竹,園中緩步折花枝,有情無力泥人時。

欧陽烱

巻五49浣溪沙三首其三相見休言有淚珠,酒闌重得敘歡,鳳屏鴛枕宿金鋪。蘭麝細香聞喘息,綺羅纖縷見肌膚,此時還恨薄情無。

顧夐

巻七01浣溪沙八首其一春色迷人恨正,可堪蕩子不還家,細風輕露著梨花。簾外有情雙鷰颺,檻前無力綠楊斜,小屏狂夢極天涯。

顧夐

巻七02浣溪沙八首其二紅藕香寒翠渚平,月籠虛閣夜蛩清,塞鴻驚夢兩牽情。寶帳玉鑪,殘麝冷,羅衣金縷暗塵生,小孤燭淚縱橫。

顧夐

巻七03浣溪沙八首其三荷芰風輕簾幕香,繡衣鸂鶒泳迴塘,小屏閑掩舊瀟湘。恨入空幃鸞影獨,淚凝雙臉渚蓮光,薄情年少每思量。

顧夐

巻七04浣溪沙八首其四惆悵經年別謝娘,月花院好風光,此時相望最情傷。青鳥不來傳錦字,瑤何處鏁蘭房,忍教魂夢兩茫茫。

顧夐

巻七05浣溪沙八首其五庭菊飄黃玉露濃,冷莎隈砌隱鳴蛩,何期良夜得相逢。背帳風搖紅滴,惹香暖夢繡衾重,覺來枕上怯晨鐘。

顧夐

巻七06浣溪沙八首其六雲澹風高葉亂飛,小庭寒雨綠苔微,深閨人靜掩屏幃。粉黛暗愁金帶枕,鴛鴦空繞畫羅衣,那堪辜負不思歸。

顧夐

巻七07浣溪沙八首其七鴈響遙天玉漏清,小紗外月朧明,翠幃金鴨炷香平。何處不歸音信斷,良宵空使夢魂驚,簟涼枕冷不勝情。

顧夐

巻七08浣溪沙八首其八露白蟾明又到秋,佳期幽會兩悠悠,夢牽情役幾時休。記得泥人微斂黛,無言斜倚小書樓,暗思前事不勝愁。

孫光憲

巻七38浣溪沙九首其一蓼岸風多橘柚香,江邊一望楚天長,片帆煙際閃孤光。目送征鴻飛杳杳,思隨流水去茫茫,蘭紅波碧憶瀟湘。

孫光憲

巻七39浣溪沙九首其二桃杏風香簾幕閑,謝家門約花關,畫梁幽語鷰初還。繡閣數行題了壁,曉屏一枕酒醒山,卻疑身是夢魂間。

孫光憲

巻七40浣溪沙九首其三花漸凋疎不耐風,畫簾垂地晚堂空,墮階縈蘚舞愁紅。膩粉半粘金靨子,殘香猶暖繡薰籠,蕙心無處與人同。

孫光憲

巻七41浣溪沙九首其四攬鏡無言淚欲流,凝情半日懶梳頭,一庭疎雨濕春愁。楊柳秖知傷怨別,杏花應信損嬌羞,淚沾魂斷軫離憂。

孫光憲

巻七42浣溪沙九首其五半踏長裾宛約行,晚簾疎處見分明,此時堪恨昧平生。早是銷魂殘燭影,更愁聞著品絃聲,杳無消息若為情。

孫光憲

巻七43浣溪沙九首其六蘭沐初休曲檻前,暖風遲日洗頭天,濕雲新斂未梳蟬。翠袂半將遮粉臆,寶釵長欲墜香肩,此時模樣不禁憐。

孫光憲

巻七44浣溪沙九首其七風遞殘香出繡簾,團窠金鳳舞襜襜,落花微雨恨相兼。何處去來狂太甚,空推宿酒睡無猒,爭教人不別猜嫌。

孫光憲

巻七45浣溪沙九首其八輕打銀箏墜鷰泥,斷絲高罥畫樓西,花冠閑上午牆啼。粉籜半開新竹逕,紅苞盡落舊桃蹊,不堪終日閉深閨。

孫光憲

巻七46浣溪沙九首其九烏帽斜欹倒佩魚,靜街步訪仙居,隔牆應認打門初。將見客時微掩斂,得人憐處且先疎,低頭羞問壁邊書。

閻選

《巻九24浣溪沙》  寂寞流蘇冷茵,倚屏山枕惹香塵,小庭花露泣濃香。劉阮信非仙洞客,常娥終是月中人,此生無路訪東鄰。八拍蠻二首

毛熙震

《巻九34浣溪沙七首其一》  春暮鶯下砌前,水精簾影露珠懸,綺霞低映晴天。弱柳萬條垂翠帶,殘紅滿地碎香鈿,蕙風飄蕩散輕煙。

毛熙震

《巻九35浣溪沙七首其二》  香紅煙景迷,滿庭芳艸綠萋萋,金鋪閑掩簾低。紫一雙嬌語碎,翠屏十二峯齊,夢魂銷散醉空閨。

毛熙震

《巻九36浣溪沙七首其三》  起紅房醉欲銷,綠鬟雲散金翹,雪香花語不勝嬌。好是向人柔弱處,玉纖時急裙腰,春心牽惹轉無

毛熙震

《巻九37浣溪沙七首其四》  一隻橫釵墜髻叢,靜眠珍簟起來慵,羅紅嫩抹酥胸。羞斂細蛾魂暗斷,困迷無語思猶濃,小屏香靄碧山重。

毛熙震

《巻九38浣溪沙七首其五》  雲薄羅裙綬帶長,滿身新瑞龍香,翠鈿斜映梅粧。佯不人空婉約,笑和嬌語太倡狂,忍教牽恨暗形相。

毛熙震

《巻九39浣溪沙七首其六》  碧玉冠輕裊鷰釵,捧心無語,緩移弓底羅鞋。暗想歡何計好,豈堪期約有時乖,日高深院正忘懷。

毛熙震

《巻九40浣溪沙七首其七》  半醉凝情臥茵,睡容無力卸羅裙,玉籠鸚鵡聽聞。慵整落釵金翡翠,象梳欹鬢月生雲,錦屏幌麝煙薰。

 

李珣

《巻十14浣溪沙四首其一》  入夏偏宜澹薄粧,越羅衣褪鬱金黃,翠鈿檀注助容光。相見無言還有恨,幾迴判卻又思量,月香徑夢悠颺。

李珣

《巻十15浣溪沙四首其二》  晚出閑庭看海棠,風流學得家粧,小釵橫戴一枝芳。鏤玉梳斜雲鬢膩,縷金衣透雪肌香,暗思何事立殘陽。

李珣

《巻十16浣溪沙四首其三》  訪舊傷離欲斷魂,無因重見玉樓人,六街微雨鏤香塵。早為不逢巫峽夢,那堪虛度錦江春,遇花傾酒莫辭頻。

李珣

《巻十17浣溪沙四首其四》  紅藕花香到檻頻,可堪閑憶似花人,舊歡如夢音塵。翠疊畫屏山隱隱,冷鋪紋簟水潾潾,斷魂何處一蟬新。

 

 

 

花間集 教坊曲《浣溪沙》毛文錫

 

 

花間集 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9128

 

 

 

 

浣沙溪一首

(李園、宜春院、沈香亭に集められた一芸を持った妓優は、春の芸を披露する宴で、見初められ人生が変わって行くとを詠うものである。)

春水輕波浸綠苔,枇杷洲上紫檀開。

春の雪解けの増水は軽やかな波を起てて流れ、水は澄んでいて、水底の綺麗な緑の苔を色濃く見せる。琵琶の花は池州の上に香りを漂わせ、宜春院や沈香亭の扉が啓かれる。

晴日眠沙鸂鸂穩,暖相隈。

長閑な晴れの天気が続き、鴛鴦たちの群れ砂に隠れたりし、眠る、暖かさはツガイの者たちを寄り添わせて隅にゆく。

羅襪生塵遊女過,有人逢著弄珠迴。

うす絹の靴下の宮女・妓優たちが動けば塵を生じ、歌舞音曲の宮女、妓優たちが楽しませてくれる時を過ごす。人は、そこで出会い、珠を弄んで帰っていく。

蘭麝飄香初解珮,忘歸來。

梨園、宜春院、沈香亭に集められた若い妓優は、蘭麝のお香が漂いかおる中で、佩魚が許され、はじめて帯を解く、宮女・妓優はもう帰っていく処のことは忘れてしまわねばならない。

(浣沙溪一首)

春水 輕波して 綠苔を浸し,枇杷 洲上 紫檀開く。

晴日 沙に眠り 鸂鸂穩し,暖かにして相い隈す。

羅襪【らべつ】塵より生ずれば 遊女過ぎ,人有り 逢著して珠を弄び迴る。

蘭麝 飄香し 初めて珮を解き,歸來するを忘る。

銀河 04 

浣溪沙一首

(七夕の日は他の機織りの娘の所に行く牽牛星である、今宵だけは二人良い出会いを過すと詠う。)

七夕年年信不違,銀河清淺白雲微,蟾光鵲影伯勞飛。

天の川に隔てられた牽牛星と織女星が、毎年、一度だけ会う日が来る、その信頼は違うことはない、銀河の清らかな流れの浅瀬に彦星の訪問を示す白雲がかすかにひろがる。月の光が明るくなるとカササギが橋を造ると影が出来て、百舌鳥が飛んでいなくなる。

每恨蟪蛄憐婺女,幾迴嬌妬下鴛機,今宵嘉會兩依依。

別れにはその度ごとに恨みにおもい、生命はニイニイゼミのように短いものであるし、須女という名の機織り娘も憐れなものである。幾度か、行き帰るうちに鴛鴦の機織りの方に下っていくのを見て嫉妬する、それでも今宵だけは、素敵な出会いであるから二人とも、しなやかな、名残惜しい時を過ごす。

 

浣溪沙一首

七夕 年年 信 違わず,銀河 清淺 白雲 微かなり,蟾光 鵲影とし 伯勞 飛ぶ。

每に 蟪蛄を恨む 婺女を憐み,幾び 嬌妬を迴る 鴛機に下るを,今宵の嘉會は兩つながら依依たり。

銀河 03 

 

『浣溪沙一首』 現代語訳と訳註

(本文)

浣溪沙一首

七夕年年信不違,銀河清淺白雲微,蟾光鵲影伯勞飛。

每恨蟪蛄憐婺女,幾迴嬌妬下鴛機,今宵嘉會兩依依。

 

 

(下し文)

(浣溪沙一首)

七夕 年年 信 違わず,銀河 清淺 白雲 微かなり,蟾光 鵲影とし 伯勞 飛ぶ。

每に 蟪蛄を恨む 婺女を憐み,幾び 嬌妬を迴る 鴛機に下るを,今宵の嘉會は兩つながら依依たり。

 

(現代語訳)

(七夕の日は他の機織りの娘の所に行く牽牛星である、今宵だけは二人良い出会いを過すと詠う。)

天の川に隔てられた牽牛星と織女星が、毎年、一度だけ会う日が来る、その信頼は違うことはない、銀河の清らかな流れの浅瀬に彦星の訪問を示す白雲がかすかにひろがる。月の光が明るくなるとカササギが橋を造ると影が出来て、百舌鳥が飛んでいなくなる。

別れにはその度ごとに恨みにおもい、生命はニイニイゼミのように短いものであるし、須女という名の機織り娘も憐れなものである。幾度か、行き帰るうちに鴛鴦の機織りの方に下っていくのを見て嫉妬する、それでも今宵だけは、素敵な出会いであるから二人とも、しなやかな、名残惜しい時を過ごす。

 

(訳注)

浣溪沙一首

18. (七夕の日は他の機織りの娘の所に行く牽牛星である、今宵だけは二人良い出会いを過すと詠う。)

19. 【構成】『花間集』には毛文錫の作が三十一首収められている。この詞調の「教坊曲」『浣溪紗』五十六首に毛文錫の一首は所収されている。双調四十二字、前段二十一字三句三平韻、後段二十一字三句二平韻で、⑦⑦⑦/7⑦⑦の詞形をとる。

七夕年年信不  銀河清淺白雲微 蟾光鵲影伯勞  

每恨蟪蛄憐婺女 幾迴嬌妬下鴛  今宵嘉會兩依

●●○○△△○ ○○○△●○○ ○△●●●△○  

●●●○○●● △△△●●○○ ○○○●●△△

20. 毛文錫 

毛文錫(生卒年未詳)、字を平珪と言い、南陽(今の河南省南陽)の人。十四歳で進士に及第し、前蜀の王建に仕え、司徒に任じられ、毛司徒と呼ばれた。その後、前覇が亡びると、後主の王衍に従って後唐に降り、さらに後蜀に仕え、欧陽烱、閻選、鹿虔扆、韓琮らと詞をもって後蜀の孟昶に奉仕し「五鬼」と称された。著書に『前局紀事』二巻、『茶譜』一巻がある。毛文錫の詞は大多数が男女の離別の情や傷惜春の情を詠ったものであるが、中には功名富貴を主張したものや、辺境の戦を詠ったものもある。『花間集』には三十一首の詞が収められている。

 

銀河 02 

七夕年年信不違,銀河清淺白雲微,蟾光鵲影伯勞飛。

天の川に隔てられた牽牛星と織女星が、毎年、一度だけ会う日が来る、その信頼は違うことはない、銀河の清らかな流れの浅瀬に彦星の訪問を示す白雲がかすかにひろがる。月の光が明るくなるとカササギが橋を造ると影が出来て、百舌鳥が飛んでいなくなる。

21. 七夕 陰暦七月七日の夜、天の川に隔てられた彦星と織姫が、年に一度だけ会うという伝説にちなむ年中行事。五節句のひとつ。《古詩十九首之十》(無名氏)「迢迢牽牛星  皎皎河漢女」(迢迢【ちょうちょう】たる牽牛星、皎皎【こうこう】たる河漢の女。)天の川を隔ててはるかかなたには彦星がいて、こちらにはこうこうと白くかがやく天の川の織姫がいる。

古詩十九首之十 (10) 漢詩<97>Ⅱ李白に影響を与えた詩529 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1404

22. 清淺 清んだ浅瀬。謝靈運《從斤竹澗越嶺溪行詩》「蘋萍泛沉深。菰蒲冒清淺。」(蘋萍【ひんべい】は沈深【ちんしん】に泛び、菰蒲【こほ】は清淺【せいせん】を冒【おお】えり。)浮草が深い淵にただよい集まり、まこもやがまは清んだ浅瀬を蔽って生えている。従斤竹澗超嶺渓行 謝霊運(康楽) 詩<57-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩448 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1161

23. 蟾光 つきあかり。李白《古朗月行》「蟾蜍蝕圓影、大明夜已殘。」(蟾蜍(せんじょ)は 円影を蝕し、大明 夜已に残く。)月の中にはヒキガエルがすんでいて、月のまるい影を食べている。月明かりが大きく照らさている夜があり、欠けてしまって夜の明りがのこる。古朗月行 #2 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 265350

24. 鵲 陰暦七月七日の夜、牽牛、織女の二星の、年に一度の逢瀬のために、鵲は翼をならべて天の川に橋をつくる。男女の契りの橋渡しをするという。

25. 伯勞 鳥類スズメ目の科である。モズと呼ばれるが、狭義にはその1種がモズと呼ばれる。 杜甫《百舌》は(この頃の口先だけの者たちを詠う)ものである。

廣徳2764-75 《百舌》 杜甫<751 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4085 杜甫詩1500-751-988/250039

 

每恨蟪蛄憐婺女,幾迴嬌妬下鴛機,今宵嘉會兩依依。

別れにはその度ごとに恨みにおもい、生命はニイニイゼミのように短いものであるし、須女という名の機織り娘も憐れなものである。幾度か、行き帰るうちに鴛鴦の機織りの方に下っていくのを見て嫉妬する、それでも今宵だけは、素敵な出会いであるから二人とも、しなやかな、名残惜しい時を過ごす。

26. 蟪蛄 蟪蛄けいこ(にいにいぜみ)生命の短いたとえ。人生のはかないことのたとえ。また、見識や経験の狭いことのたとえ。 小さなセミは夏の間だけしか生きないので、春と秋を知らない意から。「朝菌ちょうきんは晦朔かいさくを知らず、蟪蛄は春秋を知らず」から。「朝菌」は朝生えて晩には枯れるというキノコ。一説に、朝生まれて晩には死ぬ虫。

27. 婺女 1須女という名の機織り娘。玄武の亀身あるいは蛇身。.星宿名,即女宿。又名女,女。二十八宿之一,玄武七宿之第三宿,有星四。稽古始め・お披露目に吉。訴訟・結婚・葬式に凶

28. 嘉會 ① めでたい会合。  風流な会合。素敵な出会い。

29. 依依 枝などがしなやかである。名残り惜しく思うさま。

花間集 訳注解説 (250)回目毛文錫巻五25浣溪沙》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9121

 250)回目毛文錫巻五25浣溪沙》

 

 

花間集 訳注解説 (250)回目毛文錫巻五25浣溪沙》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9121

(李園、宜春院、沈香亭に集められた一芸を持った妓優は、春の芸を披露する宴で、見初められ人生が変わって行くとを詠うものである。)

春の雪解けの増水は軽やかな波を起てて流れ、水は澄んでいて、水底の綺麗な緑の苔を色濃く見せる。琵琶の花は池州の上に香りを漂わせ、宜春院や沈香亭の扉が啓かれる。

長閑な晴れの天気が続き、鴛鴦たちの群れ砂に隠れたりし、眠る、暖かさはツガイの者たちを寄り添わせて隅にゆく。

うす絹の靴下の宮女・妓優たちが動けば塵を生じ、歌舞音曲の宮女、妓優たちが楽しませてくれる時を過ごす。人は、そこで出会い、珠を弄んで帰っていく。

梨園、宜春院、沈香亭に集められた若い妓優は、蘭麝のお香が漂いかおる中で、佩魚が許され、はじめて帯を解く、宮女・妓優はもう帰っていく処のことは忘れてしまわねばならない。

 

 

花間集 巻五

 

 

 

浣 溪 沙

韋莊

巻二29浣溪沙五首其一清曉粧成寒食天,柳毬斜裊間花鈿,捲簾直出畫堂前。指點牡丹初綻,日高猶自凭朱欄,含嚬不語恨春殘。

韋莊

巻二30浣溪沙五首其二欲上鞦韆四體慵,擬教人送又心忪。畫堂簾幕月明風。此夜有情誰不極,隔牆棃雪又玲瓏,玉容憔悴惹微紅。

韋莊

巻二31浣溪沙五首其三惆悵夢餘山月斜,孤燈照壁背紅紗,小樓高閣謝娘家。暗想玉容何所似,一枝春雪凍梅花,滿身香霧簇朝霞。

韋莊

巻二32浣溪沙五首其四綠樹藏鶯鶯正啼,柳絲斜拂白銅堤,弄珠江上草萋萋。日暮飲歸何處客,繡鞍驄馬一聲嘶,滿身蘭麝醉如泥。

韋莊

巻二33浣溪沙五首其五夜夜相思更漏殘,傷心明月凭欄干,想君思我錦衾寒。咫尺畫堂深似海,憶來唯把舊書看,幾時攜手入長安。

薛昭蘊

巻三27浣溪沙八首其一紅蓼渡頭秋正雨,印沙鷗跡自成行,整鬟飄袖野風香。不語含嚬深浦裏,幾迴愁煞棹舡郎,鷰歸帆盡水茫茫。

薛昭蘊

巻三28浣溪沙八首其二鈿匣菱花錦帶垂,靜臨蘭檻卸頭時,約鬟低珥等歸期。茂茂艸青湘渚闊,夢餘空有漏依依,二年終日損芳菲。

薛昭蘊

巻三29浣溪沙八首其三粉上依稀有淚痕,郡庭花落欲黃昏,遠情深恨與誰論。記得去年寒食日,延秋門外卓金輪,日斜人散暗消魂。

薛昭蘊

巻三30浣溪沙八首其四握手河橋柳似金,蜂鬚輕惹百花心,蕙風蘭思寄清琴。意滿便同春水滿,情深還似酒盃深,楚煙湘月兩沉沉。

薛昭蘊

巻三31浣溪沙八首其五簾下三間出寺牆,滿街垂楊綠陰長,嫩紅輕翠間濃粧。瞥地見時猶可可,卻來閑處暗思量,如今情事隔仙

薛昭蘊

巻三32浣溪沙八首其六江館清秋纜客舡,故人相送夜開筵,麝煙蘭焰簇花鈿。正是斷魂迷楚雨,不堪離恨咽湘絃,月高霜白水連天。

薛昭蘊

巻三33浣溪沙八首其七傾國傾城恨有餘,幾多紅淚泣姑蘇,倚風凝睇雪肌膚。主山河空落日,越王宮殿半平蕪,藕花菱蔓滿重湖。

薛昭蘊

巻三34浣溪沙八首其八越女淘金春水上,步搖雲鬢珮鳴璫,渚風江草又清香。不為遠山凝翠黛,只應含恨向斜陽,碧桃花謝憶劉郎。

張泌

巻四28浣溪沙十首其一鈿轂香車過柳堤,樺煙分處馬頻嘶,為他沉醉不成泥。花滿驛亭香露細,杜鵑聲斷玉蟾低,含情無語倚樓西。

張泌

巻四29浣溪沙十首其二馬上凝情憶舊遊,照花淹竹小溪流,鈿箏羅幕玉搔頭。早是出門長帶月,可堪分袂又經秋,晚風斜日不勝愁。

張泌

巻四30浣溪沙十首其三獨立寒堦望月華,露濃香泛小庭花,繡屏愁背一燈斜。雲雨自從分散後,人間無路到仙家,但憑魂夢訪天涯。

張泌

巻四31浣溪沙十首其四依約殘眉理舊黃,翠鬟擲一簪長,暖風晴日罷朝粧。閑折海棠看又撚,玉纖無力惹餘香,此情誰會倚斜陽。

張泌

巻四32浣溪沙十首其五翡翠屏開繡幄紅,謝娥無力曉粧慵,錦帷鴛被宿香濃。微雨小庭春寂寞,鷰飛鶯語隔簾櫳,杏花凝恨倚東風。

張泌

巻四33浣溪沙十首其六枕障燻鑪隔繡幃,二年終日兩相思,杏花明月始應知。天上人間何處去,舊歡新夢覺來時,黃昏微雨畫簾垂。

張泌

巻四34浣溪沙十首其七花月香寒悄夜塵,綺筵幽會暗傷神,嬋娟依約畫屏人。人不見時還暫語,令纔後愛微嚬,越羅巴錦不勝春。

張泌

巻四35浣溪沙十首其八偏戴花冠白玉簪,睡容新起意沉吟,翠鈿金縷鎮眉心。小檻日斜風悄悄,隔簾零落杏花陰,斷香輕碧鏁愁深。

張泌

巻四36浣溪沙十首其九晚逐香車入鳳城,東風斜揭繡簾輕,慢迴嬌眼笑盈盈。消息未通何計是,便須佯醉且隨行,依稀聞道大狂生。

張泌

巻四37浣溪沙十首其十小市東門欲雪天,眾中依約見神仙,蘂黃香畫貼金蟬。飲散黃昏人草草,醉容無語立門前,馬嘶塵烘一街煙。

毛文錫

巻五26浣溪沙七夕年年信不違,銀河清淺白雲微,蟾光鵲影伯勞飛。每恨蟪蛄憐婺女,幾迴嬌妬下鴛機,今宵嘉會兩依依。

欧陽烱

巻五47浣溪沙三首其一落絮殘鶯半日天,玉柔花醉只思眠,惹映竹滿爐煙。獨掩畫屏愁不語,斜欹瑤枕髻鬟偏,此時心在阿誰邊。

欧陽烱

巻五48浣溪沙三首其二天碧羅衣拂地垂,美人初著更相宜,宛風如舞透香肌。獨坐含嚬吹鳳竹,園中緩步折花枝,有情無力泥人時。

欧陽烱

巻五49浣溪沙三首其三相見休言有淚珠,酒闌重得敘歡,鳳屏鴛枕宿金鋪。蘭麝細香聞喘息,綺羅纖縷見肌膚,此時還恨薄情無。

顧夐

巻七01浣溪沙八首其一春色迷人恨正,可堪蕩子不還家,細風輕露著梨花。簾外有情雙鷰颺,檻前無力綠楊斜,小屏狂夢極天涯。

顧夐

巻七02浣溪沙八首其二紅藕香寒翠渚平,月籠虛閣夜蛩清,塞鴻驚夢兩牽情。寶帳玉鑪,殘麝冷,羅衣金縷暗塵生,小孤燭淚縱橫。

顧夐

巻七03浣溪沙八首其三荷芰風輕簾幕香,繡衣鸂鶒泳迴塘,小屏閑掩舊瀟湘。恨入空幃鸞影獨,淚凝雙臉渚蓮光,薄情年少每思量。

顧夐

巻七04浣溪沙八首其四惆悵經年別謝娘,月花院好風光,此時相望最情傷。青鳥不來傳錦字,瑤何處鏁蘭房,忍教魂夢兩茫茫。

顧夐

巻七05浣溪沙八首其五庭菊飄黃玉露濃,冷莎隈砌隱鳴蛩,何期良夜得相逢。背帳風搖紅滴,惹香暖夢繡衾重,覺來枕上怯晨鐘。

顧夐

巻七06浣溪沙八首其六雲澹風高葉亂飛,小庭寒雨綠苔微,深閨人靜掩屏幃。粉黛暗愁金帶枕,鴛鴦空繞畫羅衣,那堪辜負不思歸。

顧夐

巻七07浣溪沙八首其七鴈響遙天玉漏清,小紗外月朧明,翠幃金鴨炷香平。何處不歸音信斷,良宵空使夢魂驚,簟涼枕冷不勝情。

顧夐

巻七08浣溪沙八首其八露白蟾明又到秋,佳期幽會兩悠悠,夢牽情役幾時休。記得泥人微斂黛,無言斜倚小書樓,暗思前事不勝愁。

孫光憲

巻七38浣溪沙九首其一蓼岸風多橘柚香,江邊一望楚天長,片帆煙際閃孤光。目送征鴻飛杳杳,思隨流水去茫茫,蘭紅波碧憶瀟湘。

孫光憲

巻七39浣溪沙九首其二桃杏風香簾幕閑,謝家門約花關,畫梁幽語鷰初還。繡閣數行題了壁,曉屏一枕酒醒山,卻疑身是夢魂間。

孫光憲

巻七40浣溪沙九首其三花漸凋疎不耐風,畫簾垂地晚堂空,墮階縈蘚舞愁紅。膩粉半粘金靨子,殘香猶暖繡薰籠,蕙心無處與人同。

孫光憲

巻七41浣溪沙九首其四攬鏡無言淚欲流,凝情半日懶梳頭,一庭疎雨濕春愁。楊柳秖知傷怨別,杏花應信損嬌羞,淚沾魂斷軫離憂。

孫光憲

巻七42浣溪沙九首其五半踏長裾宛約行,晚簾疎處見分明,此時堪恨昧平生。早是銷魂殘燭影,更愁聞著品絃聲,杳無消息若為情。

孫光憲

巻七43浣溪沙九首其六蘭沐初休曲檻前,暖風遲日洗頭天,濕雲新斂未梳蟬。翠袂半將遮粉臆,寶釵長欲墜香肩,此時模樣不禁憐。

孫光憲

巻七44浣溪沙九首其七風遞殘香出繡簾,團窠金鳳舞襜襜,落花微雨恨相兼。何處去來狂太甚,空推宿酒睡無猒,爭教人不別猜嫌。

孫光憲

巻七45浣溪沙九首其八輕打銀箏墜鷰泥,斷絲高罥畫樓西,花冠閑上午牆啼。粉籜半開新竹逕,紅苞盡落舊桃蹊,不堪終日閉深閨。

孫光憲

巻七46浣溪沙九首其九烏帽斜欹倒佩魚,靜街步訪仙居,隔牆應認打門初。將見客時微掩斂,得人憐處且先疎,低頭羞問壁邊書。

閻選

《巻九24浣溪沙》  寂寞流蘇冷茵,倚屏山枕惹香塵,小庭花露泣濃香。劉阮信非仙洞客,常娥終是月中人,此生無路訪東鄰。八拍蠻二首

毛熙震

《巻九34浣溪沙七首其一》  春暮鶯下砌前,水精簾影露珠懸,綺霞低映晴天。弱柳萬條垂翠帶,殘紅滿地碎香鈿,蕙風飄蕩散輕煙。

毛熙震

《巻九35浣溪沙七首其二》  香紅煙景迷,滿庭芳艸綠萋萋,金鋪閑掩簾低。紫一雙嬌語碎,翠屏十二峯齊,夢魂銷散醉空閨。

毛熙震

《巻九36浣溪沙七首其三》  起紅房醉欲銷,綠鬟雲散金翹,雪香花語不勝嬌。好是向人柔弱處,玉纖時急裙腰,春心牽惹轉無

毛熙震

《巻九37浣溪沙七首其四》  一隻橫釵墜髻叢,靜眠珍簟起來慵,羅紅嫩抹酥胸。羞斂細蛾魂暗斷,困迷無語思猶濃,小屏香靄碧山重。

毛熙震

《巻九38浣溪沙七首其五》  雲薄羅裙綬帶長,滿身新瑞龍香,翠鈿斜映梅粧。佯不人空婉約,笑和嬌語太倡狂,忍教牽恨暗形相。

毛熙震

《巻九39浣溪沙七首其六》  碧玉冠輕裊鷰釵,捧心無語,緩移弓底羅鞋。暗想歡何計好,豈堪期約有時乖,日高深院正忘懷。

毛熙震

《巻九40浣溪沙七首其七》  半醉凝情臥茵,睡容無力卸羅裙,玉籠鸚鵡聽聞。慵整落釵金翡翠,象梳欹鬢月生雲,錦屏幌麝煙薰。

 

李珣

《巻十14浣溪沙四首其一》  入夏偏宜澹薄粧,越羅衣褪鬱金黃,翠鈿檀注助容光。相見無言還有恨,幾迴判卻又思量,月香徑夢悠颺。

李珣

《巻十15浣溪沙四首其二》  晚出閑庭看海棠,風流學得家粧,小釵橫戴一枝芳。鏤玉梳斜雲鬢膩,縷金衣透雪肌香,暗思何事立殘陽。

李珣

《巻十16浣溪沙四首其三》  訪舊傷離欲斷魂,無因重見玉樓人,六街微雨鏤香塵。早為不逢巫峽夢,那堪虛度錦江春,遇花傾酒莫辭頻。

李珣

《巻十17浣溪沙四首其四》  紅藕花香到檻頻,可堪閑憶似花人,舊歡如夢音塵。翠疊畫屏山隱隱,冷鋪紋簟水潾潾,斷魂何處一蟬新。

 

 

 

花間集 教坊曲《浣溪沙》毛文錫

 

 

花間集 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9121

 

 

 

 

浣沙溪一首

(李園、宜春院、沈香亭に集められた一芸を持った妓優は、春の芸を披露する宴で、見初められ人生が変わって行くとを詠うものである。)

春水輕波浸綠苔,枇杷洲上紫檀開。

春の雪解けの増水は軽やかな波を起てて流れ、水は澄んでいて、水底の綺麗な緑の苔を色濃く見せる。琵琶の花は池州の上に香りを漂わせ、宜春院や沈香亭の扉が啓かれる。

晴日眠沙鸂鸂穩,暖相隈。

長閑な晴れの天気が続き、鴛鴦たちの群れ砂に隠れたりし、眠る、暖かさはツガイの者たちを寄り添わせて隅にゆく。

羅襪生塵遊女過,有人逢著弄珠迴。

うす絹の靴下の宮女・妓優たちが動けば塵を生じ、歌舞音曲の宮女、妓優たちが楽しませてくれる時を過ごす。人は、そこで出会い、珠を弄んで帰っていく。

蘭麝飄香初解珮,忘歸來。

梨園、宜春院、沈香亭に集められた若い妓優は、蘭麝のお香が漂いかおる中で、佩魚が許され、はじめて帯を解く、宮女・妓優はもう帰っていく処のことは忘れてしまわねばならない。

(浣沙溪一首)

春水 輕波して 綠苔を浸し,枇杷 洲上 紫檀開く。

晴日 沙に眠り 鸂鸂穩し,暖かにして相い隈す。

羅襪【らべつ】塵より生ずれば 遊女過ぎ,人有り 逢著して珠を弄び迴る。

蘭麝 飄香し 初めて珮を解き,歸來するを忘る。

 

浣溪沙一首

七夕年年信不違,銀河清淺白雲微,蟾光鵲影伯勞飛。

每恨蟪蛄憐婺女,幾迴嬌妬下鴛機,今宵嘉會兩依依。

(浣溪沙一首)

七夕 年年 信 違わず,銀河 清淺 白雲 微かなり,蟾光 鵲影とし 伯勞 飛ぶ。

に 蛄を恨む 女を憐み,幾び 嬌妬を迴る 鴛機に下るを,今宵の嘉會は兩つながら依依たり。

銀河 04 

 

『浣沙溪』 現代語訳と訳註

(本文)

浣沙溪

春水輕波浸綠苔,枇杷洲上紫檀開。

晴日眠沙鸂鸂穩,暖相隈。

羅襪生塵遊女過,有人逢著弄珠迴。

蘭麝飄香初解珮,忘歸來。

 

(下し文)

(浣沙溪一首)

春水 輕波して 綠苔を浸し,枇杷 洲上 紫檀開く。

晴日 沙に眠り 鸂鸂穩し,暖かにして相い隈す。

羅襪【らべつ】塵より生ずれば 遊女過ぎ,人有り 逢著して珠を弄び迴る。

蘭麝 飄香し 初めて珮を解き,歸來するを忘る。

 

(現代語訳)

(李園、宜春院、沈香亭に集められた一芸を持った妓優は、春の芸を披露する宴で、見初められ人生が変わって行くとを詠うものである。)

春の雪解けの増水は軽やかな波を起てて流れ、水は澄んでいて、水底の綺麗な緑の苔を色濃く見せる。琵琶の花は池州の上に香りを漂わせ、宜春院や沈香亭の扉が啓かれる。

長閑な晴れの天気が続き、鴛鴦たちの群れ砂に隠れたりし、眠る、暖かさはツガイの者たちを寄り添わせて隅にゆく。

うす絹の靴下の宮女・妓優たちが動けば塵を生じ、歌舞音曲の宮女、妓優たちが楽しませてくれる時を過ごす。人は、そこで出会い、珠を弄んで帰っていく。

梨園、宜春院、沈香亭に集められた若い妓優は、蘭麝のお香が漂いかおる中で、佩魚が許され、はじめて帯を解く、宮女・妓優はもう帰っていく処のことは忘れてしまわねばならない。

 

(訳注)

浣沙溪

1.(李園、宜春院、沈香亭に集められた一芸を持った妓優は、春の芸を披露する宴で、見初められ人生が変わって行くとを詠うものである。)

2. ・歌舞と女楽、これらは唐代には上は天子、公卿から、下は庶民、士人に至るまでの、すべての人々にとって欠くことのできない芸術的楽しみであった。それゆえこれらは宮廷から、あらゆる社会の階層に至るまで盛んに行われた。宮廷の中にあった教坊、宜春院、梨園、それに長安・洛陽両京にあった外教坊などには、歌舞と音栗に携わる芸妓が多数集中していた。朝廷は天下の名人を広く捜し出したので、唐代の女性芸術家の最も優れた人々をそこに集めることができたのである。彼女たちは恵まれた条件を与えられ、専門的な教育を受けた。また宮廷では常時大規模な催しが開かれたので、彼女たちは芸術的才能を充分に発揮することができ、高度な芸術的才能をもった人々が輩出することになった。その他、貴族や富豪が、自宅に家妓を抱えておく風習も盛んであった。彼らは専門家を招いて家妓を教育し、賓客の歓送迎会、家の慶事や誕生日などの御祝には、必ず家妓に芸を披露させて興趣を添えた。各地の官妓たちの歌舞や音楽の才能も人々から重視され、官庁の歓送迎会、宴会、遊覧の際には、彼女たちの出演は不可欠な漬物となっていた。妓優、姫妾たちが音楽、歌舞を得意としただけでなく、家庭の女性も音楽を習い楽器に通じることを家庭の娯楽、高雅な修養とみなしていた。こうした風潮によって、優秀な芸術家が数多く育成されたのである。

長安城皇城と宮城とその周辺

    皇城と所の周辺の繁華街圖

 

『花間集』には毛文錫の作が三十一首収められている。この詞調の「教坊曲」浣沙溪は毛文錫の一首のみで、教坊曲『浣溪紗』五十六首にも毛文錫の一首は所収されている。双調四十八字、前段二十四字四句三平韻、後段二十四字三句二平韻一仄韻で、⑦⑦7③/7⑦❼③の詞形をとる。

春水輕波浸綠  枇杷洲上紫檀
晴日眠沙鸂鸂穩  暖相
羅襪生塵遊女過  有人逢著弄珠
蘭麝飄香初解  忘歸

○●△○△●○  △△○●●○○

○●○△○○●  ●△△

○●△○○●△  ●○○△●○△

○●○○○●●  ●○△

  興慶宮01
            唐 興慶宮は位置図

 

興慶宮の正門は中国の宮殿には珍しく西側にあり、「興慶門」といった。その内にあった興慶宮西北部にある「興慶殿」が正殿となった。その南が「大同殿」であり、横に鐘楼と鼓楼が立ち、老子の像が祀られていた。また、「竜池」の近くには、沈香木で作られた「沈香亭」があった。「勤政務本楼」と「花萼相輝楼」は、直接、大路に接するようにつくられた高層建築物であった。

「竜池」には、雲気がただよい、黄竜が現れ、玄宗が皇帝に即位する前兆となったという伝承があり、南側に、竜を祀る「竜堂」や「五竜壇」があった。また、東北側に「沈香亭」があり、牡丹の名所で知られ、玄宗と楊貴妃が花見を行ったこと、李白がこれを題材に詩を詠い、それを李亀年が歌にしたというエピソードで知られる。近くの「金花落」に衛士の屯所があったと伝えられる。

 

春水輕波浸綠苔,枇杷洲上紫檀開。

春の雪解けの増水は軽やかな波を起てて流れ、水は澄んでいて、水底の綺麗な緑の苔を色濃く見せる。琵琶の花は池州の上に香りを漂わせ、宜春院や沈香亭の扉が啓かれる。

3. 春水 春の雪解け水で増水した河川をあらわす。川が増水しているのに透き通った水であることに特徴を持つ。期待感を表す語である。

4. 綠苔 水にうるおって青苔が生き生きとして色鮮やかな姿をいう。晩春から初夏、夏をいう。

李白 「綠苔」について

115巻三27長干行二首其一 

一一生綠苔。 苔深不能掃。 落葉秋風早。 八月胡蝶來。

658巻十九32金陵鳳凰台置酒 

東風吹山花。 安可不盡杯。 六帝沒幽草。 深宮冥綠苔。 置酒勿復道。 歌鐘但相催。 

5. 枇杷 ビワ。初冬から咲き始め、大寒を耐え、立春の頃まで咲いている。バラ科の常緑高木。冬、枝先に帯黄白色の五弁の小花をつける。 目立たない花ではあるが芳香があり、この季節に咲く花としては趣がある。

6. 紫檀開 興慶宮にある沈香亭・宜春院 沈香(水に沈む堅く重い香木)で作ったのでこう名づけられた建物。興慶宮の芝池の東南に在った。現在も興慶公園の沈香亭として復元されている。

李白《清平調詞其三》「名花傾國兩相歡、長得君王帶笑看。解釋春風無限恨、沈香亭北倚欄干。」  名高い牡丹の花と傾国の美女が、たがいにその美を歓びあう。君王は楽しげに眺めて、いつまでも微笑みをかえしておられる。その無限の恨みを解きほぐすかのように春風がふいてくる、紫檀、黒檀で作られた沈香亭の奥まったところ、欄杵に身を倚せた美しい建物に溶け込んだ妃は美しい。)

7. ・許和子(永新)『楽府雑録』『開元天宝遺事』に見える。吉州永新県の楽家の生まれの女性で本名を許和子と言った。開元の末年ごろに後宮に入り、教坊の宜春院に属した。その本籍によって、永新と呼ばれた。美貌と聡い性質を持ち、歌に長じ、作曲を行い、韓娥・李延年の千年来の再来と称せられた。玄宗から寵愛を受け、演奏中もその歌声は枯れることがなく、玄宗から「その歌声は千金の価値がある」と評せられる。玄宗が勤政楼から顔を出した時、群衆が騒ぎだしたので、高力士の推薦で永新に歌わせたところ、皆、静まりかえったという説話が伝わっている。

玄宗は音楽、歌舞を特に愛好したので、彼の治世には宮妓の人数は大幅に増大し、教坊は隆盛を極めた。また玄宗は宮中に梨園、宜春院などを設け、特に才能のある芸妓を選りすぐり、宮中に入れて養成した。当時、宜春院に選抜された妓女は、「内人」とか、「前頭人」とよばれた。玄宗は常日頃、勤政楼の前で演芸会を開き、歌舞の楽妓は一度に数百人も出演することがあり、また縄や竹竿を使う、さまざまな女軽業師の演戯もあった。この後は、もうこれほどの盛況はなかったが、しかし教坊は依然として不断に宮妓を選抜して教坊に入れていた。憲宗の時代、教坊は皇帝の勅命だと称して「良家士人の娘及び衣冠(公卿大夫)の家の別邸の妓人を選び」内延に入れると宣言したので(『旧唐書』李緯伝)、人々は大いに恐れおののいた。そこで憲宗は、これは噂であると取り消さざるを得なかった。文宗の時代、教坊は一度に「霓裳羽衣」(開元、天宝時代に盛んに行われた楽曲)の舞いを踊る舞姫三百人を皇帝に献上したことがあった。

8. ・梨園、宜春院 玄宗は長安の禁苑中に在る梨園に子弟三百人を選んで江南の音曲である法楽を学はせ、また宮女数百人を宜春北院に置いて梨園の弟子とした。

選ばれて宜春院に入った「内人」は身分が最も高かった。彼女たちが演舞する時には、雲韶院で訓練中の宮人とは衣服や装飾品に高低の区別があり、「内人」には佩魚が許されていたが、宮人には許されなかった。内人は比較的優遇されており、その家庭は「内人家」とよばれ、みな宮廷の外の外教坊に住み、季節ごとに宮廷から糧米が支給されていた。内人の中で皇帝から最も寵愛を受けていた「十家」と称される内人は邸宅を賜り、日常の賞賜もたいへん多かった。また、内人は家族と常時会うことができ、毎月の二日、十六日、あるいは自分の誕生日などに母親や姉妹が訪ねることができた。敬宗の時、皇帝は自ら内人の家族千二百人を招待し、教坊で宴席を設け、褒美として錦を下賜した(『旧唐書』敬宗紀)。

 

晴日眠沙鸂鸂穩,暖相隈。

長閑な晴れの天気が続き、鴛鴦たちの群れ砂に隠れたりし、眠る、暖かさはツガイの者たちを寄り添わせて隅にゆく。

9. 鸂鶒 おしどり。12・3世紀以前の性の倫理観は非常に自由であったので、鴛鴦の様に男女の番という表現は、必ずしも決まった男女ということではないのである。明時代以降の朱子学から貞操感の厳格化と性の隠蔽、頽廃の二極化していく。

 

羅襪生塵遊女過,有人逢著弄珠迴。

うす絹の靴下の宮女・妓優たちが動けば塵を生じ、歌舞音曲の宮女、妓優たちが楽しませてくれる時を過ごす。人は、そこで出会い、珠を弄んで帰っていく。

10. 羅襪 うす絹の靴下。李白《玉階怨》「玉階生白露、夜久侵羅襪。却下水精簾、玲瓏望秋月。」(玉階(ぎょくかい)に白露(はくろ)生じ、夜久しくして羅襪(らべつ)を侵(おか)す。水精(すいしょう)の簾(すだれ)を却下(きゃっか)するも、玲瓏(れいろう)として秋月(しゅうげつ)を望む)

11. 生塵 春の砂塵を起す。俗塵から選定された若い者たちが出てくれば

12. 遊女 宴における歌舞音曲の宮女、妓優たち。

13. 逢著 出会う。ふと出くわす。

14. 弄珠 珠をもてあそぶ。

 

蘭麝飄香初解珮,忘歸來。

梨園、宜春院、沈香亭に集められた若い妓優は、蘭麝のお香が漂いかおる中で、佩魚が許され、はじめて帯を解く、宮女・妓優はもう帰っていく処のことは忘れてしまわねばならない。

15. 蘭麝 蘭の花と麝香 (じゃこうの香り。また、よい香り。

16. 初解珮 はじめて帯を解いて経験するということだが、佩び玉を腰につけることは宮女の中でも身分が高い方であろう。その場合宜春院に入った「内人」であれば、佩魚が許されるという、この場合並はずれた飛び切りの芸を持っている出身の家柄も良い場合ということになる。

17. 忘歸來 宮女として仕えはじめれば、帰ることは許されない。天子の所有物となることをいう。

花間集 訳注解説 (249)回目毛文錫【字解集】a甘州遍二首 .b.紗䆫恨二首 c柳含煙四首 .d.醉花間二首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9114

249)回目毛文錫【字解集】a甘州遍二首 .b.恨二首 c柳含煙四首 .d.醉花間二首》 

 

 

 花間集新タイトル

花間集 訳注解説 (249)回目毛文錫【字解集】a甘州遍二首 .b.恨二首 c柳含煙四首 .d.醉花間二首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9114

 

 

【字解集】a甘州遍二首 

甘州遍二首其一

1.(公子の時は煌びやかに過ごし、帝王学を身に着け、雅楽《甘州》を繰り返して謡い、酒宴を厳かに催していれば「堯年舜日」であり、憂えることなどない)

2.【解説】天子の器は、公子の時から庶民とはかけ離れた生活で過ごすほどよく、「雕弓寶劍」を身に付けることは当然のこととし、「禮記」「昏儀」「内官」があり、妃も妃嬪もそれにしたがって行くものであり、そうして帝王学を身に着け、雅楽《甘州》を繰り返して謡い、酒宴を厳かに催していれば「堯年舜日」のような世の中であり、憂えることなどまったくないものである。

甘州子は西域から花街に来た娘をいう。 唐の長安は当時世界最大の都市で、国際交流都市であった。そこには青い目の娘がいた。特にペルシャ系、トルコ系の美女が詩に登場している。雅楽に「甘州子」がある。中国の雅楽は,〈雅正の楽〉の意で俗楽に対立し,儒教の礼楽思想に基づいて成立,発展したために狭義には天地宗廟の祭祀楽を意味するが,広義には国家,宮廷の儀式や宴饗の楽も含める。狭義の雅楽は古来の雅楽器を用い,堂上登歌(どうじようとうか),堂下楽懸(どうかがくけん)の2種の楽を奏し,八佾(はちいつ)の舞を舞うという一定の形式を有する。

甘州(かんしゅう)は中国にかつて存在した州。現在の中華人民共和国甘粛省張掖市に比定される。南北朝時代には西魏により西涼州が設置され、553年(廃帝3年)に甘州と改称された。その後、隋代は、隋朝が成立すると当初は甘州が設置され27県を管轄した。607年(大業3年)には郡制施行に伴い武威郡と改称された。

 

顧夐

甘州子五首 其一

甘州子五首 其二

甘州子五首 其三

甘州子五首 其四

甘州子五首 其五

玉樓春四首其一

 

3.【構成】唐の教坊の曲名。『花問集』には毛文錫の二首のみ所収。雙調六十三字、前段三十二字八句四平韻三仄韻、後段三十一字七句四平韻三仄韻で、❸⑤③4❹⑦❸③/❻⑤❸⑤③❹⑤

 の詞形をとる。この詩は難易なしである。獻詩、公讌詩の様でありながら、比興詩のようにも感じられる。掘り下げれは面白い詞である。

 

毛文錫《甘州遍二首其一》

3

5

3

 

春光,公子愛閑,足風

4

4

7

金鞍白馬,雕弓寶,紅纓錦襜出長

3

3

 

32

花蔽,玉銜

6

5

 

 

尋芳逐勝歡,絲竹不曾

3

5

3

 

美人,揭調是《甘》。醉紅

4

5

 

31

堯年舜,樂聖永無

 

63

 

❸⑤③4❹⑦❸③/❻⑤❸⑤③❹⑤

○△●  ○●●○○  ●△○

○○●●  ○○●●  ○○●△●△○

○●●  ●○○

○○●△○●  ○●△○△

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○○●●  ●●●○○

 

春光好,公子愛閑遊,足風流。

春日のひかりは快いものであり、公子はのどかな遊びを愛され、そこでは風流に満足されている。

4. 公子 君主の子は公子と呼ばれ、公子の子は公孫と呼ばれた。実質上、諸侯は王族に等しく、その子弟も王子と呼んでもさしつかえはないが、建前上は列国は周王の家来であり、王は周王ただ一人であるので、諸侯は公を称し、その子弟は公子となった。

5. 閑遊 のどかに遊ぶこと。

 

金鞍白馬,雕弓寶劍,紅纓錦襜出長鞦。

黄金でかざられた鞍をつけた白馬、彫刻で飾られた弓、宝飾の絵の剣、紅色の手綱、錦の前掛け、馬の尾の下から後輪に三繫を付けて轅を固定してでてゆく。

6. 白馬 詩経「鴻雁の什、白駒」賢者を隠遁させないで引き留めるためにいろいろ試みるが山、谷のなかにさっていくものである、ということから帰ってゆく貴富、ここでは貴公子のことを言う。

7. 雕弓 文様の美しい烏號の雕弓。刻花紋も弓;精美な弓。 漢司馬相如《子虚》:“左烏號之雕弓,右夏服之勁箭。”(左には文様の美しい烏號の雕弓を、右には夏后氏の箙に入れた強力な矢を置く。)

8. 寶劍 剣にまつわる有名な伝説がある名剣をいう。

9. 纓 ① 冠の後ろに突き出ている巾子(こじ)の根もとをしめた紐(ひも)の余りを背に垂れ下げたもの。 ② 巾子の背面下部の付属具。骨を入れ薄絹に薄く漆をかける。形により,立纓(りゆうえい)・垂纓・巻纓・細纓などがある。① を装飾的に変化させたもの。 ③ 冠がぬげないように顎(あご)の下で結ぶ紐。

10. 襜 宮女の腰巻、前掛け。馬に乗る時の前掛け。

11. 鞦 鞦韆(秋千)「鞦」「韆」はそれぞれ1文字でもブランコの意味を持つ。「鞦韆」は宮女が使った遊び道具(性具)をさす。いまのブランコとは少し違い飾りがたくさんついており、遊戯中、裾から足が見えて、皇帝が見ていて運よく夜伽に呼ばれる可能性から艶かしいイメージを持つものである。北宋の文人、蘇軾の漢詩「春夜」にも鞦韆が出てくることから、性行為の過程を詠んだという解釈もある。

① 馬具の一。馬の尾の下から後輪(しずわ)の鞖(しおで)につなぐ紐(ひも)。 → 三繫(さんがい) ② のち,頭・胸・尾にかける紐の総称。三繫。おしかけ。 ③ 牛馬の尻につけて,車の轅(ながえ)を固定させる紐。

 

花蔽膝,玉銜頭。

馬の膝までを花で蔽っていて、頭から轡を銜える所にも飾り付けられている。

 

尋芳逐勝歡宴,絲竹不曾休。

芳しい「内官」の妾妃を訪ねて春景色を歓勝し、行楽の宴を遂行してきて、琴、瑟、管弦楽の演奏はやむことはない。

12. 絲竹 〔糸竹(しちく)〕 ① 〔「糸」は琴・三味線などの弦楽器,「竹」は笛・笙(しよう)などの管楽器〕和楽器の総称。管弦。 ② 音楽。音曲。

尋芳 皇太子の東宮公子、にも「内官」があり、子妃一人、その下に良娣、良媛、承徽、昭訓、奉儀などの品級があった。諸親王の王妃の下にも孺人【じゅじん】等の媵妾【ようしょう】の身分があった。

 

美人唱,揭調是《甘州》。醉紅樓。

妓優、宮妓らはずっと歌いつづけ、雅楽「甘州子」は調子を揃えて謡われている。高楼全体で酒宴に酔っている。

13. 甘州 雅楽に「甘州子」がある。中国の雅楽は,〈雅正の楽〉の意で俗楽に対立し,儒教の礼楽思想に基づいて成立,発展したために狭義には天地宗廟の祭祀楽を意味する

 

堯年舜日,樂聖永無憂。

古代賢君の堯と舜が施政した天下太平で国力も隆盛と「四時白紵歌」もうたわれて、このように聖天子のもとに音楽が演奏されればとこしえに、愁いなどすることはないのだ。

14. 堯年舜日 世の中が太平で国力も隆盛になることの比喩。 古代賢君の堯と舜が施政したよのなかをいう。南朝梁沈約《四時白紵歌‧春白紵》「佩服瑤草駐容色, 舜日堯年懽無極。」

 

 

甘州遍二首其二

15.(西域の雅楽「甘州子」の生まれた辺境の辺りの過去の様々な悲劇と、皇帝の一言で、悲運の生涯を遂げることになったと詠う。)

16. 唐の教坊の曲名。『花問集』には毛文錫の二首のみ所収。雙調六十三字、前段三十二字八句四平韻三仄韻、後段三十一字七句四平韻三仄韻で、❸⑤③4❹⑦❸③/❻⑤❸⑤③❹⑤

 の詞形をとる。この詩は難易なしである。獻詩、公讌詩の様でありながら、比興詩のようにも感じられる。掘り下げれば面白い詞である。

毛文錫《甘州遍二首其一》

3

5

3

 

春光,公子愛閑,足風

4

4

7

金鞍白馬,雕弓寶,紅纓錦襜出長

3

3

 

32

花蔽,玉銜

6

5

 

 

尋芳逐勝歡,絲竹不曾

3

5

3

 

美人,揭調是《甘》。醉紅

4

5

 

31

堯年舜,樂聖永無

 

63

 

❸⑤③4❹⑦❸③/❻⑤❸⑤③❹⑤

○△●  ○●●○○  ●△○

○○●●  ○○●●  ○○●△●△○

○●●  ●○○

○○●△○●  ○●△○△

●○●  ●△●○○  ●○○

○○●●  ●●●○○

唐の教坊の曲名。『花問集』には毛文錫の二首のみ所収。雙調六十三字、前段三十二字八句四平韻一仄韻、後段三十一字七句四平韻一仄韻で、❸⑤③44⑦3③/6⑤❸⑤③4⑤ の詞形をとる。

毛文錫《甘州遍二首其二》

3

5

3

 

秋風緊,平磧鴈行,陣雲

4

4

7

蕭蕭颯颯,邊聲四起,愁聞戍角與征

3

3

 

32

青塚北,黑山西

6

5

 

 

沙飛聚散無,往往路人

3

5

3

 

鐵衣,戰馬血沾,破蕃

4

5

 

31

鳳皇詔下,步步躡丹

 

63

 

○△●  ○●●△○ ●○△。

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秋風緊,平磧鴈行低,陣雲齊。

北の辺境には秋風が吹けば身をちじめる緊縮頃である。北の砂漠地帯では、雁が列をなして南の地平線に低く飛ぶ。鉛色の空重なりあった雲がどこまでも続く。

17. 緊 固く引きしまる。引きしめる。「緊縮・緊張・緊縛・緊密」物事が差し迫っている。「緊急・緊迫・緊要/喫緊」 

18. 磧 1.淺水中的沙石。 2. [沙~]沙漠。不生草木的沙石地。

19. 陣雲  (同義語)陳雲。 ①陣形のように見える、重なりあった雲。 ②戦場の空にある殺気をはらんだ雲。戦場の空に広がる雲。

20. 齊/斉【せい】[音]セイ(漢)サイ(慣)[訓]ととのえる、ととのう、ひとしい凸凹がなく等しくそろっている。そろえる。ととのえる。「斉一・斉唱/一斉・均斉・整斉・修身斉家」中国、春秋時代の国名。

 

蕭蕭颯颯,邊聲四起,愁聞戍角與征鼙。

ここに吹き付ける風は、蕭々ともの悲しく、颯々と音を起てて強く吹く、そうなると思い浮かべるのは西域から、北方、東北にかけて異民族の侵略を征圧する為に出征した李陵と蘇武の別れだ、そこで鳴る角笛と軍鼓を鳴らし大声をあげて攻めることが心配事である。

21. 蕭蕭 もの寂しく感じられるさま。「―たる晩秋の野」雨や風の音などがもの寂しいさま。

22. 颯颯 風が音を立てて吹くさま。人柄などが、さっぱりしたさわやかな印象を与えるさま。

23. 愁聞戍角與征鼙 蘇武と李陵 涼秋九月, 塞外草衰. 夜不能寐, 側耳遠聽, 胡笳互動, 牧馬悲鳴, 吟嘯成群,邊聲四起. 晨坐聽之, 不覺淚下.

李陵と蘇武の二人のうち、蘇武が英雄として帰国を果たしたのに対し、反逆者の汚名を着せられた李陵は遂に帰国せず、辺境の地で一生を終えた。「答蘇武書」は、帰国を勧める蘇武の書簡に対し、自らの国を捨てる決心を綴った李陵の返信である。

・蘇武 (前140?―前60)前漢の名臣。字(あざな)は子卿(しけい)。匈奴(きょうど)遠征に功をたてた父健の保任(父の官職により子、弟が官につくこと)により郎となる。武帝のときの紀元前100年、中郎将として、漢に拘留された匈奴の使者の返還のため匈奴に赴いた。匈奴は彼を屈服させようとしたが、これを拒否。そのため穴倉に幽閉され飲食も断たれ、雪と旃毛(せんもう)(毛織物の毛)で飢えをしのぎ、さらに北海の地に雄羊放牧のために移されると、野ネズミ、草の実を食べる生活を強いられ辛苦を重ねた。のち、匈奴に降(くだ)った李陵(りりょう)が降伏を説得したが聞き入れず、昭帝(在位前87~前74)のとき、両国和親によりやっと帰国が実現した。その間、19年。帰国後、典属国を拝命、関内侯を賜った。死後、麒麟(きりん)閣にその像が描かれ、彼の節を貫き通した行動が後世の模範とされた。

・李陵 (未詳―前72)中国、前漢の武将。字(あざな)は少卿。将軍李広(りこう)の孫。若いときから騎射に巧みであった。紀元前99年、李広利(りこうり)が匈奴(きょうど)を討った際、歩兵5000人を率いて出撃し、匈奴の大軍と戦ってこれを破った。しかし、武器・食糧が尽きたうえに、匈奴の援軍に包囲され、ついに降伏した。武帝はこれを聞いて怒り、彼の母・妻子を殺そうとした。司馬遷(しばせん)は、李陵を弁護したために武帝の憤怒を買い、宮刑(去勢の刑罰)に処せられた。李陵は匈奴に降(くだ)ったのち、単于(ぜんう)の娘を妻とし、右校王(うこうおう)に封ぜられて単于の軍事・政治顧問として活躍し、モンゴル高原で病死した。李陵の奮戦、降伏の悲劇は、詩や物語として中国人の間に長く伝えられた。日本では中島敦(あつし)の『李陵』が有名。1940年、エニセイ川上流域で漢様式の宮殿の遺跡が発見され、これを李陵の邸宅とみなす学者もいるが、断定はできない

 

青塚北,黑山西。

ここには、王昭君は紛争終結のために嫁ぎ、立派に役割を果たし、皇帝と共に青塚に葬られたし、また唐遣大将薛仁貴、辛文陵等とともに契丹の軍を黒山で撃破して、その王の阿卜固を捕らえて東都洛陽に送った。これにより、唐は国の東北部を平定した。

24. 青塚 内蒙古自治区呼和浩特市にある王昭君の墓を「青塚」という。辺りは草も生えない荒地なのに墓の近くだけは青い草が生えたことからいう。紀元前33年、匈奴の君主である呼韓邪単于が入朝した時、漢の女性を妻に娶りたいと言ってきたので王昭君が嫁ぐ事になった。 王昭君は呼韓邪単于との間に一男を儲けるが紀元前31年に呼韓邪単于が死ぬと、匈奴の風習に従い次の皇帝の妻になる。

王昭君の墓は盛唐以降、「青塚(青冢)」【せいちょう】と呼ばれ、李白《王昭君二首 其一》「生乏黄金枉図画、死留青塚使人嗟。」(生きては黄金を乏【か】き枉げて図画せられ、死しては青塚を留めて人をして嗟かしむ)と歌い、杜甫《巻17-36 詠懐古跡 五首 其三》

 

詠懷古跡,五首之三

 

群山萬壑赴荊門,生長明妃尚有村。

群山萬壑荊門に赴く,明妃を生長す 尚お村有り。

一去紫臺連朔漠,獨留青冢向黃昏。

一たび紫台を去りて朔漠連なり、独り青塚を留めて黄昏に向(あ)り

畫圖省識春風面,環珮空歸月夜魂。

畫圖に省識せらる春風の面,環珮 空しく歸える月夜の魂。

千載琵琶作胡語,分明怨恨曲中論。

千載琵琶胡語を作す,分明 怨恨 曲中に論す。。

 

「一たび紫台を去りて朔漠連なり(漢の宮殿を去って匈奴に嫁いで以来、果てしなく広がる北の砂漠に暮らした)、独(ひと)り青塚を留めて黄昏に向(あ)り(今はたそがれの弱々しい光の中にわずかに青塚を留めるばかり)」と詠んだ。白居易や張蠙らは青塚を詩題とする作品を為し、かくて王昭君墓を表現する固有名詞となった。敦煌発見のペリオ将来「王昭君変文」(絵を用いた講釈の台本)にも「墳高數尺号青塚」の表現が見え、「青塚」の表現が広く一般に定着していたことが知れる。

「青塚」の名は、『太平寰宇記』巻38 振武軍・金河県條に「青冢、県の西北に在り。漢の王昭君、此に葬らる。其の上、草の色、常に青く、故に青冢と曰ふ。」とあり、また漢・蔡邕撰『琴操』(散逸。実際は南北朝期の偽作)「胡中、白草多きも、此の冢独(ひと)り青し。」とある様に、「一面の白沙白草の胡地に、王昭君の墓所のみ青草が生い茂る」ことに由来し、この伝説は、「王昭君の魂魄の再生復活をその青草に期待し、願望したもの」である。

李白33-35 王昭君を詠う 三首

怨詩 王昭君  漢詩<110-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩545 漢文委員会kannuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1452

怨詩 王昭君  漢詩<110-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩546 漢文委員会kannuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1455

王昭君歎二首 其一 沈満願(梁の征西記室范靖の妻) <114-#1>玉台新詠集 女性詩 551 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1470

王昭君歎二首 其二 沈満願(梁の征西記室范靖の妻) 女流<115>玉台新詠集 女性詩 552 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1473

 

25. 黑山 中国古代戦場,現内蒙巴林右旗小罕山。石城で戦い、単騎突撃して、敵の弓手を生け捕りにした。また唐遣大将薛仁貴、辛文陵等とともに契丹の軍を黒山で撃破して、その王の阿卜固を捕らえて東都洛陽に送った。これにより、唐は国の東北部を平定した。

 

沙飛聚散無定,往往路人迷。

砂漠の砂は飛び散り又集まり、山を造るが、定まらず、だからここを行き交う者たちは迷ってしまうことがよくあるという。

 

鐵衣冷,戰馬血沾蹄,破蕃溪。

ここの寒気に遭えば、着ている衣服、鎧兜まで凍るし、戦いは人馬の血に溢れ、蹄鉄餅も染まり、凝固してしまう、そうなれば異民族の地、一帯の谷間には人馬の死骸で埋め尽くされる。

26. 蕃溪 未開の異民族。「蕃夷(ばんい)・蕃俗」外国。【谷・渓▽・谿▼】①山または丘にはさまれた細長い溝状の低地。一般には河川の浸食による河谷が多い。成因によって川や氷河による浸食谷と断層や褶曲(しゆうきよく)による構造谷とに分ける。また,山脈に沿う谷を縦谷(じゆうこく),山脈を横切るものを横谷(おうこく)という。②高い所にはさまれた低い部分。「波の-」 「気圧の-」 

③二つの屋根の流れが交わる所。 「 -樋」

27. 鐵衣 戦の衣裳。

 

鳳皇詔下,步步躡丹梯。

鳳凰である皇帝は詔を下し、そろりそろりと歩み出て丹梯をおりて、何もなかったように庭をめぐる。

28. 鳳皇 鳳凰は是れ中國古代の傳中の百鳥の王であり、それを持って皇帝をいう。

29 躡 ①足音を忍ばせる.•他着脚走出去了。〔+目〕=彼は足音を忍ばせながら出て行った.②(文語文[昔の書き言葉]) 追跡する,尾行する.例•踪=追跡する.③(文語文[昔の書き言葉]) 足で踏みつける.

 

「漢書」によると、李陵の物語とはこんな話である・・・。 

 昔から中国は北方に住む遊牧民である匈奴たちと攻防を繰り返してきた。秦の始皇帝が長城を造り始めたのも匈奴の侵入をふせぐためというから、その深刻さの程がわかる。それは李陵の生きた漢の時代でも同じであった。

 

 あるとき、武帝は匈奴を征討することを決め、李広利を大将軍とする一大部隊を繰り出した。その一翼として、李陵には輜重隊を任せようとしていた。輜重隊というのは食料や兵器など要するに主力部隊のための物資運搬係りである。武人としての戦果は望めない地味な役割である。李陵はこれを聞いて武帝に泣きを入れ、「兵の5千も与えてくだされば匈奴の奥深く侵入して征伐してみせましょう」と言ったところ、武帝の気に入り、兵を与えられた。ただし、騎兵ではなく歩兵であった。

 

 こうして李陵軍は北に向けて出陣する。李広利将軍の部隊とは合流する手筈であったが、その途上、匈奴の主力部隊と遭遇してしまう。その数3万。もちろん、全員騎兵である。6倍もの兵力差がある上に、馬に乗った相手に歩兵で立ち向かうのだから、戦う前から勝敗は決まったようなもので、実際、最終的には敗れるのだが、しかし、李陵軍は死闘を繰り広げること8日に及び、その間に匈奴1万を討ち取るという獅子奮迅の働きをみせる。そうして文字通り刃折れ矢尽きて李陵は降伏し捕虜となる。

 

 武帝は激怒する。このとき群臣も武帝に迎合して降伏した李陵は罰せられて当然だと言い立てる中でただ一人、李陵の勇戦と無実を訴えて武帝の逆鱗に触れて宮刑に処されたのが司馬遷であった。 しかし、匈奴は捕虜となった李陵を殺すでもなく逆に帰順するよう求めた。その戦いぶりに匈奴の王も武人として好感をもったのである。

 

   蘇武という武将は忠節の武人として知られている。「平家物語」巻二に「蘇武」と題する一節がある。喜界島に流刑になった康頼が都を想うあまり歌を書きつけた卒塔婆を流す。都に流れ着いて思い出しておくれと云う望郷の歌だが、これがほんとに流れ着いて世の哀れをさそったという一節である。 この康頼の故事が、かつて、はるか昔の漢の武将の蘇武の故事とよく似ていることから引用されたものらしい。というのは、蘇武は使者として匈奴の地へ赴くのだが、そこで囚われの身になってしまい、以来、19年もの間、匈奴の地にあって変節することなく生き抜き、かつて雁に託した都への手紙が届き、それがもとになって晴れて帰国できたという来歴の持ち主だからである。

 

 

 

 春花003

【字解集】b.恨二首 

恨二首

1.【構成】唐の教坊の曲名。『花間集』には毛文錫の二首のみ所収。其一が双調四十一字、前段二十字四句二仄韻、後段二十二字四句二平韻で、❼③❼③/7⑦4③、其二が双調四十二字、前段二十字四句二仄韻二平韻、後段二十二字四句二平韻で、❼③❼③/7⑦5③の詞形をとる。

 

其一

2.(巣作りに励む番の燕、満開の花を抜ける風、傾いた月が高窓に映るは女性の孤独の恨みを詠う。)

 

新春鷰子還來至,一雙飛。

新しい春となり燕たちがまた帰って来てしまっている、そして、番で飛んでいく。

 

壘巢泥濕時時墜,涴人衣。

巣作りの泥を積み上げ、しばしば泥を落としたりする、衣裳を汚したりもする。

3. 涴 汚に同じ。汚す。

 

後園裏看百花發,香風拂,繡金扉。

高楼の奥の庭園にも花々が咲き乱れるのを見る、花の間を通り抜けた風は香りを拂う、美しく飾られた戸口の金飾りの付いた女の閨に吹き過ぎてゆく。

4. 繡金扉 美しく飾られた戸口の金飾りの付いた扉。婦人の部屋

を指す。

 

月照紗,恨依依。

絹張りの高窓には月が照らされるのを見るだけ、胸に残る恨みは尽きはしない。

5. 月照紗 月が西に傾くことで高窓に月の明かりが当たることを言う。一晩中、一人で横になって、高窓を見上げていたということ。

 

恨二首

6.【構成】唐の教坊の曲名。『花間集』には毛文錫の二首のみ所収。其一が双調四十一字、前段二十字四句二仄韻、後段二十二字四句二平韻で、❼③❼③/7⑦4③、其二が双調四十二字、前段二十字四句二仄韻二平韻、後段二十二字四句二平韻で、❼③❼③/7⑦5③の詞形をとる。

 

其二

7.(男の心変わりを蝶にたとえて詠む。)

8. 題意 冒頭では羽の鈆粉を白粉に喩え身分を隠して通ってきた。末句では金粉に喩えているが、手の届かない人になってしまった。前者は羽の白い蝶、後者は本来の黄色い喋を描いたのである。

 

雙雙蝶翅塗鈆粉,花心。

いつもいつも番でいてくれた蝶で、それは鈆粉を翅に塗ってやってきて、花蕊の奥の芯の蜜を吸うのでした。

9. 蝶翅塗鈆粉 変装する。身分を隠してくる。鈆粉:白粉。

10.  吸う。

 

飛來穩,畫堂陰。

奇麗な閨の窓辺から、刺繍の戸口に飛んで来て、描かれて綺麗な座敷の中に身を落ち着けていたのです。 

11. 綺 美しく飾られた囲われた女妓の部屋の窓や戸口。

 

二三月愛隨飄絮,伴落花,來拂衣襟。

春二月三月のころは愛し合うためそれは風に舞う柳架の後を追い、散る花とともにやって来て襟のあたりを風のように通り抜けて行ったのです。

12. 飄絮 風の吹くままに舞い散る柳の種。架は綿毛の生えた柳の種。春は早春、盛春、晩春であり、それが一月二月三月であり、一月はこの女妓の所だけに来ていたことを示し、春の経過に伴い足が別の女に向いたことを云うものである。

 

更剪輕羅片,傅黃金。

さらには、その翅は一片の薄絹を切り取り、黄金の粉を刷いたかのようとのとどかぬ人になってしまったのです。

13. 博黄金 黄金をつたえる。男の地位が高まって、鼻にもかけられなくなったことを云う。

 

 

 

 

【字解集】c柳含煙四首 .

柳含煙四首 其一

1.(煬帝が国を傾けるほどして作った運河は国を豊かにした。春の行楽の画船が行き交い、春景色に色を添え、船引きの笙歌は春の愁いを消してくれる。)隋堤の柳 其の一

2.【構成】唐教坊の曲『花間集』には毛文錫の四首所収されている。双調四十五字、前段二十二字五句三平韻、四仄韻、後段二十三字四句二仄韻二平韻で、❸③6⑦③/❼⑥⑦③の詞形をとる。

柳含煙四首 其一

隋堤  汴河
夾岸綠陰千里  龍舟鳳舸木蘭香  錦帆

因夢江南春景  一路流蘇羽

笙歌未盡起橫  鏁春

柳、旁、香、張 /好、葆、流、愁。

△△●  ●○○

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隋堤柳,汴河旁。

煬帝が作った運河の堤に柳がある、そこから続く汴河通済渠の運河の側にも柳がつづく。

3. 隋堤 隋を建国した楊堅(文帝)は、この問題を解決するために587年に淮水と長江を結ぶ邗溝(かんこう)を開鑿し、589年に陳を滅ぼして、南北を統一した。

604年に二代皇帝煬帝が即位し、翌年より再び大運河の工事が始まる。

まず初めに黄河と淮水を結ぶ通済渠(つうせいきょ)が作られ、続いて黄河と天津を結ぶ永済渠(えいせいきょ)、そして長江から杭州へと至る江南河が作られ、河北から浙江へとつながる大運河が完成した。完成は610年のことで、その総延長は2500キロメートルを越える。

通済渠の工事には100万人の民衆が動員され、女性までも徴発されて5か月で完成した。これによって、後の人から暴政と非難され、更にこの運河を煬帝自身が竜船(皇帝が乗る船)に乗って遊覧し、煬帝が好んだ江南へと行幸するのに使ったことから、「自らの好みのために民衆を徴発した」などとも言われるようになる。

大運河は一から全てを開削したわけではなく、既存の小運河を連結した部分がかなりある。また大運河の建造は南北の統一を確かなものとし、江南の物産を河北にもたらした。永済渠建設の目的は高句麗遠征であった。

 

夾岸綠陰千里,龍舟鳳舸木蘭香,錦帆張。

岸を差し挟んでは千里先まで緑の影を成し続く。またそこには竜のフナ飾りの鮮やかな絵が行き交い、鳳凰の絵の舟が、香りたかい蘭の木で作られている。その船に錦の帆を張る。

4. 夾岸 両岸。水流的兩岸、堤岸的兩旁。晉·陶淵明·桃花源記:「忽逢桃花林,夾岸數百步,中無雜樹,芳草鮮美,落英繽紛。」

5. 綠陰 緑の影を成。

6. 龍舟鳳舸木蘭香 竜のフナ飾りの鮮やかな絵が行き交い、鳳凰の絵の舟が、香りたかい蘭の木で作られている。

7. 錦帆張 船に錦の帆を張る。

 

因夢江南春景好,一路流蘇羽葆。

長安や洛陽いて夢で思うのは、江南地方の春の景色がよいものであるという、楽しみになる。隋堤の運河により一筋の水路の流れこの地域を結ぶことでそれぞれの地域を守り、蘇らせる。

7. 江南 長江(揚子江)以南の地方,今の江蘇,安徽,江西省南部。この3省を通称して江南ということもある。狭義には江左を,広義には長江中下流域つまり淮河(わいが),漢水以南で南嶺以北の華中の地を指す。古代の江南は蛮夷が住み,火耕水耨(かこうすいどう)という遅れた農法に象徴される後進地であったが,晋室の南渡と共に急速に開発が進んだ。そして明・清にいたると江南は文化の中心地となり,清の乾隆帝による,〈江浙は人文の淵藪である〉との論評を生むに至るのである。

8. 蘇 生きかえる。よみがえる。「蘇生」草の名。

9. 羽葆 羽飾りのことで

 

笙歌未盡起橫流,鏁春愁。

そしてこの運河は、笙の笛に歌声を乗せた船は進んでも、未だにこの流れに横から入り込むが、波を起こしたりすることはない。この中においては春の愁いのこころを蓋をして、隠してくれる。

10. 笙歌 【しょうが】 笙にあわせて歌うこと。またその歌。

11. 起橫流 この流れに横から入り込むこと。

12. 鏁春愁 春の愁いのこころをなくしてくれる。

 

 

柳含煙四首 其二

13. (柳が鬱蒼と茂る夕方の霞と一体となって悲しく霞む様子をいうが、この詩は長安城の西市の横を流れる渠溝に架かる橋、長安周辺の河川、運河の柳並木に、まつわるいろんな逸話があったことを思わせる)

14. 唐教坊の曲『花間集』には毛文錫の四首所収されている。双調四十五字、前段二十二字五句三平韻一仄韻、後段二十三字四句一仄韻三平韻で、❸③6⑦③/❼⑥⑦③の詞形をとる。

柳含煙四首 其一

隋堤、汴河旁。夾岸綠陰千里、龍舟鳳舸木蘭香、錦帆張。

因夢江南春景、一路流蘇羽葆。笙歌未盡起橫、鏁春愁。

柳、旁、香、張 /好、葆、流、愁。

△△●  ●○○

●●●○○●  ○○●●●○○ ●△△

○△○○○●● ●●○○●●  

○○●●●△○ △○○

『花間集』には毛文錫の四首所収されている。双調四十四字、前段二十一字五句三平韻、後段二十三字四句二仄韻二平韻で、3③6⑥③/❼❻⑦③の詞形をとる。

柳含煙四首 其二

河橋柳,占芳。映水含煙拂路,幾迴攀折贈行,暗傷

樂府吹為橫笛,能使離腸斷。不如移植在金,近天

押韻 春、人、神/曲、續、門、恩。

○○●  △○○

●●○○●●  △△○△●△○  ●△○ 

●●△○△●●  △●△○●●

△△○●●○○  ●○○

 

河橋柳,占芳春。

隋堤運河を渡る橋のたもとの柳、かんばしい春はこれからどうなるのか。

15. 薛昭蘊《巻三30浣溪沙八首其四》「握手河橋柳似金,蜂鬚輕惹百花心,蕙風蘭思寄清琴。意滿便同春水滿,情深還似酒盃深,楚煙湘月兩沉沉。」(手を握るは河橋なり 柳 金に似たるころ,蜂鬚 輕く惹れる 百花の心,蕙風 蘭思 清琴に寄る。意 滿つ 便ち同うするは 春水滿ちるがごとく,情 深くするは 還た酒盃深くすに似たり,「楚煙」 「湘月」 兩れも 沉沉たり。)

 

映水含煙拂路,幾迴攀折贈行人,暗傷神。

柳の緑は水に映り、柳が鬱蒼として霞にけむり、土手の道を枝は揺れて掃いているようだ。もう何度もここに来て、折楊柳をして、上にかかげて旅に行く人の安全を祈った事だろう、しかしその陰に約束が果たされず、失い、傷つき、恨むものがいる。

16. 含煙拂路 の緑は水に映り、柳が鬱蒼として霞にけむり、土手の道を枝は揺れて掃いている。

 

樂府吹為橫笛曲,能使離腸斷續。

“柳”の楽府は沢山あり、宮女、妓優が横一面に並んで、笛曲を吹奏する、そして、それはまた、別れの断腸の思いを続けさせられることになる。

17. 樂府《楊柳》《大堤》《芙蓉》《曲渚》1 中国前漢の武帝の創設した、音楽をつかさどる役所。2 漢代に1が巷間から採集し、保存した歌謡、およびそれを模して作られた詩の一体。長句・短句の交錯する自由な詩形により、祭儀から日常生活に至る広範囲な題材を扱い、多くは楽器に合わせて歌った。3 漢詩の古体の一。漢代以降の2の題目・形式をまねて作った、伴奏を伴わない詩。唐代に流行。新楽府(しんがふ)といわれ、「白氏文集(はくしもんじゅう)」にも収められる白居易のものが有名

楽府2の題目。歌・行・歌行・引・曲・吟・辞・唱・怨などの種類がある。後世の詩人は、多くこれらに倣って楽府を作った。

 

不如移植在金門,近天恩。

隋堤の柳は植え替えておなじようにはなるというものではないが、今、長安城の西の金門にある、それは天子の御恩がふりそそぐ近くにある。

18. 金門 金光門 長安の外郭の城の西側に三門があり、北にあるものを聞達門、中にあるものを金光門、南にあるものを延平門という。金光門を西に出ると昆明池の方へゆく。城内西市放生池から金光門を経て長安八水の一つ潏水と潏渠という運河でむすばれていた。当然この運河の両岸、に潏水の河岸に柳が植えられていた。当時のもっとも大量輸送手段というのは船に寄るものであった。漢の未央宮もこの河川の役割が大きかったようだ。

 

 

柳含煙四首 其三

19.(京兆には章台の柳は、冕冠旒を満たし、東西の水陸駅に続く柳は毎日のように折楊柳、結同心しれ割られを見てきた、そうした見送り見送られての別れではない人たちがいる。それは若さを失えば、棄てられるという別れである。柳が見てきたと詠う。)

20. この詩は、長安には東西に柳並木があり、それぞれ春明、金門を出て一駅の間に別れを惜しんで折楊柳や結同心を行って離人となるが、後宮には、三千人、三万人という女性たちがおり、その最上級の妃嬪たちでさえ、若さと美しさの失えば、離人となってしまう。

21. 唐教坊の曲『花間集』には毛文錫の四首所収されている。双調四十五字、前段二十二字五句三平韻一仄韻、後段二十三字四句一仄韻三平韻で、❸③6⑦③/❼⑥⑦③の詞形をとる。

柳含煙四首 其一

隋堤、汴河旁。夾岸綠陰千里、龍舟鳳舸木蘭香、錦帆張。

因夢江南春景、一路流蘇羽葆。笙歌未盡起橫、鏁春愁。

旁、香、張 葆、流、愁。

△△● ●○○  ●●●○○●  ○○●●●○○  ●△△

○△○○○●●  ●●○○●●  ○○●●●△○  △○○

双調四十四字、前段二十一字五句三平韻、後段二十三字四句二仄韻二平韻で、3③6⑥③/❼❻⑦③の詞形をとる。

柳含煙四首 其二

河橋柳,占芳。映水含煙拂路,幾迴攀折贈行,暗傷

樂府吹為橫笛,能使離腸斷。不如移植在金,近天

押韻 春、人、神曲、續門、恩

○○● △○○  ●●○○●●  △△○△●△○  ●△○ 

●●△○△●●  △●△○●●  △△○●●○○  ●○○

 

双調四十四字、前段二十一字五句三平韻、後段二十三字四句三平韻で、3③6⑦③/7⑥⑦③の詞形をとる。

柳含煙四首 其三

章台柳,近垂。低拂往來冠蓋,朦朧春色滿皇,瑞煙

直與路邊江畔別,免被離人攀。最憐京兆畫蛾,葉纖

押韻 時。

○○● ●○○  ○●●△△●  △○○●●○○  ●○○

●△●○○●●  ●●△○○△  ●○○●●△○ ●○○

 

章台柳,近垂旒。

古今、各王朝の章台にある柳の冕冠旒を見てきた、その近く、皇帝の冕冠の前後に十二旒、計二十四旒だ垂れている。

22. 章台柳 ①長安市内西南部にあった楼台「章華台」の名。また、その楼台のあった宮殿の名。《楼台の下が花柳街であったところから》繁華街の遊郭をいう。②章台:秦の殿名。以って内に章台有りでその名を得る。章台に相如を見る。——《史記·廉頗相如列傳》 即章華台。 ③春秋時楚国の離宮。春秋時代、楚の霊王6(紀元前535)がこちらで 古章華台という行宮をたてた。

23. 垂旒 古代帝王礼帽前后垂的玉串。冕冠は皇帝から卿大夫以上が着用した。冠の上に冕板(延とも)と呼ばれる長方形の木板を乗せ、冕板前後の端には旒を垂らした。旒の数は身分により異なり、皇帝の冕冠は前後に十二旒、計二十四旒である。このほか皇帝が天地を祭るのに使う旒の無い大裘冕がある。冠側面から玉笄と呼ばれる簪を指し、底部には纓と呼ばれる組紐がつく。また冕板の中央には天河帯と呼ばれる赤帯がついた。

 

低拂往來冠蓋,朦朧春色滿皇州,瑞煙浮。

柳の枝は低く垂れ、そこを往来する、冠帽子や、車蓋を拂っている。春も盛りになれば、鬱蒼としてぼんやりとして来て、めでたい春の覇気、運気もこの帝都全体に広がる。

24. 冠蓋 冠帽子や、車蓋

25. 朦朧 ① ぼんやりとかすんで、はっきり見えないさま。② 物事の内容・意味などがはっきりしないさま。③ 意識が確かでないさま。

26. 皇州 帝都。李白《古風、五十九首之十八》「衣冠照雲日,朝下散皇州。」(衣冠 雲日を照らし、朝より下りて 皇州に散ず。)

 

直與路邊江畔別,免被離人攀折。

真っ直ぐな道路と道路に沿って渠溝のほとりに柳があり、長安城の東でも、西でも河川本流の渭水で支流と別れて合流してゆく、ここの人は、この柳を折って奉げて旅人の安全を祈るがわかれた人には柳に被われるのは迷惑な事である。

27. 免被 ごめんこうむる。

28. 離人 長安城内から潏水の船着き場で舟に乗り、潏水がのながれ乗って渭水に合流すると逗留して行き旅立つのでこの何処かで離人を見る事になる。長安の東、㶚橋には、街道駅と水路駅がありここでも離人を見たものである。

29. 攀折 折楊柳を攀げる。

 

最憐京兆畫蛾眉,葉纖時。

最も憐れに思ったのはこの長安の後宮の妃嬪たちはこうした折楊柳の別れではなく、若くて細くて魅力ある時が過ぎれば、寵愛を失うという別れが待っているのである。

30. 京兆 長安

31. 畫蛾眉 平康里の女妓たちである

32. 葉纖 若くて細くて魅力ある

 

 33. 資料

古来、宮中にはいわゆる「内職」という制度があった。『礼記』「昏義」 に、「古、天子は、后に六宮、三夫人、九嬪、二十七世婦、八十一御妻を立て、以て天下の内治を聴く」とある。唐初の武徳年間(618626)に、唐は隋の制度を参照して完壁で精密な「内官」制度をつくった。その規定では、皇后一人、その下に四人の妃(貴妃、淑妃、徳妃、賢妃各一人)、以下順位を追って、九嬪(昭儀、昭容、昭媛、修儀、修容、修媛、充儀、充容、充媛各一人)、捷好九人美人九人、才人九人、宝林二十七人、御女二十七人、采女二十七人が配置される。上記のそれぞれの女性は官品をもち、合計で122人の多きに達した。皇后だけが正妻であり、その他は名義上はみな「妃嬪」-皇帝の妾とされた。

また、皇太子の東宮にも「内官」があり、太子妃一人、その下に良娣、良媛、承徽、昭訓、奉儀などの品級があった。諸親王の王妃の下にも孺人【じゅじん】等の媵妾【ようしょう】の身分があった。

 

唐代三百年間に封ぜられた后妃のうち、皇后と地位が比較的高いか、あるいは男子を生んだ妃嬢だけが史書にいささかの痕跡を残した。その他の女性は消え去って名も知れない。『新・旧唐書』「后妃伝」 には、全部で二十六人の皇后、十人の妃嫁が記載されている。その他で史書に名を留めているものはおよそ五、六十人である。

 

 

宮官は宮人の最上層にある人々であり、後宮のさまざまな部局に属する職員であった。唐朝の後宮には六局(尚宮局、尚儀局、尚服局、尚食局、尚寝局、尚功局)があり、宮中のすべての事務を管理していた。六局の各首席女官の尚宮、尚儀、尚服、尚食、尚寝、尚功が六部の尚書(長官)になった。六局の下に二十四司を統括し、各司の女官はそれぞれ別に司記、司言、司簿、司闈、司籍、司楽、司賓、司賛、司宝、司衣、司飾、司使、司膳、司醞、司薬、司饎、司設、司輿、司苑、司灯、司制、司珍、司森、司計に分けられていた。またその他に二十四典、二十四掌、及び宮正、阿監、形史、女史など各級の女官もあった。これらの女官には品級・給与が与えられており、彼女たちは礼儀、人事、法規、財務、衣食住行(行は旅行、出張等の手配)などの宮廷事務を担当した(『旧唐書』職官志三)。

 

 

「三千宮女胭脂面,幾個春來無淚痕。」(三千の宮女 胭脂の面、幾箇か春来りて涙の痕無からん)《白居易「後宮詞」》。古来、宮人は女性のなかで最も人間性を踏みにじられた人々であり、宦官とともに君主専制制度の直接の犠牲者であった。一方は生殖器をとられ身体を傷つけられた者、一方は人間性を踏みにじられた者である。宮人は奥深い後宮の中に幽閉されて永遠に肉親と別れ、青春と紅顔は葬り去られ、愛情と人生の楽しみは奪われ、生きている時は孤独の苦しみに、また死んだ後は訪れる人もない寂しさの中に置かれた。それで多くの知識人が、彼女たちの境遇に心を痛め嘆息してやまなかったのである。

彼女たちの痛苦の生活と心情を理解しょうとすれば、白居易の「上陽の白髪の人」ほど真実に迫り、生々と彼女たちの人生を描写したものはない。

 

上陽白髮人白居易

天寶五載已後,楊貴妃專寵,後宮人無復進幸矣。六宮有美色者,輒置別所,上陽是其一也。貞元中尚存焉。

 

上陽人,紅顏暗老白髮新。

綠衣監使守宮門,一閉上陽多少春。

玄宗末初選入,入時十六今六十。

同時采擇百餘人,零落年深殘此身。

 

憶昔吞悲別親族,扶入車中不教哭。

皆雲入便承恩,臉似芙蓉胸似玉。

未容君王得見面,已被楊妃遙側目。

妒令潛配上陽宮,一生遂向空房宿。

 

秋夜長,夜長無寐天不明。

耿耿殘燈背壁影,蕭蕭暗雨打窗聲。

春日遲,日遲獨坐天難暮。

宮鶯百囀愁厭聞,梁燕雙棲老休妒。

 

鶯歸燕去長悄然,春往秋來不記年。

唯向深宮望明月,東西四五百回圓。

今日宮中年最老,大家遙賜尚書號。

小頭鞋履窄衣裳,青黛點眉眉細長。

 

外人不見見應笑,天寶末年時世妝。

上陽人,苦最多。

少亦苦,老亦苦。少苦老苦兩如何?

君不見昔時呂向《美人賦》,【【天寶末,有密采艷色者,當時號花鳥使。呂向獻

《美人賦》以諷之。】〉

又不見今日上陽白髮歌!

 

 

 

 

(上陽白髮人)

上陽の人、紅顏暗く老いて白髪新たなり

綠衣の監使宮門を守る、一閉上陽多少春  一たび上陽に閉ざされてより多少の春。

玄宗の末 初めて選ばれて入る、入る時十六今六十。

同時に採擇す百余人、零落して年深く 此の身を殘す。

 

憶ふ昔 悲しみを吞みて親族に別れ、扶けられて車中に入るも哭せしめず。

皆云ふ 入すれば便ち恩を承くと、臉は芙蓉に似て胸は玉に似たり。

未だ君王の面を見るを得るを容れざるに、已に楊妃に遙かに側目せらる。

妒(ねた)みて潛かに上陽宮に配せられ、一生遂に空房において宿す。

 

秋夜長し、夜長くして寐ぬる無く天明けず。

耿耿たる殘燈 壁に背く影、蕭蕭たる暗雨 窗を打つ聲。

春日遲し、日遲くして獨り坐せば天暮れ難し。

宮鶯百たび囀ずるも愁へて聞くを厭ふ、梁燕雙び棲むも老いて妒むを休む。

 

鶯は歸り燕は去って長へに悄然たり、春往き秋來して年を記さず。

唯だ深宮に明月を望む、東西四五百回 圓かなり。

今日 宮中 年最も老ゆ、大家遙かに賜ふ尚書の號。

小頭の鞋履 窄(せま)き衣裳、青黛 眉を點ず 眉細くして長し。

 

外人は見ず 見れば應に笑ふべし、天寶の末年 時世の妝ひ。

上陽の人、苦しみ最も多し。

少くして亦苦しみ、老いて亦苦しむ

少くして苦しむと老いて苦しむと兩つながら如何せん。

君見ずや 昔時 呂向の美人の賦を、又見ずや 今日 上陽白髪の歌を。

 

 

この白髪の詩一首は、今日でも後宮の不幸な女性たちに一掬の同情の涙を流させる。

九重の深宮は宮人たちの身体を鎖で縛っているが、彼女たちの若い心を縛ることはできなかった。

彼女たちは憂え恨み悲しんだが、しかしなおも愛情と幸福を渇望していた。現世がすでに秒茫たるものであったから、希望と夢を来世に託すはかなかったのである。永く後世に伝わった次の 「紅葉に詩を題す」 の物語は、生々と彼女たちの心情を伝えている。

 

 

柳含煙四首 其四

34.(皇城、宮城。大明宮、興慶宮へそれぞれの渠溝の土手に植えられた柳、天子のめでたい祥煙に覆われ、その場所を得ることでその力を発揮できると詠う。)

35. 唐教坊の曲『花間集』には毛文錫の四首所収されている。双調四十五字、前段二十二字五句三平韻一仄韻、後段二十三字四句一仄韻三平韻で、❸③6⑦③/❼⑥⑦③の詞形をとる。

柳含煙四首 其一3+3+6+7+3 / 7+6+7+3

隋堤、汴河旁。夾岸綠陰千里、龍舟鳳舸木蘭香、錦帆張。

因夢江南春景、一路流蘇羽葆。笙歌未盡起橫、鏁春愁。

旁、香、張 葆、流、愁。

△△● ●○○  ●●●○○●  ○○●●●○○  ●△△

○△○○○●●  ●●○○●●  ○○●●●△○  △○○

双調四十五字、前段二十二字五句三平韻、後段二十三字四句二仄韻二平韻で、3③6⑥③/❼❻⑦③の詞形をとる。

柳含煙四首 其二

河橋柳,占芳。映水含煙拂路,幾迴攀折贈行,暗傷

樂府吹為橫笛,能使離腸斷。不如移植在金,近天

押韻 春、人、神曲、續門、恩

○○● △○○  ●●○○●●  △△○△●△○  ●△○ 

●●△○△●●  △●△○●●  △△○●●○○  ●○○

 

双調四十五字、前段二十二字五句三平韻、後段二十三字四句三平韻で、3③6⑦③/7⑥⑦③の詞形をとる。

柳含煙四首 其三

章台柳,近垂。低拂往來冠蓋,朦朧春色滿皇,瑞煙

直與路邊江畔別,免被離人攀。最憐京兆畫蛾,葉纖

押韻 時。

○○● ●○○  ○●●△△●  △○○●●○○  ●○○

●△●○○●●  ●●△○○△  ●○○●●△○ ●○○

唐教坊の曲『花間集』には毛文錫の四首所収されている。双調四十五字、前段二十二字五句三平韻、二仄韻、後段二十三字四句二仄韻二平韻で、❸③❻⑦③/❼❻⑦③の詞形をとる。

柳含煙四首 其四

御溝,占春。半出宮牆婀,有時倒影醮輕,麴塵

昨日金鑾巡上,風亞舞腰纖。栽培得地近皇,瑞煙

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●●○○○●●  △△●○○●  △△●●●○○ ●○○

 

御溝柳,占春多。

天子のお庭に続く渠溝の土手に植えられた柳があり、柳が春景色になり、多くの草花が春に変わっていく。

36. 御溝柳 天子のお庭に続く渠溝の土手に植えられた柳

37. 占春多 多くの草花が春に変わっていく。

 

半出宮牆婀娜,有時倒影醮輕羅,麴塵波。

宮殿の土塀から半ば出た柳の枝が美しく、嫋やかで艶めかしい動きをするし、時によっては夕暮れは日影が長く大きく、星列宿を祭りをする巫女の様に軽く梳けて見える着物を羽織っている、その着物はやんごとなきお方しか着られない黄緑色のうす絹の着物の波が揺れるよう。

38. 婀娜 ① 女性の色っぽくなまめかしいさま。「―な年増(としま)」②美しくたおやかなさま。性行為の際のなまめかしい女性しなやかな体のラインを言う。

李商隠《石榴》

榴枝婀娜榴實繁、榴膜軽明榴子鮮。

可羨瑤池碧桃樹、碧桃紅頬一千年。

石榴)榴枝は婀娜として榴實は繁し、榴膜は軽明として榴子は鮮かなり。羨むべし 瑤池 碧桃の樹、碧桃の紅頬は一千年。

ザクロをつける枝はしなやかに延びる、たわわに熟れるザクロの実はすばらしい。透き通るように薄いザクロの皮膜の内側、ザクロの種は色鮮やかなものだ。でももっと羨ましいのは西王母の住まう瑤池に植えられている碧桃の木である。三千年に一度実をつける碧桃は、その紅色の肌を一千年もの長く保ち続けるという。

 

石榴 李商隠 :紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 68

39. 醮 中国における道教の祭祀の一つ。《隋書》経籍志の道経序録によれば,醮とは災厄を消除する方法の一つで,夜中,星空の下で酒や乾肉などの供物を並べ,天皇太一や五星列宿を祭り,文書を上奏する儀礼をいう。

40. 軽羅 紗(しゃ)・絽()などの薄い絹織物。また、それで作った単(ひとえ)。うすもの。《季 夏》

41. 羅切 (らせつ)とは、人間の男性の外部生殖器を切断すること。日本において「羅切」という場合は、陰茎のみ切断する場合と、陰茎と陰嚢を同時に切断する場合に使用し、睾丸のみ摘出する狭義の去勢は含まない。

42. 麴塵 【きくじん】①色の名。ほとんど灰色みを帯びた黄緑色。古くは刈安(かりやす)と紫根による染め色,近世は黄と青の糸による織り色をいう。天皇の略式の袍(ほう)の色で禁色(きんじき)の一。青色。山鳩。②「麴塵の袍」の略。

 

昨日 金鑾 巡上苑,風亞 舞腰 纖軟。

昨日は天子が大明宮の金鑾殿にいて、上林苑の中を巡り歩き、衣擦れの舞の起す風がとどいてきて、細腰で舞い、指も腕も細くしなやか、柔らかに踊る。

43. 金鑾 長安大明宮 金鑾殿 帝が大明宮にいる間は金鑾殿にいる。

44. 上苑 中国,秦・漢代の天子の苑の名。苑とは囲いを設けて,その中で鳥獣などを養うところの意。上林苑はすでに秦代にあったが荒廃していたため,前漢の武帝がこれを修復,拡大した。長安 (西安を中心に,周囲三百余里。

45. 風亞 衣擦れの舞の起す風。・亜[音]ア(漢) [訓]つぐ上位や主たるものに次ぐ。次位の。準ずる。「亜将・亜聖・亜流・亜熱帯」化合物中で酸化の程度の低いものを表す語。「亜硝酸・亜硫酸」

 

栽培 得地 近皇宮,瑞煙濃。

柳の樹の栽培は、皇城、後宮というめぐまれた地を得られ育つ、天子の御蔭のめでたい祥煙に覆われている。

46. 瑞煙 天子のおかげのめでたい祥煙。

47. 皇宮 皇城、宮城。

 

 

 薛濤 02

 

【字解集】d.醉花間二首

醉花間二首 其一

1.(教坊の曲、男の目線で女性が出征している男を思った歌で、下ネタの歌というもの。)

2. 唐の教坊の曲名。『花間集』 には毛文錫の二首のみ巻五に所収。双調四十一字、前段二十一字五句四仄韻、後段二十字四句二仄韻で、❸❸❺5❺/5❺5❺の詞形をとる。

3. 唐教坊曲名。唐以降の中国王朝における宮廷に仕える楽人や妓女たちに宮廷音楽を教習させるための機関をさす。楽曲や歌舞の習得を主な目的とするが、官妓にあたる妓女を統括する役割もあった。その後の王朝に引き継がれ、清代まで続いたが、雍正帝の時に廃止された。

4. 毛文錫(生卒年未詳)、字を平珪と言い、南陽(今の河南省南陽)の人。十四歳で進士に及第し、前萄の王建に仕え、司徒に任じられ、毛司徒と呼ばれた。その後、前覇が亡びると、後主の王術に従って後唐に降り、さらに後局に仕え、欧陽胴、闇選、鹿虔辰、韓暮らと詞をもって後局の孟池に奉仕し「五鬼」と称された。著書に『前局紀事』二巻、『茶譜』一巻がある。毛文錫の詞は大多数が男女の離別の情や傷惜春の情を詠ったものであるが、中には功名富貴を主張したものや、辺境の戦を詠ったものもある。『花間集』には二十一首の詞が収められている。

 

休相問,怕相問,相問還添恨。

尋ねないでください、尋ねられれば怖くななってしまうの、尋ねられればまた恨みが増してくるのです。

5. ・添恨:恨みがましい思いが加わる。 添:加わる。足す。

 

春水滿塘生,還相趁。

ゆきどけの春の增水、堤の春草が生えているうえに満ちて、見れば鸂鶒のオスがなおもメスを追いかけているのです。

6. ・春水:春の池や川の水に雪解け水で増水すること。春の水の動きは情事を連想させるもの。滿:いっぱいに。塘:池。つつみ。

7. ・還相趁:鸂鶒のオスがなおもメスを追いかけている。 ・鸂鶒:〔けいちょく〕オシドリ(鴛鴦)に似た水鳥。つがいで動く。紫鴛鴦。 ・還:なおもまた。 ・相趁:…を追いかけていく。鳥の仲睦まじいさま。 ・趁:追う。後からついて行く。張泌『南歌子三首其三』「錦薦紅鸂鶒,羅衣繡鳳凰。綺疎飄雪北風狂,簾幕盡垂無事,鬱金香。」

南歌子 三首之三 張泌【ちょうひつ】  ⅩⅫ唐五代詞・ 「花間集」 Gs-356-7-#18  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3327

魚玄機『隔漢江寄子安』

江南江北愁望,相思相憶空吟。

鴛鴦暖臥沙浦,鸂鶒閑飛橘林。

煙裏歌聲隱隱,渡頭月色沈沈。

含情咫尺千裏,況聽家家遠砧。

隔漢江寄子安 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-110-45-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2097

 

昨夜雨霏霏,臨明寒一陣。

昨夜はしとどに雨が降る音に眠れず、明け方になると急に冷え込んできて、一人寝は寒さひときわ身に染みてくるのです。

8. ・霏霏:雨がしとしとと降るさま。

9. ・臨明寒一陣:明け方が近づいたときは、寒さがひとしきりだった。臨明:明け方が近づいて。寒一陣:寒さがひとしきりだった。

 

偏憶戍樓人,久絶邊庭信。

夜通し、要塞の望楼にいる人と一緒にいたころをひたすら思い出し、随分ながいこと情事というものから断絶していて、その上に、辺境の地からの便りの暖かさも全くなくなったのです。

10. ・戍樓人:要塞の望楼にいる人。出征している男。

牛嶠『定西番』

紫塞月明千里,金甲冷,戍樓寒,夢長安。

思望中天闊,漏殘星亦殘。

畫角數聲嗚咽,雪漫漫。

定西番 牛嶠【ぎゅうきょう】  ⅩⅫ唐五代詞・ 「花間集」 Gs-337-6-#24  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3232

11. ・久絶:長い間絶たれている。性交を長くしていないことと、手紙が長い間来ていないこと、この語を手紙が耐えてこないという意味ではこの詩は成り立たない。「休相」,「怕相」,「相問」「還添恨」「春水」「滿」「塘生」「還相趁」「昨夜雨」「霏霏」「寒一陣」「偏憶」「久絶」この語はすべて、セックスに関する隠語である。

12. ・邊庭:辺疆。国境。 

13. ・信:便り。手紙。

 

 

醉花間二首 其二

14. (教坊の曲、男の目線で、七夕の日というのに愛する男が来てくれない、囲われている女性が、土塀、身分違いという壁一つ隔て会うすべのないことを詠う。下ネタの歌というもの。)

15. この時代、男から逢うことが出来ても、女からは逢うことが出来ない。しかもそこに、身分という大きな川と、壁があるというもの。冒頭は前作同様「相…」 の語を三度重ね、女性に対する思いの深さを示す。後段の前二句は隣家の庭の内外の様√を描き、後二句は、土塀の向こうから聞こえて来る女性の腰に下げた帝王の響きに触発され、今宵は七夕で彦星と織姫星とが年に一度出会う夜だというのに、私にとっていったい何の夜なのだと、近くにいながら女性に会えぬ悲嘆を訴える。

 

深相憶,莫相憶,相憶情難極。

あの人のことを深く思う、でももう思ってはいけないのです。思うことはつらいことで、こんなこころもちになること、切なさは極限がないのです。

 

銀漢是紅牆,一帶遙相隔。

天の川は年に一度は渡れるのに、わたしのいるのはこの赤い土塀にかこまれているのです。この一帯にいる間は何処にも行けないし遥かに二人を隔っているのです。

16. 銀漢是紅牆 赤い土塀が天の川のように男と女を隔てていることを言う。李商隠『代應』(代わりて応う)詩の「本來銀漢是紅墻,隔得盧家白玉堂。誰與王昌報消息,盡知三十六鴛鴦。」(本来 銀漢は是れ紅牆、隔て得たり 盧家の白玉の堂。誰か與う 王昌 消息を報じるを,盡く知る 三十六 鴛鴦を。)の句を跨まえる。

 

金盤珠露滴,兩岸花白。

あの「承露盤」の露のように黄金の盛皿鉢に珠の露もそのまま落ちて流れ去り、天の川の両岸に白く咲く楡の花は別れるための花なのです。

17. 金盤殊露滴 承露盤は漢の武帝が建章宮に建てた銅盤。その上の霧を飲めば不死を求め得ると道教では説く。前漢の武帝が建章官に高さ二十丈の銅柱を建て、上に露を受ける銅盤を捧げ持つ仙人の像をしつらえ、受けた甘露に玉の粉末を混ぜて飲み不老長生を図ったという故事を踏まえる。

李商隠『漢宮詞』「青雀西飛竟未回、君王長在集霊臺。侍臣最有相如渇、不賜金茎露一杯。」

仙女西王母の使者である青い鳥は、崑崙山のある西の彼方へ飛び去って、約束の訓戒を守らず奢侈にあけくれ、ついに二度とかえって来なかった。漢の武帝は西王母を迎え長命の術をさずかるべく、集霊宮、通天台などの高閣を建てて、長くそこで西王母をまっていた。

その侍臣に文才秀れた司馬相如がいたが糖尿病を病んで苦しんでいた。帝は、それを知らぬはずのないのに、豪華に設えた承露盤の露、それは不老長寿の薬であり、盃に一杯だけでも賜ろうとしなかった。漢宮詞 李商隠 :紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 63

ここは女性性器の喩えということもできる。

18. 花白 楡の花が咲いて七夕の時節になったことを言う。本来楡の木は西に上、白い花は秋の別れを意味する。ニレ科ニレ属は北半球の温帯と暖帯に約20種を産し,すべて落葉ないし半常緑の高木で葉の基部が左右不整である。日本でニレというとふつうハルニレ(イラスト)をさすが,ほかにアキニレ(イラスト)とオヒョウ(イラスト)がある。英語のエルムelmはヨーロッパニレU.minor Mill.(U.campestris L.)やセイヨウニレU.glabra Hudsonをさし,街路樹として植えられる。

 

風搖玉珮清,今夕為何夕。

他の女のもとへ来ている人の佩び玉が、秋の風に揺れて、清かな音が響きわたっているというのに、この閨には誰もいない静かな夜なのです。今夕だけは逢えるということなのに、私にはなんという宵なのでしょう。

19. 今夕為何夕 今宵は七夕で彦星と織姫星とが年に一度出会う夜だというのに、私にとっていったい何の夜なのだと悲嘆を訴える。

花間集 訳注解説 (248)回目毛文錫巻五24醉花間二首其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9107

250)回目毛文錫巻五24醉花間二首其二》 

 

 

2017913

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